酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「モーダルな事象」~豊饒でミステリアスな奥泉ワールド

2015-05-17 23:56:15 | 読書
 大阪都構想が住民投票で否決され、橋下氏の政界引退が決まった。感想は次稿の枕で簡潔に記したい。

 又吉直樹(ピース)の的を射た書評には注目していた。読み手として既に一流だったが、書き手としてもハイレベルであることが、三島由紀夫賞の最終選考で明らかになる。「私の恋人」(上田岳弘)に僅差(3対2)で及ばなかったが、高村薫、辻原登、平野啓一郎、町田康、川上弘美といった錚々たる顔ぶれに「火花」が絶賛されたのだ。

 10代の頃から読書を〝格闘〟と位置付け、目前に聳える作品を選んできた。作者の世界観と感性に対峙する至福を共有する同志は、今や絶滅危惧種らしい。仕事先のOさんはそのひとりで、故船戸与一の膨大な作品群を読破している。

 辺見庸のブログにアップされた船戸追悼文「完全無虚飾人」(日経掲載)に、詩人辺見の洞察を感じた。1944年生まれの両者は飲み仲間であったという。<正史と燦爛たる光にはかんしんをしめさなかった。外史と惨憺たる敗者に、ことのほか敏感だった>と船戸文学の本質を抉り、<かれはこの世でもっともわざとらしくないひとだった。(中略)おそらくかれは、ひとという恥の根茎に感づいていた>と船戸の佇まいを記している。

 加齢(アラカン)のせいで、読書は格闘の度を増している。気力、体力の衰えに加え、小さい字が読みづらくなってきた。老眼用の眼鏡を誂えるつもりだが、最新の〝対戦者〟は「モーダルな事象~桑潟幸一教授のスタイリッシュな生活」(05年、文春文庫)である。豊饒にしてミステリアスな奥泉ワールドを堪能し、格闘の疲れは読了後、たちまち癒やされた。

 先に読んでいたのは続編「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」(11年)の方で、別稿(14年5月12日)で感想を記している。肩書が助教授から准教授になったのは時の流れだが、桑幸(通称)のキャラ――自虐的な低レベルの日本文学研究者、無様で哀れな中年男――は変わらない。諧謔とユーモアが全編に溢れていた。

 奥泉は純文学とミステリーを融合させているが、「桑潟幸一准教授の――」はその色彩が濃く、テレビ朝日でドラマ化(全3回、佐藤隆太主演)されている。俺は「前編も軽いに相違ない」と高を括っていた。ところが、注文したパスタとサラダは前菜に過ぎず、胃にズシリ堪えるメーンディッシュが次々に運ばれてきた。

 太宰治と交流があった無名の作家、溝口俊平の遺稿集発見が起点になる。桑幸は「日本近代文学者博覧」編纂時、心ならずも溝口の解説を担当した。心ならずというのは、太宰を希望したのに叶わなかったからで、当の桑幸が溝口の名を失念していたほどだ。

 「研修館書房編集部」の名刺を持つ男が桑幸の元を訪ねてくる。遺稿集連載に際し序文執筆を依頼してきたのだ。一読した桑幸は極辛の評価を下すが、意外にも読者の反響は良好だ。遺稿集発刊に向け、「天竺出版」の編集者もコンタクトを取ってくる。溝口は大ブームを巻き起こし、桑幸も余禄に与ることになった。

 遺稿発見の経緯が不透明で、展示会やら映画化など倍速で話が進むことに、桑幸は訝しさを感じていた。2人の編集者が相次いで殺されたことで身の危険を覚えた桑幸は、悪夢にうなされるようになる。環に閉じ込められた桑幸の魂は肉体から遊離し、溝口が暮らしていた敗戦目前の久貝島(瀬戸内海)に赴く。島で何が行われていたのか、小説家は溝口にとって仮面だったのか、遺稿を書いたのは果たして……。謎は深まるばかりだ。

 狂言回しになって時空を彷徨う桑幸に代わり、諸橋倫敦(大手出版社社員)と北川アキ(フリーライター兼歌手)の元夫婦が、全国を回りながら真相に迫っていく。何となく別れた2人だが、離婚後も互いの欠点をカバーし合う名コンビだ。かつて奥泉を<遅れてきた戦記作家>と評したこともあったが、本作にも戦争へのこだわりが反映している。謎の大陸アトランティスにまつわるコイン、怪しい宗教団体と製薬会社、秘められた一家の歴史が絡まって、光と闇が交錯する重層的な物語が展開する。

 アキがジャズシンガーという設定ゆえ、モードジャズにちなんだタイトルかと思っていたが、作者の意図は別だったようだ。ユーザーインターフェースにおけるモードから採ったのではないか。ユーザーが同一の入力をしても、状態によって検索結果が異なるケースをモードと呼ぶ。真実という果実も齧り方によって、行き着く芯が違ってくることが、本作のベースになっていた。

 自身の齧り方に殉じて迷宮の住人になった桑幸は,堕ちることにより環から自由になった。「さよなら、桑幸」のはずが、6年後にすくい上げて復活させた辺り、作者のキャラへの愛着が窺える。〝筋金入りのダメ男〟に親近感を覚える俺も、第3部、そして元夫婦探偵の再登場を心待ちにしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする