「化け猫」、「泥棒猫」、「猫ばば」……。善行や美徳に縁のない猫が、飼い主一家の男児を助けてヒロインになった。カリフォルニアでの出来事である。男児の足を噛んだ犬に体当たりをかましたのが牝猫タラで、引き離した後も総毛立ちで威嚇するなど、あっぱれな〝忠猫〟ぶりだ。猫派で犬嫌いの俺には留飲が下がる映像だが、〝犯犬〟が殺処分になると知り、複雑な気分になる。
国の形が変わろうとしている……と大上段に構えたものの、集団的自衛権行使に意欲を見せた安倍首相の会見について、何を語っても受け売りになる。自国の憲法について見解を持てないなんて恥ずかしい限りだ。学び、考え、そして行動を通じ、咀嚼した言葉をいずれ当ブログで記したい。
ベネズエラの政変(02年)を追ったドキュメンタリー(アイルランド製作)をNHKで見たのが、憲法の意味に行き当たったきっかけである。CIAらによるクーデターを跳ね返して復帰したチャベス大統領の第一声、「憲法は国家の規範であり、何人もその尊厳を侵せない」に強い感銘を受けた記憶がある。晩年は独裁者と化したチャベスだが、初心は安倍首相と対照的に高邁だった。
絶対王政の君主の如く憲法を玩具にする安倍首相を罵っていても仕方ない。俺の従兄弟はフィリピンが台風で被災したのを受け、基金を立ち上げた。頻繁に訪れる当地は確かに貧しいが、自由の気風に溢れていると彼は言う。冷蔵庫で腐った自由を解凍しなければ、政権にブレーキは掛けられない。
ようやく、本題……。新宿で先日、「世界の果ての通学路」(12年/仏、パスカル・ブリッソン監督)を見た。世界の4組の子供たちが遠く離れた学校へ通う姿を追ったドキュメンタリーである。
ケニアのジャクソン(11歳)は妹のサロメとともに、往復30㌔の道のりを通う。政情不安に加え、ギャングも出没する。野生動物の中でも、とりわけ象が子供たちの障害物になる。ジャクソンは高みで象の群れを観察し、進路を決める。日々がまさに命懸けの決断だ。パイロットを夢見るジャクソンにとって、通学で体験した〝危機管理〟は大きな糧になるだろう。
アルゼンチンのカルロス(11歳)は妹ミカと一緒に馬で片道18㌔を通う。険阻な山道ゆえ、距離以上の難関だ。馬への思いが強いカルロスは、獣医を目指している。上記のジャクソンと共通しているのは、家族にとって重要な働き手であること、そして妹との絆だ。俺しい兄ではなかったことを、今更ながら反省した。
モロッコのザヒラ(12歳)は毎週月曜朝、22㌔を歩いてのある学校に通い、金曜夕方に家に帰るというスケジュールだ。女性の教育には前向きではないイスラム社会の山あいの村では、モスクが学校の役割を果たしていた。ザヒラは家族の理解もあり、2人の友と通学している。少女3人組がアクシデントで難儀していても、当地の人が意外なほど冷たいことが不思議だった。字幕を見落したが、ザヒラは医師か教師になって社会に貢献したいと考えているようだ。
インドのサミュエル(13歳)は足に障害を抱えており、歩行困難だ。彼を支えるのは2人の弟で、車椅子を押して片道4㌔を通学する。協力的な街の人たち、同級生たち、そして何より家族の愛情に感謝するサミュエルは、医師になって自分のような子供を助けたいと考えている。
怠け者の俺の10代の夢は長屋の素浪人で、20代の夢は恥ずかしながらヒモだった。そんな自分と比べて観賞し、子供たちの学ぶことへの情熱と志の高さに感嘆した。本作に登場した子供たちと俺の志向は真逆だが、この国の教育の在り方が間違っている可能性もわずかながらある。
子供たちは不自由な組織で飼い慣らされ、ランク付けされていくのが日本の学校の実態ではないか。直感でそこに気付いた俺は、規制を逃れ、嫌なことはせず、アラカンになって10代の理想(素浪人)を実現した……、なんて強くは言えない。沈まなかったのは悪運の成せる業と自覚しているからだ。
国の形が変わろうとしている……と大上段に構えたものの、集団的自衛権行使に意欲を見せた安倍首相の会見について、何を語っても受け売りになる。自国の憲法について見解を持てないなんて恥ずかしい限りだ。学び、考え、そして行動を通じ、咀嚼した言葉をいずれ当ブログで記したい。
ベネズエラの政変(02年)を追ったドキュメンタリー(アイルランド製作)をNHKで見たのが、憲法の意味に行き当たったきっかけである。CIAらによるクーデターを跳ね返して復帰したチャベス大統領の第一声、「憲法は国家の規範であり、何人もその尊厳を侵せない」に強い感銘を受けた記憶がある。晩年は独裁者と化したチャベスだが、初心は安倍首相と対照的に高邁だった。
絶対王政の君主の如く憲法を玩具にする安倍首相を罵っていても仕方ない。俺の従兄弟はフィリピンが台風で被災したのを受け、基金を立ち上げた。頻繁に訪れる当地は確かに貧しいが、自由の気風に溢れていると彼は言う。冷蔵庫で腐った自由を解凍しなければ、政権にブレーキは掛けられない。
ようやく、本題……。新宿で先日、「世界の果ての通学路」(12年/仏、パスカル・ブリッソン監督)を見た。世界の4組の子供たちが遠く離れた学校へ通う姿を追ったドキュメンタリーである。
ケニアのジャクソン(11歳)は妹のサロメとともに、往復30㌔の道のりを通う。政情不安に加え、ギャングも出没する。野生動物の中でも、とりわけ象が子供たちの障害物になる。ジャクソンは高みで象の群れを観察し、進路を決める。日々がまさに命懸けの決断だ。パイロットを夢見るジャクソンにとって、通学で体験した〝危機管理〟は大きな糧になるだろう。
アルゼンチンのカルロス(11歳)は妹ミカと一緒に馬で片道18㌔を通う。険阻な山道ゆえ、距離以上の難関だ。馬への思いが強いカルロスは、獣医を目指している。上記のジャクソンと共通しているのは、家族にとって重要な働き手であること、そして妹との絆だ。俺しい兄ではなかったことを、今更ながら反省した。
モロッコのザヒラ(12歳)は毎週月曜朝、22㌔を歩いてのある学校に通い、金曜夕方に家に帰るというスケジュールだ。女性の教育には前向きではないイスラム社会の山あいの村では、モスクが学校の役割を果たしていた。ザヒラは家族の理解もあり、2人の友と通学している。少女3人組がアクシデントで難儀していても、当地の人が意外なほど冷たいことが不思議だった。字幕を見落したが、ザヒラは医師か教師になって社会に貢献したいと考えているようだ。
インドのサミュエル(13歳)は足に障害を抱えており、歩行困難だ。彼を支えるのは2人の弟で、車椅子を押して片道4㌔を通学する。協力的な街の人たち、同級生たち、そして何より家族の愛情に感謝するサミュエルは、医師になって自分のような子供を助けたいと考えている。
怠け者の俺の10代の夢は長屋の素浪人で、20代の夢は恥ずかしながらヒモだった。そんな自分と比べて観賞し、子供たちの学ぶことへの情熱と志の高さに感嘆した。本作に登場した子供たちと俺の志向は真逆だが、この国の教育の在り方が間違っている可能性もわずかながらある。
子供たちは不自由な組織で飼い慣らされ、ランク付けされていくのが日本の学校の実態ではないか。直感でそこに気付いた俺は、規制を逃れ、嫌なことはせず、アラカンになって10代の理想(素浪人)を実現した……、なんて強くは言えない。沈まなかったのは悪運の成せる業と自覚しているからだ。