酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

世界へ通じる道~「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」が示すもの

2012-02-25 20:59:14 | 映画、ドラマ
 憂慮されていた事態が現実になった。「週刊文春」最新号に衝撃のスクープが掲載されている。福島から北海道に避難した児童2人(7歳と4歳)の甲状腺からがんの疑いのある異常が見つかった。チェルノブイリのケースより3年早い報告という。

 山下俊一氏(福島県立医大副学長)が検査にストップを掛けるようメールで指示している。政官財の意を受け、朝日新聞から「がん大賞」を授与された山下氏は、いずれ改悛の情に衝き動かされ、真実と向き合うだろう……。こんなふうに期待していた俺は甘いとしか言いようがない。山下氏はヨーゼフ・メンゲレ、石井四郎とともに〝悪魔の殿堂〟に名を刻むはずだ。

 新宿で先日、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」(11年、アメリカ)を見た。俺はこれまで「ユダヤ人」や「9・11」をテーマに据えたアメリカ映画は避けてきたが、スティーブン・ダルトリー監督作は見逃せない。「ダロウェイ夫人」(ヴァージニア・ウルフ)をモチーフにした「めぐりあう時間たち」(02年)で、ダルトリーはウルフら3人の女性の人生を、時空を超えて鮮やかに交錯させた。「ものすごく――」が提示したのは喪失と再生で、3・11を経た日本人の心情にも重なる作品だった。

 睡眠不足と風邪による発熱で、当日は夢の中で仕事をしていた。映画観賞は厳しかったが、チケットをネットで予約していたので日を改めるわけにいかず、酔生夢死状態で本作に突入する。公開後1週間でもあり、興趣を削がぬよう感想を記したい。

 オスカー(トーマス・ホーン)は宝石商の父(トム・ハンクス)と強い絆で結ばれていた。内向的で探究心旺盛なオスカーの資質を伸ばすため、父は息子と「調査探検ゲーム」に興じる。軸になったのはニューヨーク第6区の存在証明だった。

 家族は9・11を迎えた。オスカーにとり、家に掛かってきた父からの電話をやり過ごしたことがトラウマになり、埋葬された空の棺が喪失感の象徴になった。1年後、オスカーは父の遺物から〝ブラック〟の宛名が書かれた封筒を発見する。その中には一本の鍵が納められていた。オスカーは父が与えてくれたヒントと考え、調査探検ゲームを始める。

 500人近いブラックさんを訪ねるオスカーに、同行者が現れた。祖母宅の間借り人になった老人(祖父?)は、ドイツ時代のトラウマから喋れず、メモ帳を介してオスカーと交流する。ニューヨークの宝石商=ユダヤ人、9・11、そしてアウシュビッツとくれば、三題噺は完成だ。「やられた」と思ったが、本作は〝偏見の塊〟たる俺の一枚上を行っていた。連合国軍によるドルトムント絨毯爆撃を9・11に対比させる形で、普遍性を維持していた。

 ラストで洟をすすっている人が周りにいたが、俺には過剰な演出に思えた。別稿(12年1月15日)に記した「永遠の僕たち」(11年)のイーノックの笑顔の方が、公園でのオスカーの独白より生と死の境界を鮮烈かつ簡潔に表現しているように感じたからだ。

 鍵の真実を探す旅により、希薄だった母(サンドラ・ブロック)の深い愛情がクローズアップされる。オスカーが見つけたのは家族の絆であり、<世界>だった。人々の営みや感情をオスカーは身を以って知ることになる。本作に重なったのは、同じく少年が主人公だった「奇跡」(11年、是枝裕和監督)である。父(オダギリジョー)が仄めかした<世界>の意味を問い掛けるうち、兄弟の心は家族だけでなく、まさに世界へと繋がっていった。

 分野を問わず無数の表現者たちが今、3・11がもたらした孤独、絶望、喪失を見据え、癒やし、救い、再生を希求する作品を準備しているはずだ。日本版「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の登場を心待ちにしている。




コメント (2)
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