酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ヒミズ」~若者に再生を託した21世紀の「罪と罰」

2012-02-05 23:11:29 | 映画、ドラマ
 混迷を深めるシリアの五輪代表が、アジア最終予選で日本を破った。シリアイレブンの心境、多くの血が流れた当地の国民の思いを想像するのは難しい。スポーツは時に、スポーツを超えることがある。今回の試合は、その典型的な例といえるだろう。、

 五十路も半ばに差し掛かると、心身の至るところにガタがくる。肩と右膝に慢性的痛みを抱え、血糖値や中性脂肪はとっくに危険数域だ。そこに某女性から、ミッションが発せられる。<加齢臭を緩和せよ>と……。

 不摂生と不衛生を貫いてきた俺の内部は、公害で汚濁した川のようにドロドロ状態だ。臭いを根から断つのは不可能だが、薬局で中年の女性店員に相談すると、「うちの主人も愛用してます」とあるスプレーを薦めてくれた。早速購入し、新宿で園子温監督の新作「ヒミズ」(12年)を観賞した。

 「冷たい熱帯魚」(11年)、「恋の罪」(同)にリアルタイムで触れ、たちまち〝急性子温中毒〟になる。録画した「愛のむきだし」(08年)にもノックアウトされた。主演の染谷将太(住田祐一役)と二階堂ふみ(茶沢景子役)は、ベネチア映画祭で獲得した新人賞(マルチェロ・マストヤンニ賞)に相応しい熱演だった。心の闇と崩壊をテーマに映画を撮ってきた園監督は、3・11を契機にシナリオを大きく書き換え、石巻ロケを敢行する。被災地の地獄絵図をカメラに収めながら、救いと再生を2人の若い主人公に託していた。

 「冷たい熱帯魚」はブルーリボン賞、報知映画賞、キネマ旬報で監督賞や作品賞を受賞したが、園監督の評価は海外の方が高かった。作品の色彩は東欧映画に近く、キリスト教的な倫理観が底に流れているからだろう。各作品には悪魔的人間が登場する。「ヒミズ」では染谷の父(光石研)、茶沢の母(黒沢あすか)が該当するが、悪魔を超える天使が存在した。悪魔の領域に踏み込む寸前の染谷の前に、茶沢が立ちはだかる。

 住田祐一と茶沢景子は中学のクラスメートだ。ともに不幸な家庭に育っているが、志向性は正反対だ。住田は絶望から殻にこもり、茶沢は希望の灯を掲げて住田に接近する。罵り合い、頬を打ち合う2人の激烈で清浄な魂が相寄り、叫び、涙を流しながらともに走るラストに至る。一瞬と永遠の愛を提示した本作は、21世紀の「罪と罰」で、神話、寓話の域に達した青春映画といえるだろう。

 ボート屋を営む住田家の周りに、震災被災者が小屋を建てる。破壊された街に夜野(渡辺哲)が立ち尽くすシーン、住田がピストルを自分のこめかみに当てるイメージが繰り返しインサートされ、作品の主題を際立たせている。被災者たちが若い2人を見守る様子に心が和んだ。

 吹越満、神楽坂恵、モト冬樹、でんでん、窪塚洋介、西島隆弘、吉高由里子ら豪華な面々が脇を固めている。園監督と親交が深い宮台真司がテレビのコメンテーターを演じ、反原発を説いていた。ネオナチの売人が画面に向かって「原発万歳」と叫ぶ戯画化されたシーンは、ストーリー上で重要な位置を占めていた。
 
 泥と絵具でペイントされた顔で、悪を抹殺せんと彷徨う住田に、「EUREKA」(01年、青山真治監督)の直樹(宮崎将)が重なった。異世界への旅立ち、自殺願望、罪の意識の表れと受け取り方は様々だろうが、ともに「気狂いピエロ」の影響が窺える。「恋の罪」では田村隆一の詩が作品の主題を示していたが、「ヒミズ」ではヴィヨンの詩の一節が、住田と茶沢の心を繋いでいた。

 会場に明るくなった時、「頑張れ日本がテーマだね」と感想を語る声が後ろから聞こえてきた。「ちょっと違うな」と思ったが、俺の方が少数派かもしれない。「ヒミズ」は立ち位置によって像が異なる蜃気楼なのだろう。
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