酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「パール・ジャム20」~ずしりと響く骨太の音

2012-02-10 22:55:13 | 音楽
 石原都知事は俺も署名した「原発都民投票」を否定し、条例を作らないと語った。アメリカでは原発再開が決まり、実現に向けたマネーゲームが始まっている。3・11から11カ月、俺の中でも世界でも、フクシマが風化しつつある。来月には頻繁に取り上げるつもりだ。

 昨秋、期間限定で公開された「パール・ジャム20」を見逃した。その後、パール・ジャム(PJ)が妙に気になり、棚に埋もれていたCDやDVDを取り出すや、たちまちハマってしまう。これまで魅力に気付かなかったのか不思議でならないが、今では通勤、仕事、ウオーキングの最中に“Corduroy”、“Given To Fly”、“Even Flow”、“Do The Evolution”、“Go”が混然一体となって脳内スピーカーで鳴り響いている。

 WOWOWがオンエアした「パール・ジャム20」は、20年のバンド史と神髄に迫る秀逸なドキュメンタリーだった。活気と創造性に満ちた80年代シアトルのロックシーンを捉えたお宝映像も収録されていた。

 PJが悲しみと絶望を乗り越えたバンドであることを知る。前身のマザー・ラブ・ボーンの未来への扉は、フロントマンだったアンディの死で唐突に閉ざされた。残されたストーン・ゴッサードとジェフ・アメンは、再出発を期して模索する。「ボーカル募集」に応じたのがエディ・ヴェダーだ。

 エディは当時、サンディエゴで警備員をしていた。20代半ばまで埋もれていたエディはシアトルにやって来た当初、自分の殻に籠もっていたが、次第に才能とエゴを発揮していく。奇跡の邂逅が怪物を育んだのだ。 エディはフー信奉者で、本作には「ババ・オライリー」のカバー(ロラパルーザ'92)が収められている、

 PJは<フーからキャッチーさを消し、重低音を増したバンド>といえる。連想するのは、稲妻が光る鈍色の空、レンブラントの絵、野間宏やコーマック・マッカーシーの小説だ。灰褐色の世界で、エディの野性の声が人生の影や孤独をシャウトする。歌詞が生命線になっており、言葉の壁がある日本ではブレークしなかった。

 同時期に1000万枚以上のアルバムを売ったニルヴァーナとPJはライバルと見做された。カート・コバーンの「PJは商業主義に走った」との発言が物議を醸したが、後に和解している。カートとエディがハグするシーンが感動的だった。カートとエディの資質は極めて近い。カートはドラムセットに体当たりしたり楽器を壊したり、エディは鉄骨によじ登って落下すれすれのパフォーマンスを見せたりと、異なる方法で自己破壊衝動を表現していた。

 カートの死を真摯に受け止め、ニール・ヤングの姿勢に触発されたPJは、ファンの立場で商業主義に闘いを挑む。干されることも覚悟し、ハイパー資本主義に毒されたロック業界の仕組みそのものに異議を唱えたのだ。かなりの逆風は受けたはずだが、チケットマスター「ボイコットツアー」(95年)以降も、CDの売り上げ、動員力とも高い数字を維持している。

 権威を否定する姿勢も一貫している。グラミー賞授賞式でエディは「これが何を意味するのか分からない」と発言した。9・11以降は、一気に保守化したアメリカの空気に警鐘を鳴らしていた。扮装込みでブッシュをコケにした曲をニューヨークで演奏し、大ブーイングを浴びていたが、屈する様子はまるでなかった。

 「イントゥ・ザ・ワイルド」や「96時間」に描かれていたが、アメリカには定住せず放浪するボヘミアンが数多く存在する。「イントゥ――」の主題歌を担当したエディだけでなく、他のメンバーもボヘミアンが好むサーフィン愛好者だ。ラストでファンがPJのライブに足を運んだ回数を競い合っていた。PJは<来たら見る>ではなく、<旅をして見る>ボヘミアンに愛されるバンドなのだろう。

 フジロックはストーン・ローゼスとレディオヘッド、サマソニはグリーンデイとメーンアクトが早くも決まった。PJが来日するならフェスしかないが、実現は難しそうだ。心身の衰えが著しい55歳は、ここのところライブから足が遠のいている。4月のモリッシー(Zepp Tokyo)がロック卒業記念になるかもしれない。


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