酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

Wドラマ「マークスの山」~壮大で奥深い高村ワールド

2010-11-18 01:17:49 | 映画、ドラマ
 仙谷バッシングが甚だしい。官房長官は学生時代、極左だった? まさか! 安東仁兵衛や江田三郎が提唱した構造改革論の支持者だから、社民主義に近く極左とは遠い。また、〝最高権力者〟というのもありえない。<アメリカ―警察―官僚機構>連合体の壁にぶち当たり、屈服に舵を切ったというのが実情ではなかろうか。

 シカゴの40年前のヒット曲ではないが、「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」と問いかけたくなる。数少ない候補に挙がるのが高村薫だ。彼女の作品で最も人気がある「マークスの山」がWOWOWで甦った。構成もキャスティングも完璧な全5話(5時間弱)は、高村ワールドの壮大さと奥深さを余すところなく伝えていた。

 デビュー以来、ほぼリアルタイムで高村と接してきたが、ある時期まで一つの欠点があった。顕著なのは「リヴィエラを撃て」だが、K点を優に越える美しいジャンプを見せながら、テレマークがうまく取れなかったのだ。当人がその点を意識しているかはともかく、文庫化に際し、大幅な改稿が施されるケースが多い。「わが手に拳銃を」(92年)など、濃密な男同士の愛の物語「李歐」(99年)に生まれ変わっていた。

 Wドラマ「マークスの山」の原作は講談社文庫版(03年)で、ハードカバー(93年)しか読んでいない俺には新鮮だった。高村作品に繰り返し登場する合田雄一郎刑事を演じたのは上川隆也だ。合田は作品によって崩壊寸前のやさぐれ男だったりするが、今回は正義感の強い真っ当な刑事である。

 進行中の殺人、検察が追う汚職、隠蔽された20年前の事件……。無関係に思える、いや無関係にしておきたいという検察上層部の意図もあり、込み入った展開になるが、合田と加納特捜部検事(合田の元妻の兄、石黒賢)との軋轢と友情を軸に解きほぐされ、一本の奔流に転じていく。

 犯罪がテーマになると、<警察=善、犯罪者=悪>の構図に陥りがちだが、高村作品が勧善懲悪に堕すはずもない。善悪の彼我を超え、法や権力が設定する罪と罰とは別次元の枠組みが常に準備されている。

 対立項としてストーリーを動かす水沢裕之(高良健吾)と林原弁護士(小日向文世)は、自己防御本能が強いがゆえ攻撃的になるという共通点がある。裕之が地を這うパニック状態のハリネズミなら、林原は中空で薄ら笑みを浮かべるハゲタカだ。狂気を滲ませる高良と小日向の名演が本作を支えていた。

 看護士の真知子(戸田菜穂)は悲劇を共有したことで裕之と強い絆で結ばれている。真知子に大トロとマスクメロンをご馳走し、いつか一緒に北岳に登って富士山を仰ぎたい……。それが裕之のささやかな願いだった。疑似の母子関係ともいえる裕之と真知子の愛が浮き彫りになるのと軌を一にし、<政―官―財―法曹界―教育界―裏社会―メディア>が織り成すどす黒いネットワークがあぶり出されていく。

 角突き合わせていた刑事たちも、捜査に圧力を掛ける巨悪を暴くため、心を一つにしていく。名優揃いの捜査陣だが、吾妻警部補を演じた甲本雅裕(甲本ヒロトの弟)の存在感が光っていた。合田ら捜査陣、そして加納にとって、裕之の身柄確保は浄化のため不可欠になる。それぞれのテレマークが際立つエンディングだった。

 差別を切り口に戦後日本を総括した「レディ・ジョーカー」、福澤家の100年を描き人間の業に迫った「晴子情歌」、「新リア王」、「太陽を曳く馬」の3部作など傑作は数多あれど、俺の一押しは高村作品でマイナーに属する「神の火」(新潮文庫版)だ。

 北朝鮮による拉致がなぜ、公安関係者が張り付いていた日本海側の原発地帯で起きたのか……。オウム真理教とは一体何だったのか……。「神の火」は俺の疑問を巨大な妄想に膨らませた、ラディカルで破壊願望に満ちた爆弾である。

 「サンデー毎日」に連載中の「新・冷血」では、個性を変えた合田が捜査の指揮を執っているという。単行本化が今から待ち遠しい。
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