酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

江田三郎氏の遺志は今?~構造改革論の先見性

2005-05-22 22:10:14 | 社会、政治

 旧聞に属するが、天皇は終戦時に退位すべきだったと、菅直人氏がテレビで語っていた。この発言への反論もあったが、「左派=退位論」という切り分けには意味がない。かの三島由紀夫もまた、退位論者だったからである。退位せず神性をなくした天皇への忸怩たる思いが、「剣」などの作品に込められていた。

 天皇が退位していれば日本はどうなったか、菅氏なりの見解を示してほしい気もする。逆説的になるが、俺は現実肯定論である。天皇が退位していれば、皇室への信仰が維持され、アラブ世界やアメリカで進行中の宗教への回帰が、日本でも起きたと考えるからだ。

 前置きは長くなったが、本題に。菅氏に期待を掛けたのは江田三郎氏である。社会民主連合を結成して間もない1978年のこの日(5月22日)、同氏は急逝した。菅氏は子息の五月氏らと遺志を継ぐことになる。俺は江田氏に対し、その見識と良識ゆえ、政治の世界で「してやられる側」というイメージを描いていた。その存在の大きさを認識出来たのは、昨年読んだ一冊の本のおかげである。

 石堂清倫著「わが異端の昭和史」(平凡社ライブラリー)は、現代史を学ぶ上で一級の資料だと思う。戦前戦後の左翼の活動と弾圧の実態、理論や哲学、満州での抑留生活、接点があった人物について、詳細かつ明晰に記されている。共産党員だった石堂氏は構造改革論が受け入れられず、61年に離党した。軌を一にして、社会党内で構改論を主張したのが江田氏だった。ちなみに構改論とは、先進国における<レーニン―毛沢東方式>の武力革命を否定し、緩やかな変革を目指すという理論である。提唱者はイタリア共産党のグラムシだった。

 江田氏は60年代初頭、社会党書記長として「江田ビジョン」を提起した。「江田ビジョン」とは、アメリカの生活水準、ソ連の社会保障、イギリスの議会制民主主義を目指し、日本の平和憲法を守るという、極めて全うな内容である。党大会で採択されたが、左派の巻き返しで頓挫してしまった。

 「わが異端――」によると、共産党のホープだった不破哲三氏(現議長)も構改論に傾いていたが、圧力により翻意したという。同書に記された社共幹部の言動には、愕然とするばかりだ。中ソの指導者を詣で、「構改論はけしからん」とか「イタリア共産党は無視しろ」というご託宣を受けて帰国し、構改派の行動にブレーキを掛けていたのである。

 日本の革新勢力は現実を見失い、自家中毒に陥って衰退する。今じゃ社会主義を時代錯誤と斬って捨てる論者も多いが、他の先進国ではどうだろう? イギリスでは労働党、ドイツでは社民党、スペインでは社会労働党が政権を握っているし、フランスの社会党も党勢を挽回しつつある。イタリアでは旧共産党まで糾合した中道左派が影響力を保っているし、北欧や中欧では社民、オセアニアでは労働党が、政権党もしくは野党第一党の座を維持している。

 早い話、保守2党体制はアメリカと日本だけなのだ。福祉、反戦平和、環境、人権を主張する声が年々小さくなるという好ましくない状況に、パラレルワールドに逃げ込みたくなる。60年代前半、「江田ビジョン」を旗印に、先見性と勇気を持った人々が組織を超えて結集していれば、日本丸はどのような航跡を辿ったことだろうかと……。

 最後にオークスの感想を。有力馬の位置取りは予想外だったが、シーザリオのコースを締めた武豊の意気、逃げた武幸の思い切り、後手を踏んだ福永の開き直りと、見どころ満載のレースだった。ダービーも楽しみである。
コメント (2)
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