酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

墓場から何マイル?~寺山修司は生きている

2005-05-04 02:16:00 | カルチャー

 今日(4日)も行楽日和が予想されている。そんな陽気と関係なく、不思議な気候に覆われる人が少なからずいるはずだ。旱魃と洪水、渇きと潤い……。アンビバレンツを引き起こすのは、ある男の記憶である。1983年のこの日、寺山修司が亡くなった。享年47歳だった。

 その活動をリアルタイムで体感した世代から、死後に生まれた若者まで、寺山ファンは広範な層に分布している。俺もその一人だが、入門、初級、中級、上級に分類すれば、初級をようやく超えた程度か。半可通の俺ではあるが、寺山で連想するのはパゾリーニと吉本隆明氏である。

 パゾリーニと寺山の共通点は、多分野で才能を発揮したことである。パゾリーニは映画で世界に衝撃を与えたが、詩、小説、戯曲でも名高い文学者だった。寺山は短歌と演劇で革命を起こし、映画や評論でも人々を魅了した。ともに真実と虚構の境界に独自の世界を確立した鬼才で、異端、倒錯の匂いが濃い。

 吉本氏の著作など、左右の脳を総動員しても理解に及ばないが、時折「これだ」と手を打つ個所がある。フワフワ頭上に浮いているのに、言葉に表せない感覚……。透明の塊を言語化し、もどかしさを解いてくれるのが天才たちだ。神業の裏付けは、二人の原点にあると思う。吉本氏は気鋭の詩人、寺山は早熟の歌人として、キャリアをスタートさせている。

 寺山は幾つものレンズを重ね、心象世界を三十一文字に焼き付けた。寺山の短歌に繰り返し表れるのは、悲歌、林檎、玻璃、蟻、蝿、革命、さまざまな貌をした父母であるが、中でも向日葵(ひまわり)に魅かれていたようだ。枝と蕾が太陽に向かって回転する花のイメージが、寺山の想像力を刺激したに相違ない。

 歌集を読み返すうち、青春時代のそよぎや傷が甦り、冴え冴えと眠れなくなった。とりわけ心に残る歌を以下に記す。

 胸の上這わしむ蟹のざらざらに目をつむりおり愛に渇けば
 わがシャツを干さん高さの向日葵は明日ひらくべし明日を信ぜん
 一匹の猫を閉じ込めきしゆえに眠れど曇る公衆便所
 まっくらな海に電球うかびおりわが欲望の時充ちがたき
 大声で叫ぶ名が欲し地下鉄の壁に触れきしシャツ汚れつつ
 雷鳴に白シャツの胸広げ浴ぶ無瑕の愛をむしろ恥じつつ
 死ぬならば真夏の波止場あおむけにわが血怒濤となりゆく空に
 東京の地図にしばらくさはりゐしあんまどの町に 指紋を残す?

 寺山がジャンルを問わず描いたのは、無頼、故郷喪失者、放浪者、賭博者、ジャンキー、懲役囚である。だが、アウトサイダーばかりが磁場に引き寄せられるわけではない。世渡り上手にも建前人間にも、扉はちゃんと用意されている。裃を脱ぎ、逆立ちするだけで、懐かしく温かな寺山の世界に触れることが出来るのだ。

 「墓場まで何マイル?」が遺稿のタイトルだったが、死の影は若い頃から寺山に付き纏っていた。難病のネフローゼと闘っており、自らの血と死を直視しつつ創作に打ち込んでいたと思う。

 寺山が一番好きだった言葉は、マルローの「希望とは人間が罹る最後の、そして最も重い病である」に違いない。評論などに繰り返し引用しているからだ。寺山が最も愛した小説が、本棚の奥から出てきた。マッカラーズの「心は孤独な狩人」である。俺にとっても生涯ベストワンだし、久しぶりに読んでみることにする。
コメント (3)
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