クラシコとはすなわち、レアルマドリードとバルセロナの戦いである。この試合を前にしたら、ヤンキースとレッドソックスの遺恨など屁ほどの意味もない。クラシコほど歴史に深く刻まれた愛憎の発露が、他にあるだろうか。
達成された革命は夥しい血で汚れ、約束された未来は言葉の遊びになる。それが革命の逃れられない性なのだ。だが、スペイン革命は成就しなかったがゆえ、その輝きは色褪せない。
今回のクラシコは美しく負けた側のバルセロナで行われ、「カタロニアはスペインではない」という横断幕がカンプノウで掲げられた。バルセロナのイレブンは「幻想としての革命」を託された兵士なのである。
若い頃、多くの巨人たちから感銘を受けた。オーウェル、キャパ、マルロー、ロルカ、ピカソ、ヘミングウエーといった芸術家たち……。彼らはすべて共和国=バルセロナにくみした者たちである。スポーツ選手で最も衝撃的だったクライフは、バルセロナの監督を長年務めた。ここまでくれば、バルセロナを応援せざるをえない。現役選手で一番好きなラーションまで、バルセロナの一員なのだ。
両チームとも多国籍軍ゆえ、観客ほどホットではない。一選手としての成熟を発揮し、試合後は爽やかに交歓していた。バルセロナが3対0と完勝したが、女神の気まぐれに左右された部分もある。サンチャゴ・ベルナベウで逆の目が出ても不思議はない。一眠りした後も余韻が去らぬ、贅沢な瞬間の連続だった。
が、いいことばかりではない。またも競馬を外してしまう。ダンスを切ったのだから女神は微笑まない。
がっくりするな、俺には友がいる。貧乏神、疫病神、死神が様子見しつつ肩で戯れているではないか。