俺ぐらいの齢になると、いかに賽の河原に着地するかが主たるテーマになる。死を射程に入れて生きていかないと、日々の充実はない。
中高年はこうあるべしという生き方を挙げるなら、「醸す」「枯れる」「流れる」……。でも、現実は「惑う」「諦める」「媚びる」「閉じる」ってとこに落ち着いてしまう。中には壊れる者もいる。最近でいうと田代まさしやショーケン、そして、誰よりマスコミを騒がせているのが紳助だ。
漫才時代、あるいは主演作「ガキ帝国」での悪たれぶりこそ、紳助の地に近いと思う。あの頃は感情の起伏が激しく、他人の風下に立つまいという気迫に満ちていた。当時は想像も出来なかったが、今やさんまよりレギュラー番組が多い。時間を掛けて好感キャラに変身したのだ。時には我慢し、おもねってきたに違いないが、自分を偽っていると軋みが生じて崩れてしまう。今回の事件の背景はその辺りかなと勝手に推察している。
我が身に翻ると、寛容がウリだった俺はここ2年、「キレ」を繰り返してきた。その都度、反省はするが、スパッと刀で斬られ、血が噴き出たような快感も残っているから、かなり重症だ。「なぜ?」と胸に手を当て、ようやく答えに行き着く。「自分を偽る」耐用年度が、とっくに期限を越えていたのである。
長く会社にいると、心にもない言辞を吐く立場になる。「まじめに」「協調的に」「頻繁に連絡、報告を」なんて自ら信じていない価値を、しかも一段高い場所から説くことは、精神衛生上よろしくない。理由は他にもあるが、会社を辞めることにした。
「さあ、本格的に壊れるか」と独りごちする。今の俺は芸なし、資格なし、妻なし、金なし、死にたくもなし。職なしが近々加わるから平成の六無斉である。壊すものがないなら、腐るだけかもしれぬ。斃れて蝿に食われるのもよしと強がってみる。