酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「怪物」~<普通>の先にあるものは

2023-07-03 22:33:17 | 映画、ドラマ
 前稿で沢田研二(ジュリー)のバースデーライブの感想を記した。昨日も同じくWOWOWで「ジュリー祭り」(2008年、東京ドーム)がオンエアされていたが、驚いたのは下山淳だ。ルースターズ、ロックンロール・ジプシーズ、泉谷しげるwithルーザーのライブで何度も接してきた下山とジュリーはミスマッチに思えたが、1998年から10年余りギタリストとしてツアーに参加していたと知る。実力をジュリーにも買われていたのだろう。

 併せて紹介した「土を喰らう十二ヵ月」と共通点がある「怪物」(2023年、是枝裕和監督)を新宿で見た。「土を喰らう――」は山里、「怪物」は諏訪湖周辺とともに長野県がロケ地だ。「土を喰らう――」ではジュリーが枯れた演技で自然に溶け込んでいたが、「怪物」では妻の田中裕子が〝モンスター女優〟ぶりを発揮し、作品に深みと凄みをペイストしていた。

 ドキュメンタリー作家時代を含め、多くの是枝作品に接してきたが、「怪物」は衝撃と弛緩を俺にもたらした。だから、ブログをアップするのが遅れた。普段なら記憶の底に刻まれた台詞やシーンを再構成して理解、いや、感想に至るのだが、「怪物」は違った。残された様々な謎に惑い迷う。道具なしでロッククライミングに挑むのに似ていた。

 「怪物」は3部構成で映画「羅生門」方式を取っている。冒頭はベランダから眺める火事のシーンで、第1部はシングルマザーの麦野早織(安藤サクラ)の主観で描かれる。小学5年生の湊(黒川想矢)を車で捜しにいった早織は廃線跡のトンネルで見つける。「怪物、だーれだ」と呼び掛けていた湊の視線の先、光が点滅していた。湊は乗り込んだ車から飛び降りる。

 車内の会話で母は<お父さんのように普通であること>を強調する。本作の後景にあるのは<普通>だ。カンヌ国際映画祭で脚本賞に加え、LGBTQをテーマにしたクィア・パルム賞を受賞したという前情報とタイトルで、俺は<カップル>と<怪物>探しをしながら見ていた。何が<普通>は時代によって変わるが、日本は性的マイノリティーが生き辛い社会だ。ちなみに湊は、母が<普通>と見做す父が不倫旅行中の事故で亡くなったことを知っている。

 「おまえの脳は豚の脳と入れ替えられた」……。担任の保利(永山瑛太)が湊にこう言ったと息子に聞かされた早織は学校に赴き、伏見校長(田中裕子)を含めた教員たちに抗議する。煮え切らない態度に怒りを爆発させた早織が数日後に保利を問い詰めると、息子がイジメの加害者だと告げられる。該当する星川依里(柊木陽太)宅を訪ねると、依里は保利による湊への暴力を仄めかした。

 保利を糾弾する保護者会のシーンで第1部は終わり、時間を遡行して保利の主観で第2部が始まる。火事で騒々しい街を保利は恋人の広奈(高畑充希)と歩いている。第1部では異常さを垣間見せた保利だが、教室での言動から熱心に生徒と接する教師であることがわかる。なぜ冤罪で離職しなければならない状況に追い詰められたのかが描かれていた。

 放火や猫殺しを巡る謎に加え、校長の孫を轢いた犯人についても、状況証拠から推察されるが明らかにされない。放火については校長の目の前でチャッカマンを落とした依里が怪しいが、火事の規模を考えると断定出来ない。湊との会話で孫を轢いたと受け取れる校長だが、罪を被ったとみられる夫に面会に行った際のやりとりが奇妙だった。無数の人間がSNS上で<正論>めいたものを作り上げる作業こそが<怪物>といえないこともない。

 是枝はかねて坂元裕二をリスペクトし、ともに映画を製作したいと考えていた。その精華というべき「怪物」は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」へのオマージュだ。第3部は湊の主観で描かれ、秘密基地である車両での依里との会話に、無垢な感情が表れている。靴を隠された依里のために自分の片方の靴を差しだし、2人でケンケンするように帰宅するシーンも印象的だ。ちなみに、追い詰められて学校で飛び降り自殺を試みた保利もまた、片方しか履いていなかった。依里の作文に秘められたメッセージの意味を知ったのは、出版社に誤植を伝えるのが趣味という保利だからこそといえた。

 台風の夜、湊は依里の家に行き、湯船でぐったりしていた依里とともに秘密基地に向かう。なぜか校長が雨に濡れて湖を眺めていたが、本作関連の書籍を読んだ知人によると、カットされた部分で校長は重要な役割を果たしているらしい。湊と依里は翌朝、晴れ渡った草原を駆けている。道を閉ざしていた柵は消えていた。2人は生きていたのか、死後の世界なのか……。是枝と坂元は見る側に答えを委ねている。

 坂本龍一が担当したテーマ曲も心に染みたし、不思議な存在感を湛える同級生の少女も魅力的だった。校長が湊に言う「誰にでも手に入らないものは幸せではなく、誰にでも手に入るものが幸せ」は逆説的だが、是枝は脚本の冒頭、<世界は、生まれ変われるか>と記し、撮影に臨んだ。豚の脳とは同性愛を指した依里の父(中村獅童)の造語だった。多様性に価値を置く国に変わることを願ってやまない。
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