酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「フィールズ・グッド・マン」~イメージを増殖するミームの恐怖

2021-04-25 20:03:19 | 映画、ドラマ
まずは、前稿の続きを……。「憲法映画祭」2部終了後、帰路に就く。東中野駅頭で若者に声を掛けられた。ノーベル平和賞を昨年受賞した国連世界食糧計画(WFP)の情宣で、定期的寄付を募っていた。会の余韻で熱が充満していたためか、彼に正義を振りかざしてしまう。

 <難民や飢餓に苦しむ人たちを援助するWEPの理念は素晴らしいけど、元凶というべき国連常任理事国、とりわけアメリカの武器輸出を止めない限り、何も変わらない。兵器を造る企業や取引する商社に寄付を募ればいい>……。俺の言葉に真実はあるが、唐突だったと思う。彼に申し訳ないことをした。

 先日、新宿シネマカリテで「フィールズ・グッド・マン」(2020年、アーサー・ジョーンズ監督)を見た。漫画家マット・フューリーは06年、「ボーイズ・クラブ」の連載を始めた。マットの分身ともいえる主人公のカエルのぺぺは、<インターネット・ミーム>(ミーム)で別の貌を持つようになる。模倣→キャラ改変を重ね、SNS上で拡散した。

 きっかけはペペがパンツを下ろして用を足す際にこぼした「フィールズ・グッド・マン」(気持ちいいぜ)だった。筋トレに励む男たちが「気持ちいいぜ」と言いながらバーベルを挙げる動画が続々アップされる。ユルくて弟分的キャラのペペに、真逆の攻撃性が付与されたのだ。「ボーイズ・クラブ」のファンは社会に適応出来ない引きこもりが多く、〝リア充〟への根強い反感を共有していた。増幅された憎悪が投影され、ペペのイメージは歪んでいった。

 本作はSNSがもたらした奇跡の、そして悪夢の経緯を追ったドキュメンタリーといえる。若者がペペのメイクやコスプレ姿で暴力的なコメントを投稿するようになり、マットの友人たちは対策を講じるようアドバイスする。アーサー・ジョーンズ監督もそのひとりだったが、マットは聞き流していた。自身もアンダーグラウンドの表現者であり、ファンとの近しい距離を大事にしたかったからである。

 アナログの俺に仕組みはわからないが、日本でも億単位の収入を得ているユーチューバーが話題になっている。投稿で稼げるから、ペペのファンも耳目を集めるため過激さを増していく。ペペは仮想通貨の世界でも莫大な富を生むようになった。


 「アイラビスタ銃撃事件」がメルクマールになる。犯人の車に銃を持って同乗するペペの姿(もちろん非現実)が4chan にアップされるや、ペペのミームを使った銃撃予告が相次いで投稿された。ペペは凶暴でベータ(非モテ)の象徴と見做されるようになったのだ。

 この動きを見逃さなかったのがトランプ陣営だ。ネット戦略担当者やオルト・ライト指導者は積極的にペペに関わる。ペペの髪形をしたトランプが掲示板に投稿されたことで空気は変わった。<トランプは報われない君たちの味方>というポーズは〝自分は無力、無価値〟と絶望していた若者に受け入れられ、〝リア充〟の象徴というべきクリントンの演説会で突然、「ペペ」の掛け声が頻繁に上がるようになる。メディアは当初、事態を把握していなかった。

 「トランプは現実世界のペペ」と言い放つオルト・ライトが闊歩し、トランプ支持者の集会ではペペのTシャツを着たり、メイクをしたりする者が溢れていた。その結果、ペペは「ヘイトシンボル」に登録される。事ここに至り。マットはようやく〝ペペ奪還〟に向け動きだした。

 ウォール街占拠、様々な抗議活動、グレタ・トゥーンベリに端を発した気候正義など、SNSは世界が変わるきっかけをつくった。一方で、増幅した匿名性の悪意で追い詰められる人々が後を絶たない。被害は今、医療関係者にまで及んでいる。

 マルクス・ガブリエルはくSNSをツールにした消費資本主義が蔓延し、自らの意志はコントロールされている>と語り、SNSの活用を最小限にとどめている。ガブリエルと対談したカート・アンダーソンは<SNSによって現実と混濁した幻想が制御不能になった>と語っていた。〝SNSの暴走者〟の代表格がペペを利用したトランプ陣営であることを本作は抉っていた。

 ラストにカタルシスを覚えた。アメリカで歪められたペペが、香港では本来の姿になって復活する。ペペは自由と融和のシンボルになり、民主活動家はグッズを手にデモに参加していた。マットは希望を抱いたはずだ。

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