酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ダロウェイ夫人」の毒に当たって

2009-02-01 02:14:05 | 読書
 わたしは物事や人の本質を一瞬で見抜いてしまう……。

 先日亡くなったアップダイクの「ウサギ」シリーズに登場する少女の言葉だが、彼女は作品中、あっけなく死んでしまう。ヴァージニア・ウルフも然りだが、直感の鋭い女性は不幸と背中合わせなのだろう。

 高校時代、新潮文庫目録が愛読書だった。次の夏休みには……、大学生になったら……。計画を立てるのが楽しみで、ウルフも候補の一人だったが、縁がないうち絶版になってしまった。

 米映画「めぐりあう時間たち」(02年、ダルトリー)をきっかけに、30年のペンディングを経てウルフの世界に迷い込んだ。「オーランドー」と「短編集」に続き、「めぐりあう時間たち」の原作「ダロウェイ夫人」を読んだ。

 クラリッサ・ダロウェイを起点に主観を繋げ、ポンド通りが描写される冒頭部分にいきなり圧倒される。<フォークナー⇒南米文学⇒ラシュディら英語圏作家>がモダニズムの本流という俺の“文学史の常識“は木っ端微塵にされた。本作が発表された1925年は、フォークナーのデビュー1年前だったからだ。

 客体と主体を乖離させる試み、意識の流れの追求、前衛性と実験性、濃密で繊細な描写……。本作を読むうち、胃がチクチクしてきた。“文学の毒”に当たったというべきだろう。

 ブルジョワジーの倦怠と憂鬱に苛まれるクラリッサは、面識がないセプティマスとルクレチアのスミス夫妻と感応する。第1次大戦従軍時のトラウマに苦しむセプティマスの自殺に、クラリッサの心は激しく動揺した。

 <死は挑戦なのだ。死は中心部に通じようとする企てなのだ。人々は、中心部に達することが不可能だと感じている。それは神秘的に彼らを避けるのだ。近さは遠くになり、有頂天は消え失せて、ひとはひとりぼっちになる。死の中にこそ抱擁があるのだ>……。

 俺はクラリッサの死を予感した。結末は書かないが、クラリッサのモノローグに16年後、自ら命を絶つウルフの死への希求が窺える。

 老いも本作のテーマの一つだ。クラリッサとかつての恋人で風来坊のピーター、クラリッサが憧れたサリーも50代になり、若き日の煌きを失っている。自ら敗者と位置付けるピーターに強いシンパシーを抱いてしまった。

 社会主義に関心を抱き、フェミニズムの走りで同性愛の志向も強かったウルフは、文学においても思想においても革新者だった。出会いは遅れたが、10年前でも明らかに敷居は高かった、ウルフの作品に今後、少しずつ接していきたい。

 学生時代、「バージニア・ウルフなんてこわくない」(66年)を見た。オスカーを得たエリザベス・テーラーはとてもこわかったが、題名の由来はいまだによくわからない。



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2 コメント

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映画もぜひ (酔生夢死浪人)
2009-02-01 18:26:36
 「めぐりあう時間たち」は「ダロウェイ夫人」を忠実になぞったわけではなく、ウルフの感性と精神を21世紀に甦らせた大傑作です。

 ぜひご覧になってください。
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Unknown (ちこ)
2009-02-01 15:01:49
「ダロウェイ夫人」は原作を読み、感銘を受けました。
映画は未見ですが、ぜひ観てみたいと思います。
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