酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

音楽は自由と解放を希求する~「BLUE GIANT」&ボブ・マーリー

2024-02-27 21:35:37 | 映画、ドラマ
 老いて感性が鈍った俺は、ロックファンを引退して久しい。ライブに足を運ぶことはなくなったが、部屋でCDを流していることが多く、ロックに限らず音楽を読書の供として用いている。今回は魂を揺さぶられた音楽映画を2本紹介する。まずはWOWOWで放映された「BLUE GIANT」(2023年、立川譲監督)から。

 原作は石塚真一による漫画で上原ひろみ(ジャズピアニスト)が音楽を担当したアニメーションだ。トップミュージシャンがサウンドを担当し、演奏シーンをリアルに再現するため3DCGを多用している。主人公は〝世界一のジャズプレーヤー〟を目指す大(声=山田裕貴)で独学でテナーサックスを吹いている。凄腕のピアニストである雪祈(声=間宮祥太朗)、同郷の友人でドラム初心者の玉田(岡山天音)とともにJASSを結成した。18歳の若いトリオである。

 ジャズ界の現状はわからないが、<組んだ者を踏み台にしていくのがジャズ>という雪祈の言葉には説得力を感じた。不慮の事故で右手が利かなくなった雪祈、プロ志向がなかった玉田はJASSを最後に活動を終え、大は海外に旅立つ。青春映画の傑作で、雪祈の慟哭に感応し、ラストで涙腺が決壊していた。

 大は体を折るようにして音を吐き出す。自分自身を解放し、限りない自由を手に入れるためだ。かつてジョン・レノンは「インテリっぽい音楽は好きじゃない。クラシックやモダンジャズが嫌いな理由も同じ。ああいう音楽を取り巻く連中が嫌いなんだ」と語っていた。あれから半世紀……。ロックは今、解放と自由を表現する手段になり得ているのだろうか。

 解放と自由を志向する音楽映画を新宿シネマカリテで見た。「ボブ・マーリー ラスト・ライブ・イン・ジャマイカ レゲエ・サンスプラッシュ」(1980年、ステファン・ポール監督/ジャマイカ・西ドイツ合作)である。1979年7月、マーリーの祖国における最後のパフォーマンスになった第2回レゲエ・サンスプラッシュでのライブが収録されている。同じステージに立ったバーニング・スピア、サード・ワールド、ピーター・トッシュのパフォーマンスもたっぷり収録され、当時のジャマイカの人々の様子も映し出されていた。

 マーリーのアルバムはライブを含め数枚購入したが、CD化されたものは持っていない。上記のアーティストやジミー・クリフも同様で、レゲエファンではない俺が作品中のパフォーマンスについて論じても説得力はないが、それでも俺にはマーリーのステージが突出しているように感じた。取ってつけたみたいと思われるかもしれないが、理由を記したい。

 まず、歌詞がゆったりしている。非英語圏の人が聴いても口ずさめるメロディーのリフレインは、カラオケで歌えるような感じで胸に響いてくる。鍛えられたフィジカルで曲を表現するマーリーに突き動かされ、ラストでは多くの聴衆がステージで踊っていた。何より効果的だったのはコーラスとダンスを担当する3人の女性たちだ。ラスタファリのシンボルカラーを纏った彼女たちの明るさがステージを支えているように感じた。

 マーリーはジャマイカの現実を熱く語る。多くの国民は格差と貧困に喘いでおり、レゲエとはスラムやゲットーから生まれた反抗の音楽なのだ。レゲエの根底にあるのはジャマイカの労働者や農民の間に発生したラスタファリ運動だ。エチオピア最後の皇帝であるハイレ・セラシエ1世をシンボルに掲げるアフリカ回帰運動で、菜食主義、ドレッドヘア、ガンジャ(麻薬)常用を生活の基礎においている。最下層からの叫びと宗教的な色彩が融合したのがレゲエだといえる。

 スカパーで放映されたチバユウスケの追悼番組(3時間)を見た。ミッシェル・ガン・エレファント、ROSSO、バースディで残したライブ映像を編集した内容だったが、チバもまた解放と自由を希求した希有なロッカーであったことを再認識できた。
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