酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「オッペンハイマー」を独自の切り口で綴る

2024-04-05 22:07:28 | 映画、ドラマ
 新宿ピカデリーで先日、「オッペンハイマー」(2023年、クリストファー・ノーラン監督)を見た。アカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞を含め計7部門でオスカーを獲得した同作だが、意外なほど観客は少なく、600弱のキャパで100人ほどだったろうか。ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)の懊悩に迫る3時間の長尺だが、緊張感が途絶えることのない傑作だった。

 聴聞会と公聴会のシーンはモノクロで撮影するなど、ノーランの作意が伝わってきた。<科学者の宿命>、<政治と科学>といった切り口で識者が語り尽くしている感はあるが、<量子力学>と<スペイン市民戦争>を切り口に加えて綴りたい。

 起点は1920年代後半だ。ユダヤ系移民のオッペンハイマーはハーバード大卒業後、英ケンブリッジ大に留学する。実験が苦手だったオッペンハイマーは量子力学の研究者として頭角を現した。1990年代、量子力学と東洋哲学をリンクさせる書物がブームになり、何冊か目を通した。本作でもインドの聖典「バガバッド・ギー ター」の中の「我は死なり、世界の破壊者なり」にオッペンハイマーが衝撃を受けた様子が紹介されていた。

 ロスアラモス研究所のトップとして原爆を開発し、〝原爆の父〟と評されるオッペンハイマーだが、冷徹な科学者ではなく、繊細で壊れやすい人であったことが、幾つものエピソードで示される。詩を愛し、数カ国語に通じていたオッペンハイマーは、戦争終結後にトルーマン大統領と面会し、「私の手は血塗られている」と語る。「あの泣き虫を二度と通すな」と怒りをあらわにしたトルーマンの対応は、権力中枢の政治家たちの思いを代弁していた。

 オッペンハイマーは、天から火を盗み人間に与えたギリシャ神話のプロメテウスにたとえられていた。広島と長崎の実情を知って苦悩するが、壊滅的な被害をもたらす水爆製造にはストップをかけていた。意見が対立したストローズ原子力委員会委員長(ロバート・ダウニー・Jr.)は策略を巡らして赤狩りの嵐が吹き荒れる1954年、オッペンハイマーを非公開の聴聞会に呼ぶ。ソ連のスパイ容疑だ。

 1930年代、世界の耳目を集めたのはスペイン市民戦争だった。人民政府を支持するインテリ層は義勇兵として参戦し、フランコ反乱軍と戦う。その内実に迫ったのがポウム(トロキスト政党)の国際旅団に加わったジョージ・オーウェルによる「カタロニア讃歌」だ。オッペンハイマーの友人にはアメリカ共産党の党員が多くいた。最初の妻ジーン(フローレンス・ピュー)と2番目の妻キティ(エミリー・ブラント)はともに共産党員で、キティの前夫はスペインで戦死している。

 オッペンハイマーもシンパシーを抱いた時期はあったが、共産党には加わらなかった。共産主義を信奉している者だけでなく、社会主義者、リベラル、良心的な民主主義者が集っていたが、オッペンハイマーはリベラルで距離を置いていたように感じる。スペインで教条的に振る舞い、人民戦線を裏切った共産党に絶望したオーウェルに近い心情を抱いていたのではないか。それでも、FBIは盗聴するなどオッペンハイマーを徹底的にチェックしていた。離婚後も愛は変わらなかったジーンの謀殺を仄めかすエピソードも収められている。

 赤狩りが終息した1959年、ストローズの閣僚就任の賛否を問う公聴会が開催される。承認は決定的と思われた時、ヒル博士(ラミ・マレック)の証言が波紋を広げる。水爆開発を巡るオッペンハイマーとストローズの対立、盗聴、聴聞会開催の経緯が詳らかにされ、ストローズの閣僚就任は3人の議員によって否決された。そのうちの一人がジョン・F・ケネディである。

 話は逸れるが、赤狩りは決して終わったわけではない。黒人差別、ケネディ兄弟とキング牧師の暗殺は赤狩りの負の遺産を引き継いでいるし、トランプを支持する宗教右派ら保守層は延長線上にある。当時、<非米>というリトマス紙で左派、リベラルを一括りにしたが、二分法で物事を両断する思考が現在も蔓延している。例えば、ガザでのジェノサイドを批判する良識派を<反ユダヤ主義>にカテゴライズする由々しき傾向だ。

 アインシュタイン(トム・コンティ)とオッペンハイマーが話すシーンも記憶に残る。理論的に核分裂の可能性を示したアインシュタイン、そして現実にしたオッペンハイマー……。その時、オッペンハイマーの目にはプロメテウスの業火が燃えさかっていた。

 3時間では描き切れない稠密な物語に魅せられた。立ち位置は異なるが、オッペンハイマーとの友情を守り通したグローヴス陸軍准将役のマット・デイモンなど豪華なキャスティングにも圧倒される。被爆した日本は〝アンサー映画〟を製作するべきではないか。
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