酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「青い月曜日」再読~開高健は醒めたベートーベン?

2024-04-10 22:04:37 | 読書
 将棋の叡王戦第1局は藤井聡太叡王(八冠)が107手で伊藤匠七段を下し、好スタートを切った。伊藤は対藤井11連敗になったが、本局は終盤まで互角の形勢だった。藤井の99手目▲8四歩が勝敗を決したが、他の手では伊藤に分があった。〝絶対王者〟藤井だが、今年に入って銀河戦、NHK杯、朝日杯の決勝で3連敗する。一発勝負ならチャンスありということか。名人戦がきょう開幕した。豊島将之九段の醒めた闘志に期待したい。

 大学生の頃、貪るように本を読んだ。俺を文学に導いてくれたひとりが開高健である。開高の言葉の爆弾に火照った心を冷ますため、夜の街を歩いたこともあった。開高はベートーベンのように熱く、そして醒めていた。鋭敏な開高は、他人の心の内や俗情の在り処を透明なナイフで抉ってしまう。別稿(2022年10月1日)で再読した「輝ける闇」を紹介したが、身体を通さない言葉に辟易した開高はベトナムに向かったのだろう。開高の原点は大阪空襲で、自伝的作品といえる「青い月曜日」(1969年、集英社文庫)を再読した。

 本作は「戦いすんで」、「日が暮れて」の2部構成になっている。冒頭は大阪の操車場で、勤労動員された中学生の主人公(開高)は同級生とともに働いていた。戦時中で空腹を抱えながら、制限付きの自由を謳歌している様子が興味深い。仮とはいえ国鉄職員の身分を保証されており、魚釣りの穴場を探すなどあちこち出歩いていた。秀でた記憶力を誇る者、文学に興味を持つ者、性への好奇心旺盛の者……。個性豊かな同級生に囲まれていたが、少年たちに限らず老若男女を襲うのは空襲である。

 「空襲でっせえ」「米さんがきましたでえ」と声を掛け合って防空壕に避難するのだが、数時間後に街に出ると、廃墟には腐臭が漂い、校庭には死体が並んでいる。「輝ける闇」でも戦争の惨禍は描かれていたが、「青い月曜日」では死についての開高の原体験が綴られている。B29のパイロットと視線が合うシーンなど生々しい実体験が記されている。<死>と対峙しながら生きることがもたらす倦みと麻痺が行間から滲んでいた。「輝ける闇」で開高が高僧、クエーカー教徒の米国人、当地のインテリたちと議論する場面があったが、本作では山奥で出会う〝木を食う男〟が興味深い。世界を冷静に分析する隠遁者は実際に存在したのだろうか。

 玉音放送で戦後になり、主人公は職を転々としながら世を渡っていく。社会が秩序に復していく過程を、開高の冷徹な目が捉えていた。64年から書き始めた本作は「輝ける闇」と執筆期間が重なっており、ベトナムから帰還後に完成を見た。自身を振り返る作業は苦しかったようで、第1部と第2部の文体の差が生じたのも理解出来る。<記憶→ベトナム>ではなく、<ベトナム→記憶>のベクトルで本作は綴られたのかもしれない。

 開高と妻の牧羊子との結婚に至る経緯も描かれている。羊子は詩人であると同時に物理学者で、矛盾するように思える志向性が前稿で紹介したオッペンハイマーに重なった。ジェンダー意識が低かった時代、開高の小説にも女性差別的な表現が散見する。生活の糧を求めてあくせくする母親、そして羊子の現実感覚にあきれていたことが窺える。

 「青い月曜日」とは英語でいえば「ブルー・マンデー」となる。「ブルー・マンデー」(83年)といえば、前身バンドであるジョイ・ディヴィジョンのフロントマンだったイアン・カーティスが自殺した月曜日のことを歌ったニュー・オーダー曲が名高い。〝二日酔いの月曜日〟という意味もあるらしいが、酩酊を楽しんだ開高はいかなる意味をタイトルに与えたのだろう。
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