酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

煌めきを永遠に焼き付ける「6才のボクが、大人になるまで。」

2015-01-10 13:46:57 | 映画、ドラマ
 今回のテーマとも関係はあるが、大人になる意味を考えてみた。むろん俺自身、アラカンなのに大人でないことは弁えている。年頭の抱負に<格好悪くはみ出す>を掲げるなんて、日本の〝いい大人像〟とは対極だ。

 欧州で20代を過ごした友人は、「日本の大人よりフランスの5歳の子供の方が、遥かに自分の意見を持っている」と話していた。阿部和重は「幼少の帝国」で、マッカーサーと昭和天皇の身長差が歴然としたツーショットが、日本人の成熟拒否――アメリカを父に、自らは子供のまま――を助長したと指摘している。

 池澤夏樹が「春を恨んだりしない」で抉った<地震も原発事故も悪政もすべて宿命として受け入れる日本人>を、美徳として描き続けているのがカズオ・イシグロだ。長崎出身のイシグロは5歳時に渡英し、ブッカー賞作家になる。作中の登場人物は、理不尽で過酷な仕組みを粛々と受け入れるのだ。まるで現在の日本人のように……。

 日比谷シャンテで先日、「6才のボクが、大人になるまで。」(14年、リチャード・リンクレター監督)を見た。オスカー最有力候補と見做され、前哨戦で受賞を重ねている。

 メイソン・ジュニアを演じたエラー・コルトレーンが6歳だった02年に撮影が始まり、姉サマンサ(ローレライ・リンクレーター)、母オリヴィア(パトリシア・アークエット)、父メイソン・シニア.(イーサン・ホーク)が映画に合わせて年を取る。積み重ねられた感情がナチュラルに伝わってきた。

 オリヴィアは夫と別れ姉弟を育てているが、子供たちは同じ目線で接する父が大好きだった。復縁を願っていたが思いは通じず、母は紳士然とした大学教授と再婚する。明らかに最悪の選択で、離婚後に付き合った軍隊帰りの男ともすぐに別れ、実質バツ3になった。

 父の型にはまらない気質を受け継いだメイソンは、興味の対象を変えながら、柔軟な感性を磨く。性の目覚め、背伸びした自己アピール、不良っぽさへの憧れと、10代の少年にとって成長への栄養素が描かれていた。周りに温かく見守られたメイソンは、多様性を認める姿勢を身につけ、表現を志向するようになる。〝大人の扉〟を開けたメイソンに比べ、母と父の12年はどうだったのだろう。

 母は大学で心理学を教えているるが、自身は〝心理的欠点〟を抱えている。強い男に惹かれる傾向があるが、強さの裏返しは高圧的、支配的だ。無意識のうちに庇護を求めてしまう母は、成熟し切れない大人と言えなくもない。巣立つ息子を悄然と送る母が心配になった。フィクションなのに実在の家族のように感情移入してしまうのも、本作の魅力だ。

 舞台は保守的なテキサスだが、オバマ支持の父とともに、メイソンも選挙運動に協力していた。リベラルだった父だが、再婚相手の両親はガチガチの保守派である。それでも義父母と親しく付き合う父はある意味、日本的な大人になって、周囲とうまく同化している。

 アメリカ映画やドラマに感じていたが、パーティーが生活の基本になっていることが本作でも窺えた。多民族国家アメリカでは、カリキュラムにディベートが組み込まれているという。成果を試す格好の場がパーティーで、母にもメイソンにも新たな出合があった。

 本作は純水のように清々しく染み込んできたが、肝はラストシーンだ。テキサス大に進んだメイソンは、寮のルームメートに誘われハイキングに出かけ、会ったばかりの女の子に、一瞬を大切にすることの意味を話す。煌めきを捉え永遠に焼き付ける写真に憑かれたメイソンらしい言葉だが、俺が真理に気付いたのは10年前のこと。大人になれなかったのも仕方がない。

 ロックムービー的な色合いもあり、ウイーザー、ヴァンパイア・ウイークエンド、キングス・オブ・レオン、ブラック・キーズ、フォスター・ザ・ピープルなど、当ブログで紹介したバンドの曲がちりばめられていた。

 画面が暗転し、映画の中で時が同時進行する画期的な試みにピリオドが打たれた。エンドマークとともにアーケイド・ファイアの「ディープ・ブルー」が流れる。湿っぽい余韻は去らず、メイソンの夢の続きに思いを馳せつつ、帰路に就いた。
コメント
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