酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「表現の不自由展」で、バラカン氏のバランス感覚を学ぶ

2015-01-27 23:23:19 | 社会、政治
 シャルリー・エブド紙襲撃を受け、大規模なデモがパリで開催された。その先頭に40カ国を超える政府首脳が立ち、民衆とともに抗議した……と伝えられたが、フェイクだったことが判明した。

 英インデペンデント紙は、<首脳たちは〝安全地帯〟で腕を組んだものの、民衆と行進しなかった>と明かした。APやロイターもグルだった可能性が高い。この件に関心のある方は、想田和弘氏(映画監督、作家)のウェブマガジン「観察する日々」をご覧になってほしい。

 「デモクラシー・ナウ!」ウェブ版では、ジェレミー・スケイヒル氏(インターセプト共同創設者)が「集結した首脳たちは全員、言論の自由に敵対している。パリで起きたのは偽善の大騒ぎ」と斬っていた。確かに、<民衆とともに>という意識と程遠い輩といえる。

 英国から来日して40年になるピーター・バラカン氏(音楽評論家、キャスター)が、開催中の「表現の不自由展」(2月1日まで、ギャラリー古藤)でトークイベントを行った。各メディアで紹介されたこともあり満員御礼だった。

 中国や東チムールの慰安婦の写真、韓国の慰安婦像、昭和天皇のコラージュや戯画、現在の日本を抉る彫刻、放射能汚染を訴えるサウンドスケープ、強制連行された朝鮮人の慰霊碑の写真、九条俳句……。この間、展示中止、掲載拒否、撤去処分の憂き目を見た作品群が並んでいる。「表現の不自由展」は、現状を危惧した人たちによる手作りのイベントだった。

 バラカン氏の原点は、来日によって異なる文化に出合ったことではないか。60年代のロックは英国の空気を変えたが、何より影響が大きいのは69年に放映がスタートした「モンティ・パイソン」だという。同番組ではBBCにもかかわらず、女王や権力者を嘲笑の対象にした。後の英国コメディーも、「モンティ・パイソン」の気風を引き継いでいる。

 その感覚のまま来日したバラカン氏は当初、「危ない奴」と見做されたという。大抵の英国人は王室に遠慮せず、敬語も付けない。皇室批判がタブーの日本とは真逆だが、バラカン氏は欧州スタンダードを押し付けることはしない。英仏流の風刺の精神は他の文化圏、とりわけイスラム社会では受け入れられないはずだ。

 前稿にも記したが、バラカン氏は「シャルリー・エブド紙は風刺画掲載が引き起こす事態を予測できたはず。私が編集部の一員だったら間違いなく掲載に反対した」と語っていた。むろん、その点について、自身が正しいとは主張しない。表現の自由はどこまで許容されるべきか、笑いの対象をどこまで慮る必要があるのか……。自由やユーモアを語る際、避けて通れない奥深いテーマだ。

 バラカン氏は現在の日本を、9・11直後のブッシュ政権下に重ねていた。その目に、居丈高に振る舞いながら自信なさげな安倍首相、有形無形の圧力を予定調和的に受け入れる自粛ムードが異様に映っている。

 日本人は〝形ばかりの中立〟を好むとバラカン氏は指摘し、その典型に記者クラブ制度を挙げ、結果として「東京新聞以外は均質化してしまった」と語っていた。最近の傾向で気になるのは「日本よいしょ」、「日本に生まれてよかった」という風潮で、とりわけ民放のバラエティーに顕著に表れているという。

 メディアの偏向を批判する声も強いが、内側にいるバラカン氏は至ってクールだ。スポンサーの意向に従うのは暗黙のルールだから、逸脱しようと思えば、上記の「デモクラシー・ナウ!」のような形をとるしかないと考えているのではないか。

 バラカン氏がキャスターを務めていた「CBSドキュメント」で、主要スポンサーを批判する内容がオンエアされた。当スポンサーはその回だけ降り、次回から戻ったという。局の意向について、洋楽は自由に選曲できるが、邦楽には多少の自主規制があることを、RCサクセッションを例に説明していた。

 ヘイトスピーチについてバラカン氏は、英仏独の実態を例に挙げ、差別や排他主義は欧州でも大問題になっていると語る。根底にある格差と貧困を改善することが解決への第一歩と考えているようだ。

 全体として感じたのは、バラカン氏の謙虚さ、バランス感覚、そして複眼的で柔軟な発想だった。テロを未然に防ぐとの名目で、英国は「1984」が描いた超管理社会になったと指摘する声が強い。祖国の現状をバラカン氏はどう考えているのか質疑応答で聞いてみたかったが、挙手する人が多かったので諦めた。
コメント (2)
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