酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「おとなのけんか」~春一番から暴風雨へ

2012-03-23 13:15:23 | 映画、ドラマ
 喧嘩はかつて、火事と並んで江戸の華だった。当事者が引くに引けなくなった頃、野次馬の中から道理を弁えたご隠居が登場し、その場を収める。喧嘩は当時、ストリートに息づく文化だった。

 21世紀になっても、世間の喧嘩好きは変わらない。例えば、あなたの会社……。派閥争いや対立が話題になると、誰しも渋面を作る。でも、その口元は綻んでいる。小泉純一郎元首相、石原慎太郎東京都知事、橋下徹大阪市長といった人気政治家は、揃いも揃って好戦的な喧嘩屋だ。

 メディアにも<常在戦場>を実践する御仁がいる。朝日新聞、清武英利氏に挟撃されてアドレナリンが分泌されたせいか、渡辺恒雄氏は<ヒトラーを想起させる>と橋下大阪市長に喧嘩を売った。しばしの沈黙を経て、橋下氏は「渡辺氏の方が独裁的」とツイッターで反撃に転じる。

 喧嘩で勝つのは、声が大きい者、力が強い方と決まっている。原発など最たるもので、大飯で再稼働すれば、フクシマはやがて風化する。理念と情理を踏まえ、「未来を担う子供たちのため、原発は止めよう」と弱小ブロガーが叫んだところで、万里の長城に立ちションしているようなものだ。

 「おとなのけんか」(11年、ロマン・ポランスキー監督)を日比谷で見た。息子の喧嘩が両親に波及して大人の幼児性が暴かれる内容に、邦題が妙にマッチしていた。舞台はニューヨークだが、製作は欧州4国(フランス、ドイツ、スペイン、ポーランド)で、パリで撮影された。ポランスキーがアメリカに入国できないためである。

 登場人物はマイケルとペネロペのロングストリート夫妻、アランとナンシーのカウアン夫妻の4人だけ。息子が級友を傷つけたことを詫びるため、カウアン夫妻が被害者宅を訪れる。和解成立と思いきや、言葉の綾でこじれていく。物語はすべてロングストリート家で進行する。

 ペネロペは人権問題やアートに関心が強いリベラルで、夫マイケルはステレオタイプの<粗野なアメリカ人>だ。弁護士のアランと投資ブローカーのナンシーは勝ち組カップルだが、子育てや家族に対する考え方は正反対だ。口論の途中、人生観や価値観の違いが浮き彫りになり、夫妻間の亀裂も隠せなくなる。

 ナンシーの嘔吐をきっかけに、各自が3人を敵に回す展開になる。マイケルはブルドッグのように吠え、狡猾なアランはゲームを楽しんでいる。ペネロペ役のジョディ・フォスターは、メイクの陰から素顔を覗かせ、感情の高ぶりを表現していた。4人は果たして坩堝から解放されるのか? ネタバレになるが、カタストロフィを回避する仕掛けがラストに用意されていた。

 アランが顧問弁護士を務める製薬会社で薬害問題が発生し、マイケルの母は手術のため入院している。電話で同時進行する二つのサイドストーリーが密室劇と交錯し、登場人物のボルテージは上がる一方だ。このパターンを十八番にした故ロバート・アルトマンなら、同じ題材をどんな風にさばいただろう……。そんなことを考えながら帰途に就いた。

 クランクアップから半年後、反ウォール街のデモ参加者がブルックリン橋で一斉検挙された。子供たちの喧嘩は橋近くの公園で起きたという設定である。ペネロペが熱く語るスーダンの人権抑圧といえば、ジョージ・クルーニーが在米大使館前の抗議行動で逮捕されたニュースが記憶に新しい。

 処女作「水の中のナイフ」から半世紀、ポランスキーは常に時代や体制と格闘してきた。「ブルックリン橋」と「スーダン」を台詞に組み込んだのは、その過程で培った直感と予知能力の成せる業か。結果として「おとなのけんか」は普遍性だけでなく、時代性も獲得した。


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