酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ヤコブへの手紙」~心を濾過する掌編

2012-03-02 14:06:36 | 映画、ドラマ
 俺はテレビ大好き初老男だが、リアルタイムで見るのはスポーツぐらいだ。15話(2月8日放映)まで追いついた「相棒」にゲスト出演していた萩原聖人は、スピンオフ映画での縁もあり、及川光博の後任に名が挙がっているが、ありえない話だ。最近マトモな役が多い萩原だが、似合うのは屈折したアウトロー。個性も強く、水谷豊と折り合えるとは思えない。

 その「相棒」を見ていて、目が点になった。〝反原発派〟坂本龍一が日産の電気自動車「リーフ」のCMに出演していたからである。広瀬隆氏によれば、充電が必要な電気自動車は、平均的に稼働することが最適の原発にとって理想的な車だという。「CO2が出ないわけですから、こんなに気分がいいことはない」という台詞もそぐわない。武田邦彦中部大教授を筆頭に、「CO2温暖化説は原発容認のためのレトリック」と主張する識者は多い。ブログのネタにしようと思ったら、ネットには既に坂本への疑義が多くアップされている。タイムラグが1カ月もあれば、今さら何を言っても仕方ない。

 CMにもネットにも、デラシネの軽い言葉が溢れている。このブログも同様で、虚言、暴言、妄言の罪で閻魔大王に厳罰を下されるだろう。書き散らかすのが好きな割に、年賀状を含め手紙やハガキを書く習慣はない。無礼、失礼を絵に描いたような俺だが、悪筆の理由の一つだ。若い頃、「字が汚い人は心が奇麗」と慰められたことがあったが、当の女性もかなりの悪筆だった。

 前置きが長くなったが、今回はWOWOWで録画した「ヤコブへの手紙」(09年、クラウス・ハロ監督)を紹介する。心が濾過されるのを覚える70分強の掌編だ。

 いきなり横道に逸れるが、フィンランドについて調べてみた。教育制度の充実とハイテク技術が経済を底上げし、ECでも有数の生活水準を誇るという。清潔な政治と高福祉でも知られるが、本作の背景にも、社会全体が育んだ、片隅で生きる者への温かい視線が窺える。もちろん、いいことばかりではない。列強に蹂躙された苦難の歴史からか銃規制は緩やかで、07年、09年と乱射事件が世界の耳目を集めた。

 本作の舞台は1970年代だ。12年服役していたレイラは恩赦で釈放され、仕事を斡旋される。その内容は、盲目のヤコブ牧師の元に配達された手紙を読み、返事を代筆することだ。美しい自然に彩られ、ストイックかつアンダンテに物語は進行する。

 レイラとヤコブは世間から隔絶し、ともに死者のように生きているが、志向するものは逆だ。ヤコブは優しい気遣いを絶やさないが、レイラは周囲の偏見に自らを合わせるかのように、手紙を捨てるなど邪悪な振る舞いをする。本作で重要なアクセントになっているのは、歌うように手紙の到着をヤコブに知らせる郵便配達人だ。

 高潔な人柄、深い洞察力、豊かな記憶力、鋭い直観力を誇るヤコブだが、手紙が届かなくなり、次第に追い詰められていく。誰もいない教会でのヤコブの奇矯な振る舞いに自らの孤独を重ねたレイラは、絶望の淵で自殺を試みる。

 <今まで私は、自分が神のために役立っていると信じてきたが、逆だったのかもしれん。手紙はどれも私のためだったのだ。神が与えてくださったのだよ。すべてはこの私を天国に導くため>……。レンブラントの絵を思わせる光と影のコントラストで、ヤコブはレイラに語りかける。

 レイラは罪を告白し、「私は許されますか」とヤコブに問う。「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」とヤコブは答えた。法は許しても神は許さない、あるいは神は許しても法は許さない……。<神と法の対置>は死刑問題を考える上でヒントになる。仏教国に置き換えれば<仏と法の対置>だが、日本の裁判員制度の下、レイラはいかなる罪に問われるだろう。

 フィンランド映画といえば、<敗者の3部作>のアキ・カウリマスキだ。非運も重なって主人公はひたすら沈んでいくが、底を打った瞬間、一条の光が射し、生きる希望を取り戻す。「ヤコブへの手紙」も同じ構図で、鮮やかなラストが用意されていた。細い糸に絆が紡がれ、レイラを再生の地へと誘う。

 最近、手紙どころかメールさえ面倒になって、電話で済まそうとするケースが多い。じっくり綴る心情なんて、どこを叩いても出てこないのだ。よくも悪くも、枯れたということか。
コメント (2)
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