酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

内なる<3・11>~上滑りへの自戒を込め

2012-03-11 17:28:06 | 社会、政治
 <3・11>から1年……。メディアは特集を組み、数々の催しが全国で開かれた。これから参加する「DAYS JAPAN」主催の集会(広河隆一、広瀬隆、上杉隆各氏の講演)は次稿、「眼の海」(辺見庸)は次々稿で取り上げる予定だ。今回は内なる<3・11>を、自戒を込めて記したい。

 あの日午後、仕事先で地震を体験した。アンテナが倒れてテレビが映らなくなり、ネットも不調で情報過疎に陥る。運転を再開した地下鉄を降りると、〝夜のピクニック〟に吸収された。帰宅してテレビをつけ、深刻な被害をようやく知る。しばらくの間、映画や読書に時間を割く気にならなかった。3月末までのブログのタイトルを列挙する。

□13日=原発廃止が生きる道~東日本大震災に思うこと
□16日=オルタナティブに、フレキシブルに~脱原発は地方分権から
□19日=輝ける世代のために~棄民国家の大本営発表に騙されるな!
□22日=真実と風評の狭間~〝原発銀座〟近くで考えたこと
□25日=緊急報告会「福島原発で何が起きているか?」に参加して
□28日=震災と原発が写す〝ハダカの日本〟~南相馬市長の言葉が抉るもの
□31日=「石の来歴」に示された<負の円環>~大震災は脱出への契機になるか

 「棄民」や「大本営発表」を、他のメディアに先行して用いたという自負はある。その後も折に触れ、<3・11>をテーマに掲げてきたが、1年を経た今、違和感が膨らんでいる。言葉の上滑りが否めないからだ。地震は天災、原発は人災がたちまち了解事項になり、<3・11>から地震の部分が消えていく。悲しみ、喪失感、絶望は剥がれ落ち、<3・11≒原発事故>に記号化される。俺のブログも、知と理に根差すフワフワした言葉で溢れるようになった。

 昨春は法事とGWで2度帰省した。東京と京都との温度差に戸惑ったが、阪神淡路大震災時の自分を思い出して納得する。当時38歳だった俺は、浮草ライフを満喫し、被災地を他人事のように眺めていた。しばしば<感応力>と<想像力>の重要さを説く俺だが、17年前は両方が欠落した人間未満で、被災者の痛みに共感することは出来なかった。東日本大震災だけでなく、阪神淡路大震災の犠牲者に改めて哀悼の意を表したい。

 揺れを経験したこと、老いて死を間近に感じるようになったこと、放射能が若い世代を蝕む可能性が大きいこと……。いくつも理由が重なり、<3・11>には人間として向き合えた。とはいえ、生活を抱えている以上、出来ることは限られている。俺に当てはめれば、集会やデモへの参加、少額の寄付、そしてブログでの意思表示だ。

 防災対策の不備、奇妙なエネルギー政策、クチクラ化した縦割り行政、進まぬ地方分権、一貫した対米隷属と、<3・11>は日本が抱える問題点を明るみにした。悲劇を機にギアチェンジし、新たな方向に舵が切り替えられるはずが、混迷は深まるばかりだ。復興への道筋は見えず、政府は〝亡国のエネルギー〟原発の再稼働に躍起になっている。被災者の苦しみは浸潤せず、<石原―橋下>の強者の論理が喝采を浴びている。人間として当然の感情が置き去りにされ、自らが弱者になることに誰もが怯えている。

 <3・11>以前、既に日本は壊れていたのではないか。辺見庸は「水の透視画法」で、底が抜けた価値観、日常の不連続、社会の軋みを提示していた。辺見にとって<3・11>は崩壊の象徴ということになる。一方で、<3・11>をシステム崩壊への最後の一撃と捉える政治学者、歴史学者もいる。「中国化する日本」(文藝春秋)で知られる與那覇潤氏(愛知県立大准教授)ら若い世代が多い。

 終焉のシナリオは蔓延しているが、希望に満ちたビジョンは目にしない。老い先短い俺だが、再生への起点を見いだしたいと思う。グローバリズムが崩壊した今、ヒントを欧米に求めても無意味だ。かつて異端視された日本式の中に、それは隠れているのではないか。
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