酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」の解けない謎

2005-09-16 03:56:18 | 映画、ドラマ

 ヴィスコンティ初体験は「ベニスに死す」だった。15歳の時である。「小さな恋のメロディ」のトレイシー・ハイドにウットリしていたガキが、作品の意味を理解できるはずはなかった。

 上京後に見た「熊座の淡き星影」「地獄に堕ちた勇者ども」「家族の肖像」では、家族の相克と崩壊が描かれていた。ヴィスコンティにとって家族とは、ある種のトラウマだったのか。いずれにせよ、ヴィスコンティは<敷居の高い監督>であり続けた。唯一の例外は、ネオレアリズモを確立した処女作の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(42年)である。シネフィル・イマジカで25年ぶりに見たが、記憶の箱にしまわれていた湿った質感が、しっとり皮膚を濡らしていくのを覚えた。

 以下に内容を。放浪者のジーノはとある町に辿り着き、居酒屋兼食堂でジョヴァンナと出会う。ジョヴァンナは店主ブラガーナの若い妻だった。「馬のような肩ね」と語りかけた時、ジョヴァンナはジーナに「救世主」の役割を託していた。ジョヴァンナ役のクララ・カラマイは、年の離れた夫に抑圧される不幸な女と、男を支配する性悪女の両面を演じ切っていた。性的な面を含め能動的な女性を描いた点で、画期的だったと思う。

 ジーノが<漂う者>なら、ジョヴァンナは<とどまる者>だ。ジーノは町を出ることを提案するが、ジョヴァンナは決心が付かない。逃避行は回避され、ジーノは旅芸人イスバとともに放浪生活に戻る。偶然再会した二人は、バンガーナ殺しを企てる。首尾よく事は運んだが、ジーノは罪の意識に苛まれていく。清純な娘に惹かれたり、イスパに旅の誘いを受けたりと、ジーナの心はジョヴァンナから離れていくが、妊娠を告げられたことで、急転回する。再び愛を誓った二人が荒地(地獄?)を彷徨う場面は、「情婦マノン」に影響を与えたに違いない。司直の手が伸びる中、逃亡を謀った二人に、無残な結末が待ち受けていた。

 本作に関して三つの謎を設定し、自分なりに答えを出してみた。
 <謎①~なぜ上映禁止になったのか>…犯罪映画という反倫理的側面、過度な官能性、幼い少女を警察の密告者として描いたことが、当時のファシスト政権の気に障ったのだろう。
 <謎②~なぜ頻繁に映画化されるのか>…ジェームズ・ケインの原作は、曖昧で両義性を内包する<触媒>として、映像作家を痛く刺激するのだろう。ちなみに、原作の舞台はモータリゼーションが萌芽を迎えた30年代のカリフォルニアで、81年版(J・ニコルソン主演)はシニカルなピカレスクを忠実に再現していた。本作の舞台はムソリーニ治下のイタリアで、閉塞感が画面から滲んでいた。
 <謎③~タイトルの意味>…計画された殺人が事故と処理され、完全な事故は殺人として裁かれる。<二度ベルを鳴らす>はこの点を仄めかしたのかもしれないが、<郵便配達>の意味は「?」のままだ。読み解いている人がいると思うと、癪な気がする。

 最後に。何でも政局に引っ掛けるのが癖になってしまったが、「郵政国会第2ラウンド」は21日に始まる。反対派総崩れ、野田聖子氏が小泉自民党総裁を首相指名と、あきれるニュースばかりが伝わってくる。どうせなら、開幕と閉幕のベルを同時に鳴らしてほしい。<勝者の奢り>と<敗者のおもねり>ほど、醜いものはないのだから……。

コメント (2)
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