昨日(21日)、後藤田正晴氏が亡くなった。享年91歳である。冥福を祈りたい。内務官僚から警察庁長官を経て、田中元首相に請われて政界入りした。警察庁長官時代、佐々淳行氏らを配し、左派への「ローラー作戦」を指揮したが、衆院選で大量の違反者を出し、取り締まられる側に回る。同氏はある時期、日本中が眉を潜める「ヒール」だった。
田中元首相の懐刀だった後藤田氏だが、中曽根内閣で官房長官に就任する。同氏にダブって見えたのは、KGB議長を経て書記長に登り詰めたアンドロポフ氏だ。ジョ-ジ・オーウェルの「1984」が日ソで現実になったと感じ、暗澹たる気分になったが、案に相違し、同氏は中曽根首相のブレーキ役を果たす。ペルシャ湾への掃海艇派遣、靖国参拝問題など、内外の世論に配慮して的確な判断を下した。従軍した台湾で捕虜生活を経験したことが、ハト派の部分を引き出したのかもしれない。同氏は最晩年、護憲と民主主義擁護の立場で、小泉内閣に苦言を呈し続けていた。
さて、本題。昨日は五代目古今亭志ん生の命日でもあった。没後32年、NHK教育の「こだわり人物伝」で志ん生が取り上げられている。4回シリーズの最初は見逃したが、2、3回目を見た。進行役の山本晋也氏は、興味深いエピソードを紹介しつつ、志ん生の特異な思考回路に迫っている。池の側の木に1時間ほど止まっている鳩を見て、弟子に「何を考えてるんだろう」と問い、「ひょっとすると身投げだ」と言葉を繋いだという。食べられるサンマの身になって川柳を読んだりもしている。山本氏は独特の無常観、生命観と捉えているが、「主体」と「客体」を逆転させた自由な発想とも言えるだろう。
番組内で流された志ん生の映像が、大きな収穫だった。65歳時の高座で、演目は「風呂敷」である。山本氏によると、「ふるしき」と読むのが正解らしい。透徹した威厳のある目に圧倒された。三途の川で各の人生を量る閻魔様も、あんな目をしているに違いない。「志ん生はどこか虚無的で、人間の業を理解している」という山本氏の分析は、正鵠を射ていると思う。
CDを聴いていると、志ん生がいかに「枕」を重視していたかわかる。「枕」とは、高座に登場した落語家が、噺に入るまで客を和ませる部分だ。「あなた方が育ての親なんだから、親に縋るしかない」なんて笑わせ、姿を見ただけでざわめく客席に、「まだ何も話しておりませんので」と茶々を入れたりする。カストロとカストリを引っ掛けたりと、実に工夫を凝らしている。客との間合いを常に計っていたに違いない。好きな演目を挙げれば「強情灸」、「疝気の虫」、「黄金餅」、「そば清」、「宿屋の富」あたりか。艶笑噺の「鈴ふり」も絶品だ。いずれの演目にも、極貧と放蕩で磨かれた洞察力を感じてしまう。
最終回の「こだわり人物伝」(27日)では、満州抑留の「空白の600日」が長女によって明かされという。次男の志ん朝についての言及も楽しみだ。志ん生が艱難辛苦(自業自得?)を経て世間に認められたのが、志ん朝の享年である63歳の頃である。残された志ん生の音源は65歳以降のものばかりだ。志ん朝の「夭折」が惜しまれてならない。
俺が頻繁に訪れる「桃色吐息楼主の仁義なき備忘録」(http://osan6.cocolog-nifty.com/palpunte/)で、楼主は志ん生をキートン、円生をチャップリンに喩えて論考を進められていた(9月10日)。キートンと円生について無知な俺でも、なるほどと思える部分があった。今後、芸域を広げていきたい。志ん生といえば、そのCDが劇中でやりとりされる「相棒」の第4シリーズが10月から始まる。ここ十数年で唯一ハマったテレビドラマだけに楽しみでならない。