大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年09月24日 | 万葉の花

<752> 万葉の花 (109) あは (粟、安波) = アワ (粟)

       粟みのる 安寿と厨子王 母の声

     ちはやぶる神の社し無かりせば春日の野辺に粟蒔かましを                       巻 三  (404)     娘   子

      春日野に粟蒔けりせば鹿(しし)待ちに継ぎて行かましを社し留むる              巻 三  (405)   佐伯赤麻呂

      足柄の箱根の山に粟蒔きて実とはなれるを逢はなくもあやし                        巻十四 (3364)  詠人未詳

    左奈都良の岡に粟蒔きかなしきが駒はたぐとも吾(あ)はそと追はじ                  巻十四 (3451)  詠人未詳

    梨棗黍に粟嗣ぎ延ふ田葛(くず)の後も逢はむと葵花咲く                       巻十六 (3834)  詠人未詳

 『万葉集』にあは、即ち、アワ(粟)の登場する歌はここにあげた五首で、「蒔く」に関わる歌が四首、「継ぐ」に続く歌が一首となっていて、すべてのあはが作物として捉えられているのがわかる。では、あはの見える若い番号の歌から順に見てみよう。

 404番の娘子(をとめ)の歌は「娘子、佐伯宿禰赤麿の贈るに報(こた)ふる歌一首」という詞書があるように、この歌は問答歌で、最初にあるべき赤麻呂の贈る歌は如何なるわけか欠落して見えず、この歌の次の405番の歌に赤麻呂の歌が娘子の404番の歌に応じる形で載せられ、そのまた次に娘子が応じる形で、406番の歌が見える。

  娘子の406番の歌は「吾が祭る神にはあらず丈夫(ますらを)に着きたる神そよく祭るべき」というもので、404、405、406番と続けて読むと、歌は娘子―赤麻呂―娘子の順になる一種かけ合いのような問答歌になっているのがわかる。

 その意は、まず、(404)の歌で、娘子が「そこに(畏れ多い)神社がなかったならば、粟の種を蒔くだろうけれど、畏れ多い神社があるので蒔くことは致しません」と、神社と粟を譬喩に用いて、「あなたさまには畏れ多い人(愛人)がいらっしゃるので、お逢いすることなど出来ようはずがございません」と言っている。

 これに対し、(405)の歌で、「春日野に粟を蒔くならば(即ち、あなたが来て下さるなら)鹿を待ちうけるように、あなたを待ちに私は引き続いて行くだろけれど、神の社のような娘子の愛人が妨げになって行かれないことだ」と赤麻呂が応じ、更に、これに対し、娘子が(406)の歌で「私が祭っている神のことではなく、あなたさまについている神こそよく祭るべきではありませんか」と返し、「あなたさまに今ついている女の人こそ大切になさいませ」と丁々発止、言い継いでやり合っているのがわかる。

 次は巻十四の東歌に登場し、まず、相聞の項に見える3364番の歌がある。この歌では「足柄の箱根の山に粟を蒔いて実とはなったが、この実のように我が恋は成就したけれども、逢うことが出来ないのはどうしてなのか、訝しい」と言っている。次の3451番の歌も東歌で、雑歌の項に見え、その意は「左奈都良の岡に蒔いた粟をいとしい人の馬が食べてもその馬を追い払うようなことはすまい」というものである。

 今一首は、巻十六のきみ(黍)やあふひ(葵)の項でも触れた3834番の歌で、その意は「梨に棗(なつめ)、黍に粟が続くというように、続いて君に逢い、這う葛のように蔓が伸びてまた逢うように、後も逢おうと思うが、その逢うではないが、葵の花が咲く」というものである。これらのあはに関わる歌を見ると、粟(あは)に逢うを掛けた掛詞を駆使した歌が三首に及び、万葉歌の特性がうかがえる。

                                                                                                      

 このアワ(粟)はイネ科の一年草で、古くから栽培され、記紀の神話にも登場し、五穀の一つに数えられ、その名は味が淡いためと一説に言われる。高さ一.五メートルほどになり、夏から秋にかけて直立する茎の先端に花穂を出す。花穂は緑色の小花を無数につける。実は小さな頴果で、黄色を帯びる。実にはタンパク質や脂肪分が多く含まれ、粟飯、粟餅、粟おこしなどに用いられる。山間地や寒冷地にも適応し、稲作の出来ない地方でも作られて来た。

 森鷗外の『山椒大夫』のラストの場面にアワ(粟)の登場を見るが、このラストの感動シーンにアワ(粟)は実によく相応している。では、そのアワ(粟)の見えるラストの場面を記してみたいと思う。

 安寿恋しや、ほうやれほ。/厨子王恋しや、ほうやれほ。/鳥も生あるものなれば、/疾(と)う疾う逃げよ、逐わずとも。

 正道(厨子王)はうっとりとなって、この詞に聞き惚れた。そのうち臓腑が煑え返るようになって、獣めいた叫びが口から出ようとするのを、歯を食いしばってこらえた。忽ち正道は縛られた縄が解けたように垣の内へ駆け込んだ。そして足には粟の穂を踏み散らしつつ、女の前に俯伏した。右の手には守本尊を捧げ持って、俯伏した時に、それを額に押し当てていた。

 女には雀でない、大きいものが粟をあらしに来たのを知った。そしていつもの詞を唱え罷めて、見えぬ目でじっと前を見た。その時干した貝が水にほとびるように、両方の目に潤いが出た。女は目が開いた。

  「厨子王」と云う叫が女の口から出た。二人はぴったり抱き合った。

 この物語は平安時代後期の仏教説話を題材にしたもので、この場面は佐渡の国の設定である。稲作が出来なかった当時の佐渡では粟が作られていたのである。そのことがこの場面で思い起こされる。 写真は実をつけたアワ(粟)の穂とアワ(粟)の穂に来てその実を食べるバッタの仲間 (いずれも春日大社神苑の萬葉植物園で)。