大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年09月19日 | 祭り

<747> 奈良の采女祭 (うねめまつり)

       名月に 采女慰む 采女祭

 中秋の名月に当たる十九日夜、奈良市の猿沢池で采女祭が行なわれ、好天に恵まれたこともあって、多くの人出でにぎわった。この祭りは、奈良に都があった時代、天皇を慕い続けていた采女(天皇のお世話をする」女官)が天皇の寵愛の薄れたことに悲観して月の夜、猿沢池に入水して亡くなったという説話に由来する。

 采女の投身を知った天皇は哀れに思い猿沢池に赴き、歌を詠んで采女の霊を慰め、社(祠)を建てて、その霊を祀ったと言われる。これが采女神社で、この話は平安時代の『大和物語』などに見られ、神社は池に面して建てられたが、一夜にして反対を向いてしまったと伝えられている。現在は春日大社の末社として猿沢池の北西隅にあり、やはり、池を背にするように建てられている。

                                                               

 祭りは、午後五時JR奈良駅前をスタート。秋の七草で飾られた二メートルほどの花扇を曳いて歩く奉納行列が行なわれ、十二単の花扇使や采女の出身地で姉妹都市の福島県郡山市から参加した親善使節の一行、それに奈良の関係者や稚児らが三条通り約一キロを猿沢池まで歩いた。午後六時からは采女神社で神事があり、花扇が奉納された。その後、午後七時ごろから猿沢池に浮かべた龍頭、鷁首の二隻の管弦船に花扇使らの一行が乗り込み、池面に浮かぶ流し灯籠に沿って船を巡らせ、最後に花扇を池に投じ、これを采女の霊に捧げ、祭りを終えた。

 この夜は月見日和で、満月が皓々と照り、ライトアップされた興福寺の五重塔も浮き立って見え、猿沢池の周辺は一時天平の世を想起させる趣に包まれた。 写真は華やかな灯が映る猿沢池を巡る管弦船の龍頭船(大きな花扇が乗せられている。後方はライトアップされた興福寺五重塔)と名月に照らされる龍頭船の船首。 名月も 袖にするなり スマートフォン