<739> 死について (1)
死を言はば 涅槃図 自刀図 磔刑図 いづれにしても あはれが纏ふ
「除外例なき死」と言われるように、死は誰にも訪れる。で、人はどのように死んでゆくのであろうかということが思われ、自分の身にも遅かれ訪れるであろうことを思い、考えるということになる。思うに、生まれるときは自分の意志にかかわりなく、この世に生まれ出るが、死ぬときはそのものの生きざまが大いに影響する。だから、生まれるときはほぼ一様に「おぎゃー」と産声を上げて生まれ来るのであるが、死ぬときの様相は人さまざまであるのが思われる。
このいろいろとある人の死について分析してみると、次のように言えることに気づく。まず、一つに、他人の意志によってなされる死がある。イエス・キリストの十字架上の死がその象徴的典型例で、磔刑図をもって分類の一とする。この類の死は人によって命を奪われるというものであり、犯罪において見られるものあが典型としてあり、テロや戦火によるもの。刑罰として与えられるもの等々。これには自業自得の一面もうかがえるが、多くの場合恨みを纏ってあることが言える。
次に、自刀図に分類される死をあげることが出来る。これは自死、即ち、自殺の形による死で、所謂、自分で自分の命を絶つ類の死に当たる。これには詰め腹を切らされるような死とこの世が嫌になって企てる厭世的な死に大別される。前者の死には武士の切腹を例として見ることが出来る。だが、どちらにしてもこの死は自己の選択に負って現われ、本人にとっては覚悟が求められる死である。この死の場合、よく当事者は辞世を残すが、これは負と認識される死を選ぶことに対し、意気をもって死んで行く己の最期を美化しようとするもので、武士の台頭した時代に多く見られた。これには時代的精神が背景にあり、影響していることがうかがえる。
天下分け目の関ヶ原の合戦前、徳川家康と対峙した石田三成が、家康に同道し東国遠征に当たっていた諸将に人質作戦を企て、丹後の細川忠興の留守陣を狙ったことはよく知られるが、このとき、忠興の妻玉子(ガラシャ夫人)は人質になることを拒んで死を決意し、キリシタンであったので、自刀せず、近臣に自分を斬らせ、火を放たせて自害したと伝えられる。
これも自刀図の範疇で、「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」の辞世を残し、後世の涙をそそるところとなった。ほかにも秀吉の水攻めに、自分の死をもって和睦の道を開いた備中高松城将清水宗治や忠臣蔵でお馴染みの赤穂藩主浅野内匠頭長矩の規範の内の切腹も辞世とともにある自刀図の例としてあげられる。現代で言えば、三島由紀夫の死がある。なお、厭世的死は現代社会の特徴の一つで、中には他人を巻きこむ例も見られ、深刻な問題として顕現している。
三つ目は釈迦の涅槃図が象徴的な自然死という形の死をあげることが出来る。これは理想的な死に類するが、これについても病死や不慮の事故による突然の死が含まれ、普通に考えられる死とはいえ、天寿を全うした死ばかりはなく、理不尽に突然やって来る死もあり、死に際して苦しみのつき纏うものも多く、この死においても大方は悲惨を免れず、その様相に悲しみの涙がつき纏うものであることに変わりはなく、言ってみれば、いずれの死にもあわれが纏うと言える。
なお、今一つ加えるとすれば、自刀図と磔刑図に類する死が複合して現われるケース。また、自刀図と涅槃図に類する死が複合して見られるケースがある。これらの死は本人にとって厳しい死であることが言える。前者で言えば、第二次大戦の特攻隊や沖縄戦に伝えられる集団自決がある。最近では、いじめを苦にして自殺するケースなどがある。後者にはガン患者や精神疾患に苦しむ病者の自死が思われる。この死も選択される死で、自分の意志による本人には辛い死の形である。また、脳死の扱いにおける死などもある。 写真はイメージ。 ~次回に続く~