大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年09月20日 | 万葉の花

<748> 万葉の花 (108) きみ (寸三)= キビ (黍)

       黍実る 黍には黍の 姿あり

     梨棗黍に粟つぎはふ田葛(くず)の後も逢はむと葵花咲く                                                 巻十六 (3834)  詠人未詳

 集中にきみ、即ち、キビ(黍)の見える歌は3834番のこの一首のみ。巻十六の由縁ある雑歌の項に見える。この由縁というのは作歌事情をいうもので、この歌は数物(ここでは身近な植物数種)を詠み込むということに事情があるということになる。この歌は、抒情歌というよりは、言葉の知識等を駆使した狂歌的な類の歌と見ることが出来る。つまり、ここのところに作歌事情があると言える。例えば、宴会の余興とかサロン的な雰囲気の集まりとかで、言葉の知識を競って、これを楽しむというような歌、そういう歌が巻十六の前半部には揃っている。多分、万葉人の中にはこのような歌を披露し合って、集まりの場を和ませていたのではなかろうか。

 なお、キビは巻四の丹生女王の一首554番の歌に原文「吉備」として「古人(ふるひと)の食(たま)へしめたる吉備の酒 病まばすべなし貫簀(ぬきす)賜(たば)らむ」と見える。歌の意は「昔馴染みから頂いた吉備の酒です。もし酔って気分が悪くなるとどうしようもなくなります。貫簀をくださいませんか」というもの。因みに、貫簀は編んだ簀のことで、手洗いの水が手元にかからないようにする道具をいう。酔って吐き気を催したときの用意のためにであろう。ここに登場する吉備には国名の吉備か、それとも植物の黍かで説がわかれるようであるが、原文に「吉備」とあるので国名の吉備と見なすのが妥当と思われ、植物のキビには加えなかった。

 で、冒頭にあげた3834番の歌は、『日本古典文学大系』によると、「梨に棗、黍に粟がつづくという風に続いて君に逢い、田葛の蔓が、一旦分れて後にまた合うように、後にでも逢おうと思うが、そのアフに縁のあるアフヒの花が咲いている」と訳されている。つまり、「黍」に君、「粟」と「葵」に逢うという意が掛けられている所謂、掛詞の技法が駆使されているもので、この歌に登場している数種の植物名はただ言葉の遊びに用いられているものであるのがわかる。

                                    

 ところで、キビ(黍)はイネ科の一年草で、原産地はインド地方と言われ、我が国には古くに中国を経て渡来したとされ、弥生時代には既に見られたという。米、麦、粟、豆とともに五穀の一つに数えられ、古くから重要な作物としてあった。高さは子供の背丈ほどで、葉は細長く先が尖り、互生する。茎の先端から穂を出し、夏に地味な小花をつけ、秋のころ多くの黄色がかった実をつける。キビの名はこの実の黄色いところから「きみ」と呼ばれ、それがキビになったと一説に言われる。

  以前、私はキビ、アワ、ヒエの区別がつかなかったが、万葉植物に関心を持つようになってわかった。因みに、キビは昔話の『桃太郎』、に出て来る黍団子で有名であるが、キビの生産が少なくなり、岡山名物の「吉備団子」はうるち米の白玉粉が用いられているようで、今では、小鳥のエサ程度の需要になっているという。写真は左の二枚がキビ、次がアワ(いずれも春日大社神苑の萬葉植物園で)、右は稲田に生えるイヌビエ。