<737> 大和寸景 「街路樹の影」
光と影
私の身に寄り添っているもの
それは 光と影
光だけではなく 影だけでもない
それは 光と影
真っ直ぐでも 折れ曲がっても
それは 光と影
私の魂の触覚に触れている
それは 光と影
評価の如何にかかわりなく
それは 光と影
今日も添いいて 私に纏う
それは 光と影
芸術とは、魂(心)に寄り添い纏う光と影によって表現するもので、その作品は、その光と影の作用によって、そこに顕現する魂に触れ得ることが出来るものである。絵画や写真はもとより、詩や歌、小説だって、言わば、この光と影によって表現され、そこに顕現する魂に触れ得るものである。色彩は光に含まれ、濃淡は影に負うところが大きく、それらは作品に形成され、私たちの魂(心)に及ぶのである。
二十世紀前期の写真家、アンリ・カルティエ・ブレッソンは、自らの作品を「決定的瞬間」と呼んで、小型カメラによるシャッターチャンスを生かした瞬時の表現にこだわったスナップ写真に芸術的表現の活路を見出したが、だからと言って光と影に負う写真の基本を曲げたものではなかった。
絵画においても然りで、印象派でなくても、光と影は絵画において重要な要素であり、リアルなものであるとともに、幻想的にも描き得るものとして、それは魂と融合し一枚の絵に仕上げられるのである。耳によって味わう音楽にしても、それを聴く者は光と影による想像力との融合によって、より一層の効果的音楽を味わうことが出来るという具合である。 光が強ければ、影は濃く、影が濃いということは、光が強いということに通じる。また、その逆も言えるのである。写真は天理市内で撮影したもの。