私には能力もなく、力もないから、
全力を尽くすだけです。
一回、一回の勝負に全力を尽くすだけです。
それを毎日、毎時間、毎分やれたら、
どんなにか成長できるだろうと思います。
そのためには、
自分の弱さと向き合い、
それを克服していくしかありません。
のんびりと生きる余裕など、
私には全くないのです。
目指しているところは、
まだまだ遠いところなのです。
私には能力もなく、力もないから、
全力を尽くすだけです。
一回、一回の勝負に全力を尽くすだけです。
それを毎日、毎時間、毎分やれたら、
どんなにか成長できるだろうと思います。
そのためには、
自分の弱さと向き合い、
それを克服していくしかありません。
のんびりと生きる余裕など、
私には全くないのです。
目指しているところは、
まだまだ遠いところなのです。
ふと気がついたら、
できなかったことが、
できるようになっていることがあります。
その時に思うことは、
「あぁ、今までは、真剣にやろうとしてなかったのだな。」
ということです。
できないと思っていたけれど、
それは、自分が本気でやろうとしていなかったから、
できなかっただけなのだと気づくのです。
私は整理整頓が苦手です。
いや、正確に言えばそうでもありません。
例えば、膨大な種類と量の資料をかき集めて、
講座の内容を考えたり、
原稿を書いたりしているときには、
整理整頓の脳が働かない気がするのです。
だからすべて一段落して、
整理整頓に集中すると、
一気に整理整頓が進んでいくことになります。
脳が違う方向に集中しているときにやろうと思っても、
どうしてもうまくいかない感じになるのです。
そこで、苦手なのだという意識が生まれます。
今、とあることの整理をしていて、
今までできなかったのに、
状況が変わり、必要に迫られると、
いつの間にかそれをやっている自分がいることに気がつきます。
私利私欲ではなく、
人々のために政治は執り行われるべきものだと思います。
いや、政治のみならず、経済活動も、医療も、教育も、
私心を去り、多くの人々や次世代のために、
素晴らしい価値を生み出し、
手渡していくために存在するのだと思います。
結局、そうしたことは、愛国心という言葉に集約されます。
家族のために、周囲の人たちのために、と、
そして、その範囲を広げていけば、
当然、国家というものに行き着かざるを得ないのです。
勿論、それを更に拡大していけば、
世界という所に行き着くのは当然のことです。
しかし、愛国心といった瞬間に、右翼呼ばわりされ、
レッテルを貼られ、否定されるのは、
一体どうしたことでしょうか。
愛国心に否定的な言説を垂れ流している人たちの、
底意を見透かしておかなければならないと思います。
また、一見、愛国心を叫んでいるようで、
実は愛国心という言葉に拒否反応を持つように
意図的に言説を流布している人たちの底意も
見透かしておく必要があります。
愛する者たちを守るということは、
それを脅かす者たちとの戦いであることを、
私たちはいつも忘れてはならないのだと思います。
私は大学ノートに色々なことを書くようにしています。
そして、このブログにも書くようにしています。
自分自身の思考を深めていくために、
どちらも大切な作業です。
実に大したこともないささやかな人生ですが、
言葉を紡ぐことで、思考が整理され、
意志が鍛えられていくことを感じます。
特にこのブログは、色々な人の目に触れますから、
自分の考え方や心の持ち方が問われます。
勿論、人目を意識した偽りを書くつもりはありません。
むしろ、正直に書くが故に、人間の未熟さが、
そのまま表現されてしまう怖さをいつも感じています。
それでも書き続けようと思います。
新型コロナウイルスによる、
度重なる緊急事態宣言発出のため、
福岡でのエクスプレッションアカデミーもまた、
度重なる延期を余儀なくされました。
みなさんとすっかりご無沙汰になってしまい、
誠に申し訳なく思いますので、
Zoomでの無料特別講座を開催致します。
受講者の皆様には既にご案内を差し上げていると存じます。
是非、お気軽にご参加下さい。
折悪しく、明日は台風の影響があるようですが、
元気に「利他の心」について、
共に学ばせていただこうと思います。
「利他」ということについて、考えていると、
「我執」というものが大敵だと気づきました。
これは若いときに乗り越えるのは不可能だと思います。
やはり欲がなければ、エネルギーも生まれない
というのが人間の姿だと思うからです。
しかし、歳を重ねていくと、段々と、
欲が澄んでいく気がします。
若い頃は、物欲だったり、独占欲だったり、
出世欲だったり、権力欲だったり、
我執にとらわれていたものが、
歳を取ると、
少しずつ、社会を少しでも良くしたいとか、
少しでも他人様のお役に立てるようになりたいといった
純粋なものに変化していくように感じます。
まだ、仙人のじいさんのようにはなれそうにありませんが、
少しずつ、澄んだ心を持ちたいと思う自分がいます。
それでも日々、血生臭い戦いではありますが、
我執を捨て、皆が望むものを
生み出せるようになりたいと思います。
皆さんと共に成長し続ける
自分であり続けたいと思います。
陸の事故にせよ、海の事故にせよ、
非常に自己中心的な運転によって
被害者が出ている事故が多いように思います。
ということは、運転のみならず、
家庭生活においても、職場の生活においても、
非常に自己中心的な人が多くなっているのかもしれません。
「自分を後にする事ができる」
そんな人間が一人でも多くなれば良いと思いますし、
まずは、自分自身がそんな人間でありたいと思いますし、
自分の自己中心的な行動に、
「気づける」自分でありたいと思います。
Zoomセミナー第3講座が終了しました。
テーマは「利他の心」を育む。
難しいテーマです。
自分自身がまずそのような心でなければなりません。
しかし、「私」がどうしても顔を出してしまう。
弱い自分との戦いを続けるしかありません。
「自利利他」という境地は、
求めるほどに深く、極め切れそうにもありません。
しかし、その大切さはわかります。
共に学ぶ人たちと、
せめてその大切さと深さを共有できればと思います。
また、私自身の生き方が、
そのような私利私欲を捨てた生き方でなければと思います。
志を立てるということは、
人々のため、社会のためということでもあります。
私は日本の教育改革に対して、
願いと志を持っています。
それが本物か偽物かが、
日々、問われているのだと思います。
誠実に、只誠実に、向き合っていこうと思います。
教育には、
その人の全存在が表れます。
全く誤魔化しが効かないものです。
だから、必死で準備をしなければなりません。
これで良いなどと思えたことは、
私には一度もありません。
自分という人間も、自分の準備も、
悲しいことに未熟な限りです。
今日、2日間の企業研修が終わりました。
明日は、バッカーズ寺子屋の講座です。
とにかく無我夢中で頑張ります。
大切なことは、
どんなにささやかと思える仕事であろうと、
小さな会社であろうと、
そこで、なくてはならない人になる、
ということだと思います。
それができなければ、
何をやっても勤まらないものです。
一人で良いから、
本当にその人の信頼を勝ち取ることができるよう、
誠心誠意働くことが大切だと思います。
学生時代のアルバイトも同じことです。
それが自分という人間の大切な土台になっていきます。