つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

中部一陽展と月映(つくはえ)展

2015-05-06 | 文化

 以前から久保田さんからご案内頂いていた中部一陽展と、同じ建物の愛知県美術館10階で開催されている月映展(つくはえ) 展を見て来ました。昨日は初日で、10日まで。月映展は5/31までで、その後、東京駅のステーションギャラリーで開催。山梨、和歌山と続きます。

 一陽会の高森さんとは、初めてお話しました。彼女は60歳の時、娘婿さんが31歳で急逝。油絵具の遺品が残され、これで絵を習おうと決意。そして26年後の今、一陽会会員。いつもご主人の協力を得て、100号の絵を一宮市の自宅から東京や名古屋まで搬送。この作品は、水墨画と思ったら、なんとキャンバスの素材は黒いジーンズ地。服地を一部漂白しながら作られたそうです。黒く残したい部分はテープを張るのだそうです。90歳のご主人に手伝ってもらいながら・・・86歳には見えません。

 今年が「月映」が発刊されて100年にあたり、記念に開催。100年前とは思われない3人のモダンな木版画と詩の定期刊行誌です。時代が早すぎたのでしょうか。惜しくも7号で廃刊。たった2年でしたが、珠玉のような一時期でした。当時の人はまだ理解できなかったのでしょうか。先月、東京都現代美術館でも見た恩地孝四郎さんの作品も堪能できました。日本の抽象の嚆矢となった人です。恩地、藤森、田中の3人で惜しまれるのは、結核で早世した田中恭吉。もう早期の作品にも死のかげが感じられました。この3人から連想されるのは、竹久夢二。それもそのはず、交流が蜜でした。最後のコーナーにあったのは「月に吠える」の著者、萩原朔太郎の手紙。この詩集にかける心意気が感じられました。表紙絵は、田中恭吉なのです。 

 羨ましく思ったのは、短命の田中が1910年のハレー彗星を観ていること。その76年後の1986年のハレー彗星はお粗末で、田中が見た年の凄さに比べ、あまり輝かなかったのです。

 今夜、ハレー彗星が宇宙に残した塵と言われる、みずがめ座流星群は見られるのでしょうか。最近曇り空が多くて観測しにくくなっていますが・・・

一陽展全景

久保田さんと「果てしなき道1」と「2」 右の作品は昨年の東京展にも出品

高森さんと「内なる記憶A」と「B」

つくはえ展のちらし

ちらし裏側

つくはえ展の観賞ガイド ハレー彗星のことが書かれています

コメント (6)
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