つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

天国と地獄の北朝鮮 3

2024-04-04 | Weblog
福山隆氏のメルマガより

前回は、
「金正日の女性遍歴」
について書いたが、

今回はその続きとして
「喜び組」について
書くことにしたい。

喜び組は
1970年代初めに、

金正日が全国から
美女を集めて、

金日成の別荘に
配置したのが始まりだ。

これを母体に、
1983年末には、

金正日自身のための
喜び組が生まれた。

喜び組(18歳から25歳)は
性的快楽のための「満足組」

疲労回復の為の
マッサージをする「幸福組」

ダンサーや歌手などの
「歌舞組」に分かれる。

喜び組の選抜は、
保衛総局が担当し、

毎年、学期初めに、
全国人民学校4年生
(9~10才)から、

金正日好みの
「細身でふっくらした
丸顔の美少女」を50人ほど選ぶ。

少女たちは、
その後20歳まで、

処女のままであるように
しっかり管理される。

彼女たちは、
「性を“売り”にする」
人身御供であるが、

両親が党幹部であっても
拒否できなかった。

喜び組は、表向きの任務は
「昼夜休まず
革命事業に没頭している

首領・金日成と金正日の精神的・
肉体的疲労を癒すこと」である。

そのために、彼女たちは
破格の待遇を受けた。

住まいは、特別居住区の
超豪華マンションで、

無償支給される日用品は
日本製だった。

また、金正日と
ベッドを共にした女性には

サインの刻印入りの
オメガの時計が下賜され、

大臣クラス以上の
待遇が保障された。

その真意は、
「口止め料」ということだろう。

喜び組が25歳を過ぎると、
高官(軍将校)などに
妻として下賜された。


◉ 金正日主催の乱痴気パーティー

金正日は
パーティー狂いだった。

パーティーは、
週末の夜八時ごろ始まり、
夜中の二時ごろまで続いた。

パーティーの目的は、
側近の管理である。

パーティーに
呼ばれるかどうかが
側近の評価・信頼度であった。

参加するのは、
党としては張成沢、
金容淳、金永南、

軍は趙命禄、
李河一などが
固定メンバーだった。

パーティーは、
乱痴気騒ぎそのもので、

金正日に促されて
ウイスキーを一気飲みをしたり

韓国の歌
――離別や下宿生――を
伴奏で歌うのが定番だった。

この間、喜び組は
欧米のヌードダンサー以上に

露出して激しく
エロティックなダンスを踊り、
宴を盛り上げた。


◉ 乱痴気パーティーが招いた悲劇

乱痴気パーティーが招いた
悲劇もあった。

組織指導部・副部長の
李ミョンジュは

金正日の覚えも目出度く、
よく乱痴気パーティーに
参加していた。

ある時、
かれは酔いつぶれて、

妻の前で、
不覚にも夢とうつつの狭間で、

乱痴気パーティーの模様について
口を滑らせてしまった。

曰く、「喜び組の呉ミランや
洪ヨンヒなどは

全部指導者同士(金正日)の
お手付きだよ。
だから横恋慕してもだめだよ」と。

李の妻は
金日成総合大学の教授だった。

純粋な彼女は、
金日成に直訴の手紙を書いた。

「親愛なる首領様 
祖国の未来を背負った
指導者同士(金正日)が

こんなことで
いいのでしょうか。
どうか首領様が正してください」と。

この手紙が、
金日成に届く前に

国家政治保衛部の
検閲網に引っ掛かり、
金正日に届けられた。

金正日は激怒し、即刻、
李ミョンジェを呼びつけ、

「お前は女房ですら
まともに教育できないのか」
と叱責した。

この事件以後、
李ミョンジェは妻に
暴力を振るうようになり、

ついには拳銃で
自殺することを促したが
拒絶され、

彼自身の手で
射殺したといわれる。


◉ 喜び組は北朝鮮版の妓生か、
酒文化も南北共通

筆者は、
1990~93年まで

駐韓国日本大使館で
防衛駐在官を務めた。

韓国陸軍の
Y少将に招かれた

キーセンパーティーの
出来事であった。

酒も相当回った頃に
バンドとチマ・チョゴリを着た
女性が呼ばれて入って来た。

隣に座っていた
韓国陸軍大佐の説明によると
有名な芸能人であるとのこと。

素晴らしい声で
何曲か韓国の歌謡曲を
歌った後、

Y少将の前に
進み出て挨拶した。

Y少将が
「とても良い声である」と賞讃し

「酒を注いでやるから
一杯飲め」と勧めた。

その歌手は
「私は宗教の関係から
酒は飲めません」と丁寧に断った。

するとY少将は
やにわに立ち上がり

「俺にできないことはない。
生意気な奴だ」と

ビールのグラスに
ウイスキーを注いで

歌手の鼻を逆手に掴んで
顔を上に向けさせ、

彼女の口に中に
無理やりウイスキーを
注ぎこんだ。

もちろん、ウイスキーは
口から溢れ

美しいチマ・チョゴリが
ウイスキーで
ビショビショになった。

歌手は泣きながら退席した。
日本人の私の目からは、
やはり異常なことだった。

私自身も、
酒にまつわる辛い体験がある。

陸軍本部のR将軍だった。
私は、この爆弾酒
(ビールとウィスキーのカクテル)を

何回も繰り返し飲んでいるうちに
気分が悪くなり、

「後一回『水爆』を飲めば
昏睡するかもしれない」と
思うほど酔ってしまった。

私は申し訳ないと
思いつつも、

「将軍、参りました。
将軍には到底敵いません。
この通り降伏します」と言った。

将軍がいやな顔を
するかと思ったらその逆で、

「福山大領(テーリョン、
自衛隊の一佐に相当する
韓国軍の階級)は正直で良い。

その潔さが、気に入った。
お前は今日から俺の弟分だ!」と
ご機嫌の体だった。


◉ 男尊女卑は南北共通の文化?

南北朝鮮の
酒宴における男達の
女性に対する振る舞いは同じようだ。

このような男達の
振る舞いのルーツは、
やはり男尊女卑だろう。

朝鮮民族の男尊女卑は、
儒教に由来すると聞いたが、
調べてみると様々な説がある。

女性を蔑視する韓国が、
日本に対して

ありもしなかった
従軍慰安婦を言い募ることは、

筆者には
釈然としないものがある。

写真はハナニラ


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