つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

一乗谷朝倉氏遺跡

2011-09-12 | 国内旅行
 紙漉きのあとは、一乗朝倉氏遺跡に向かいました。国の特別遺跡、特別名勝、重要文化財と3つの指定を受けています。今年はお江のNHKドラマのこともあり、いつもより格段の賑わいだそうです。朝倉氏の先祖は、兵庫県養父郡の豪族でしたが、南北朝時代に越前に入国。応仁の乱の活躍で一乗谷に移り、平定しました。ところが1573年、信長に滅ぼされてしまいました。

 一乗谷は、長く荒れたままでしたが、昭和42年から遺跡の発掘調査が始まりました。平成3年に諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、朝倉義景館跡庭園などが、特別名勝に指定。武家屋敷跡も復元されています。諏訪館には、朝倉義景の四人目の奥様が住まわれていました。一人目は若くて亡くなられ、二人目は僻地を嫌って去られたとかいろいろです。庭の池には毎年モリアオガエルが孵化。池の上のもみじの木に産卵するのです。湯殿館の庭は、仏教と、神仙思想が取り入れられています。上の写真は、朝倉義景館跡の入り口。唐門になっていますが、後世のもの。

 この日は、岐阜、福井とも33度という真夏日。九月とは思えない暑さの中を、一時間半徒歩で見学しました。最下段はおみやげ。先日のIさんに呼ばれた茶席で頂いた焼き鯖寿司も購入。のどぐろは岐阜では買えない魚で、数年ぶりにこちらに来られてこれも迷わず買いました。今回の旅行は、夫も放送大学学生になりましたので、二人で参加しました。

                 
                 諏訪館跡庭園

                   
                    湯殿跡庭園

                     
                     朝倉義景館跡と館跡庭園
 
            
             朝倉義景館跡庭園の脇にあった300年前の墓所

     
     焼き鯖寿司

                
                のどぐろ

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16 コメント

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一乗谷 (pfaelzerwein)
2011-09-12 13:14:26
この土地はネットで目をつけていました。書面で辿れるその後の縁組などをの状況から父方の先祖の流れとして滅びた朝倉家は一つの流れとして浮かび上がります。いつか日本旅行の節は訪ねてみたい場所です。

焼きさば寿司は何処の名物かは知りませんが、眼鏡の鯖江市を通る魚の道で越前海岸は直ぐそこですね。

「300年前の墓所」の意味が分らなかったのですが、信長に滅ぼされたのは400年以上前ですからどのような経緯があるのでしょう。とても興味があります。
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pfaelzerweinさま (matsubara)
2011-09-12 18:21:35
ドイツからようこそ。
400年前に絶家し、それから100年後にお墓が作られました。
五輪塔が中心に据えられていまして、周囲には小さい五輪塔や、宝筐印塔やいろいろなタイプの墓石が並んでいます。
朝倉氏は曹洞宗だったようですが、上記のものの他に石塔、石仏が3000体以上見つかっています。
文明年間に始まり、永禄年間がピークとなっています。
出土品もたくさんありますので、帰国されたとき行かれたらよろしいかと存じます。
お祖母さまは岐阜でお父さまは越前の人だったのですね。

焼き鯖寿司は、近年売り出されたものですが大変人気があるようです。福井には、大きな焼き鯖もありましたのでそれも買いました。
鯖のへしこというものもあり、糠漬けになっています。

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それから100年後にお墓 (pfaelzerwein)
2011-09-12 19:45:17
情報有難うございました。江戸時代に入ってから誰が作ったのか大変興味深いです。

朝倉家を紐解けば分るようにもともとは摂津やまたは山陰からのものが都から下って来てあの辺りを統治していた社会構造の中で、その後のそうした人脈などが江戸時代にも活きていたのを想像しています。

どちらにせよ中部や越前あたりでは皆、斉藤道三か織田信長に最終的には滅ばされているのは間違いないですからね。
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この時代は (tona)
2011-09-12 20:04:24
こんばんは。

この時代の歴史は面白いですね。
それに比較すると室町時代は私個人はあまり熱心に勉強していません。京都を訪ねればまた興味が湧くでしょうが何時の事やらです。
それはともかく、一乗谷の遺跡がこんな風に残っているとは!夢の跡ですね。
紙すき体験、とても楽しかったそうですが、難しくなかったですか。

のどぐろは聞いたことがありますが、こんな姿なのですね。喉が黒いのでしょうか?
2日前でしたかコメント入れましたが、また失敗したようで、すみませんでした。
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Unknown (大五)
2011-09-12 21:11:10
のどぐろは白身で美味しいですよね
我が家は昨夜食できました

昔、幼い頃にはお魚屋さんで陳列してましたが、関東ではみることはできません
我が家はもっぱら次男のお嫁さんの実家が島根県浜田市ですのでそこからの戴き物でしか食できません
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Unknown (慕辺未行)
2011-09-12 23:29:36
福井県内はわりとあちこち訪れたことがあるのですが、こちらは知りませんでした。
しかしいつだったか、某ブログ仲間の方も訪れブログに書いていたことは覚えています。
このような中世の遺跡どころか、恐竜時代の化石が出てきても不思議ではなさそうな地域ですね。
一乗谷といえば、白い犬のお父さんで有名な某CMの撮影地が、一乗谷と出てきますが、ここのことかな?
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pfaelzerweinさま (matsubara)
2011-09-13 09:52:25
一乗谷には、禅宗や天台宗、日蓮宗など諸宗派の寺院が集まっていました。
そこには、死者を武者野などの火葬場で荼毘に付し、寺院の墓地に五輪塔や宝筐印塔を置いて、
骨を埋めて供養していたようです。
谷のそこかしこに供養塔が見られる訳です。

福井は鯖と他に眼鏡のフレームで知られています。
冬は雪に閉ざされるため、生きる糧としました。

最終的には道三も信長も滅びました。
でも血脈はお江に残っていますね。
それとスケートの織田選手にも・・・
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tonaさま (matsubara)
2011-09-13 10:04:56
時々コメント入力に不具合が生じてご迷惑をかけています。お許し下さい。

朝倉氏は、100年栄華の時代がありましたが、
滅んで400年。美しさが残りますね。
生き残った徳川が醜いという訳でもありませんが・・・

あのころは食うか食われるかの時代ですからね。
細川も島津も生き残る努力が実りました。
先を見据えた・・・

紙漉き体験は誰でもうまく出来上がるように工夫されています。
観光のためにです。
50人の50通りの作品も見て楽しめました。
私は地味なデザインです。

のどぐろは高価ですから地方には行き渡らないのでしょうね。
贅沢な食べ方はお刺身ですが、まだ体験していません。
↑のように関東でも手に入らないのでは岐阜ではなおさら無理でしょう。
のどが黒いのは確認できませんでした。




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大五さま (matsubara)
2011-09-13 10:09:44
のどぐろが日常的に食べられるとは羨ましいことです。
私は5年ぶりでしたから・・・
あっさりして美味しいですね。

北陸、山陰でしか手に入らないのですね。
新潟で昔から食べておられたとは贅沢でしたね。
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慕辺未行さま (matsubara)
2011-09-13 10:16:39
softbankのCMのカイくんがここの生まれと
なっています。
記事にするとき書き落としました。
リンクしている和歌山のカイくん(犬)と
よく似ています。
でもそのカイちゃんは亡くなってしまいました。
あまり最近更新されていませんが・・・

リンクしている風さまも記事にされていますが・・・
消えてしまうとか・・・会社の都合で・・・
惜しいです。
gooは消えないので助かっています。
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