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未唯への手紙

未唯への手紙

世界史の見方「わかりやすい」って何でしょう?

2011年04月12日 | 4.歴史
確かに世界史、つまり人類の歩みは単純なものではありません。まさに万華鏡のような複雑怪奇な世界です。諸地域にまたがって、政治・経済・教育・社会・文化・芸術・思想・倫理・宗教が入り乱れるのが世界史です。とはいえ、世界史の見方にはいくつかのある定まった切り口があるというのも事実です。

5つの切り口の事例を少しだけあげてみましょう。

①国は共通の敵があってまとまる

 ・16国に分裂していた紀元前4世紀のインドは、ギリシア人の侵入という共通の敵を前にして、マウリヤ朝のときのマガダ国で初めて統一しました。

 ・829年にイングランドがエグバート王のもとに統一し、ロンドンが首都となったのは、デーン人という共通の敵の侵入を受けたからです。

 ・20世紀の外交革命といわれる、1907年の英露協商は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世という共通の敵から、イランでの商売の利益を守るためでした。

②地中からの液体をめぐって争う

 ・第一次英仏百年戦争は、ボルドーを中心とする南西フランスのギュイエンヌ地方のブドウ畑のとりあいが重要な争点でした。

 ・第二次世界大戦の激戦、スターリングラードの戦いはバター油田をめぐるヒトラーとスターリンの戦いでした。

 ・第三次中東戦争でイスラエルがシリアから占領したゴラン高原を返還できない真の理由は、ヘルモン山からくだる露の集まるヨルダン川の水資源を確保するためです。

③ピュシス(自然)とノモス(設計)の二分法で思考する

 ・18世紀のフランスに登場した重農主義は自由放任(ピュシス)主義。これは重商主義統制経済一ノモス)を批判する中から出てきたものです。

 ・アメリカ合衆国の共和党は、自由競争(ピュシス)というアメリカの保守的な価値観を守りたい政党。対して民主党は、リベラルな平等社会を計画的に設計したい(ノモス)政党です。

 ・諸子百家の道家の老子と荘子の思想は無為自然(ピュシス)。中国を初めて統一した秦がとりいれた法家の韓非子は法治主義(ノモス)でした。

④ユダヤ人への対応で国際情勢は決まる

 ・アメリカ合衆国のトルーマン大統領は、選挙に勝利し再選されるために、国際連合に働きかけ、イスラエル共和国の建国に尽力しユダヤ人票をかためて当選しました。

 ・日露戦争に日本が勝利できたのは、ロシアのユダヤ人虐殺(ポグロム)を逃れて移住したアメリカ在住のユダヤ・マネー(財力)が日本の国債を買い、資金援助をしたからです。

 ・17世紀にオランダが世界の覇権を握り、アムステルダムがヨーロッパの金融の中心になったのは、レコンキスタ(国土回復)運動の完成によりスペインを追われたユダヤ人のマネーのおかげでした。

⑤変わらぬ争点はこれだ

 ・3000年前にガザ地区のフィリスティア人の巨人ゴリアテと戦ったダビデと、現在ガザ地区の扱いに苦慮するイスラエル政府に共通する最大の関心事はユダヤ人の人口比率の問題です。

 ・18世紀の清の乾隆帝は、西域(タリム盆地)を征服し、新彊 (新しい領土)と呼んで北京から役人を派遣しました(改土帰流)。現在、中国政府は漢民族を新彊ウイグル自治区に入植させていますが、漢民族とウイグル族の摩擦は日に日に深刻化しています。

数学の仕事への適応

2011年04月12日 | 2.数学
数学編で仕事への活用をもっと、明白にしましょう。色々なモノを数学で行ってきた。それを一度、まとめます。どこをまとめるかです。

やはり、2.4に入れ込みます。2.4.2「超アナログへの道」をこれに変えます。いかが作成した部分です。

 2.4.2 仕事への適応
  数学及びトポロジーの考え方で、電算、研究開発。販売部署で仕事を行ってきた。問題解決は容易にできた。

 2.4.2.1 部品構成把握
  メーカーにとって、部品および部品構成が基本です。設計変更時に影響する適用範囲、部品群をヘッドロジックという、集合関係で対応。

 2.4.2.1 2 ヘッドロジック
  設計変更一枚を設計者が作成するのに、20回ぐらい検索して、作成していた。間違えも多かった。ヘッドロジックで正確にオンライン対応。

 2.4.2.2 実験結果
  研究開発部署での実験室と設計室の間を光で接続して、データハンドリングを変えると同時に、データの保有の仕方も変えた。

 2.4.2.2 3 仕事の仕方
  マックの実験・DTP・計算ソフトをを使えるようにして、技術者個人の実験・解析環境を作れるようにした。

 2.4.2.3 サファイアネット
  従来、メーカー・本社と本社・店舗のネットは別物であった。位相的にそれらをつないで、メーカー・本社・店舗を等距離の関係した。

 2.4.2.3 4 メーカーへの求心性
  店舗から本社経由でのインターネット接続がネックにならずにすんだ。販売店でのサーバの接続も可能になった。

 2.4.2.4 数学は使える
  事象を個別に扱うのではなく、集合関係とか位相関係で見ていくと、自然に解けてしまう。特に多くのユーザーへの対応では不可欠。

 2.4.2.4 1 インターネット構造
  インターネット及びTCP/IPの考え方はトポロジーの考えが基礎にある。グーグルもファイスブックにも数学的な考えが使われている。

こうしてみると、未唯空間に対しては「修・破・離」の「破」ですね。ドンドン破らないといけません。ドンドン破らないといけない。まだ、「離」があるから心配しなくてもいい。

頼ること・尋ね合うこと

2011年04月11日 | 2.数学
NHK ニーチェ『ツァラトゥストラ』の「永遠回帰とは何か?」から

最後にあえて「超人への疑問」を提示してこの回を終えたいと思います。ニーチェのいう超人が、孤独に一人がんばる、というイメージを伴ってりることが気になるのです。はたして人間は、ニーチェのいうように一人でがんばれるものなのか、またがんばるべきものなのか。

ニーチェの思想にはまりやすい人に、孤独で他人と打ち解けず、週刊誌の吊り広告のゴシップ記事を嫌悪する、そんな大衆嫌悪的な人がいます。こういう人は明らかに「孤独病」でニーチェにもそのにおいが大いに感じられます。しかしかなりの孤独病に冒されてしまっている。ルサンチマンを抱かず、既成の価値観や大衆的なものから距離をとりつつ、常に創造的であろうとする--まさに「超人」の像を地で行こうとしたように見えます。

ニーチェのいう「お前はお前の道を行け」というのは、非常によい考えだと思うのです。でも、何でも一人でがんばれるわけではありません。なによりニーチェ自身が寂しがり屋で、いつも自分と心が通じる話し相手を求めてやまなかった。ぼくは思うのですが、一人でがんばるイメージではなく、お互いに共振し刺激し合う空間のなかで一緒に高まっていくイメージを抱いたほうが「生きることのイメージ」としてはよりよいと思うのです。

そうした生き方のために大事なことの一つは、「頼ること」を学ぶということだとぼくは思っています。ニーチェは「同情」をものすごく嫌いました。同情は相手に対して失礼だというのです。ニーチェが語る「友」とはあくまでもライバル関係の友で、互いが競い合うべき存在とされているからです。そこには同情の入る余地などないようにみえる。

しかしぼくは人間の関わり合いのなかでは、同情を期待するのとはちがいますが、「頼る」ことは大事だと思うのです。もちろん「自分の生き方は最終的に自分で選ぶ」という気概は必要です。これがない人とは接したくないし頼られたくはありません。でも、その人が自分の主体性をもちつつ「ここが必要なので助けてくれないか」といって助力を求めてきたときは、もしそれが自分にできる範囲のことなら助けてあげたいと思う。そして自分も同じように人に頼っていいし迷惑をかけていい。相手に迷惑をかけても、相手が嫌でなければかまわない。そして自分もその分またお返しすればいい。独力で突き進もうとするよりも、他者に必要な助力を頼めることが、自立して自分の意志で生きていくためには大切ではないかと思うのです。

第二に、生き方のイメージとして重要なことは、尋ね合う関係をつくることだと思っています。「他者ときちんとキャッチボールできる関係があって、はじめて人は創造的になれる」というイメージをぼくはもっています。たとえばゼミの場では、相手の発言のいちばん芯にあるものを聞き取ろうとするように、といっています。もちろんうまく受け取れないこともあるわけですが、そんなときは「いいたいことはこういうことかな? それで合っている?」と尋ねればいい。聞く側は、自分が相手のいいたいことをきちんと受け取れているか、必要があれば尋ねて確かめる。発言する側も、相手にきちんと自分のいいたいことの良っ芯を川けようとして、言葉を工夫する。-ぼくはこのようなキャッチボールの仕方を「尋ね合う関係」と呼んできました。

幼子のように、未唯空間を完成させる

2011年04月11日 | 5.その他
未唯へ。何も考える気はない。太陽が白いです。なぜ? 朝はまだ、寒いです。

今は6時に家を出ています。どう見ても、バス停に着くのが早すぎます。6時10分に出るようにするか、思い切って、バスの逆方向に回るようにしましょうか。これなら、どこでも乗れます。歩きながら考えることを増やしましょう。

ニーチェの考え方を延長したものが気になっています。私は「孤立と孤独」でやってきた、それを死ぬまで継続させるかです。本では「孤独病」から「頼ること・尋ね合うこと」に持っていくことが必要と書かれている。
この先をどうもって行くかです。「超人」プロセスの第三段階としての「幼子」として、どこまでやっていけるかです。

人生の中で、心が震える時、それを元にして、永遠回帰しているというニーチェ。私にとって、心が震える時はいつか。アイデアがつながったときです。明確に覚えているのは、サファイア空間ができたときです。今は、未唯空間が完成したときです。それがこわい。その先が想像できない。本来、それをもって、「次の」ことをやればいいけど、それは面倒です。

未唯空間を完成させることは、考えることと、行動することと一緒です、考えるのは自由だけど、行動することは一つに絞ることです。考えが終われば、行動しないといけないのか。これに悩んできました。

行動するのは、私ではない、というのが、今回の結論です。以前は、インタープリターである室長と、ファシリテーターであるパートナーがいたから、うまく循環できました。今は、共にいません。

だけど、考えるところは顕在です。これさえあれば、インタープリターとファシリテーターが来た時に、いつでも動けます。これは私が求めるものではなく、相手が求めるものです。

人材育成の年度方針を聞いていました。販売店が「自前で」育成するのをメーカーが支援するのは難しい。メーカーができることは、マニュアルを作るぐらいです。販売店がそのマニュアルで自分たちの行動を変えられるかどうかです。

メーカーのもう一つの武器は、集合教育です。販売店にカリスマに育成させる方法です。これはその場しのぎで有効性がないので、「自前」主義になったのです。

本当に自前でやるのであれば、必要なのは、システム思考です。そんなに簡単にスタッフに思いが伝わるものではありません。事例とかコラボレーションとか、そういったものの集まりをキッチリさせないといけない。

ネットワークは店舗に入り込んでいます。テレビ会議も含めて対応できます。それこそ、ポータル・ライブラリの世界です。自分たちのコンテンツと思いを入れれば、使えるようになっています。また、コラボレーションのツールも無料で使うことができます。

なぜ、そういう発想にならないのか。メーカーに手柄にならないからでしょう。この部分が「販売店の要望ではない」というところにつながっていきます。メーカーの思惑というフィルターで、「要望」が落ちてしまうのです。

教育にとって、一番効いているのは、調べることも含めて、ネットの世界です。個人を生かす世界です。ライブラリにノウハウを集約しておいて、自分たちがどうしたらいいかもできるし、それぞれが何を考えているのかのコラボレーションもできます。

「研修」を未唯空間のどこに入れ込むか。全て、この中に押し込みます。

さいごに、35年の結果だから、もっと、幼子のように、後先考えずに、楽しんで、未唯空間を完成させます。

12時間、寝ていた。休みは寝るのが一番です

2011年04月10日 | 7.生活
未唯へ。ダウン状態で、起き上がれない。

昨日の夜の8時半から、今朝の8時まで寝ています。寝ているというよりも、起き上がれない状態です。ずっと、夢を見ていました。「新しい世界」「新しい価値観」です。結局、12時間の夢です。

『ツァラトゥストラ』ではないけど、大きな価値観の変化を感じましょう。神ではないけど、組織に依存する時代は終わった。自ら、主役になる時代です。

単純な世界ではない。モノを作って、売って、買うという資本主義ではない。ローカルがもっと主役になり、それを個人が動かすことです。そうなると、シェアがキーになる。組織が個人を支援するものに変わっていく。そのためには、自分の考えと方向を持って、発言しないといけない。

ThinkとActに明確に分かれます。ThinkとActは善と悪とみたいな感じですね。その意味では、誰から見た時のThinkかActによって異なります。ローカルから見た時とグローバルから見た場合です。これはキリスト教から見た時と個人から見た時と違うように異なります。Think Globally, Act Locallyが独立する時です。

さて、やろうか! 道具は全て揃いました。これが終わったらどうしようという懸念は考えないようにします。それが15年前に考えたことです。名古屋へチャレンジ・ローテーションする理由でした。

作れなくなっても、生活はしていかないといけない。お客様は商品を使って、生活している。それが基本です。それをいかに支援するのか。商品を変えることだけが支援ではない。エネルギーのムダにつながります。

未唯空間をやってきて、私はもっと、広い世界を考えてきたつもりです。とりあえず、もう少し、まともにします。

人間には相手の思いを直接分かるようなものがないのか。不完全です。だから、コラボレーションができずにバラバラなんです。だから、依存しようとするのです。元々は、孤立の存在であることは、人間そのものです。ある意味では集団活動には向いていない。にもかかわらず、集団活動して、力を得ようとする。その方が儲かるからでしょう。

バラバラということは、やがて、去っていく人間だけがそこにいるだけです。これは鰯(いわし)の大群です。大きく見せるために。

歴史は簡単かもしれません。そう感じたのはトポロジーで見たからです。「世界一わかりやすい世界史の授業」でも5つのルールで書いています。あまり、日本には当てはまりません。重要なのは、そこから、次の世界にどう移るかを予測することです。そこは、トポロジーをもっと、活用しないと難しいでしょう。分類だけでは答にはならない。新しい世界です。

岡崎で借りてきた本です。岡崎図書館の新刊書の冊数が少ないけど、分厚い本が多い。今週の実績からすると、豊田市図書館の26冊の平均価格は1198円です。それに対して、岡崎図書館の10冊の平均は3710円です。

 209『世界一わかりやすい世界史の授業』
 204『歴史家の羅針盤』…書評集です。
 748『アナトリア』
 222『毛沢東最後の革命 上』
 222『毛沢東最後の革命 下』
 334.3『地域と人口からみる日本の姿』
 336.1『共感企業』
 238『レーニンの墓 下』
 134.9『現象学の根本問題』
 375.1『電子黒板・デジタル教材 活用事例集』

24冊の本を片付けた。全てが未唯空間に向かっている

2011年04月09日 | 6.本
5年前に「町一番の店舗」を推進しようと言う話が、営業部からありました。その時に考えた構想を出す時かもしれない。

主役は、行政とNPOと企業です。それらがタイアップして、市民を支援していくというものです。それぞれは力を持っています。それがバラバラです。権限が相手側に当たっています。

企業はお金だけの提供ではない。誰がどこに住んでいるか、何を望んでいるかの情報を持っています。企業は自分たちである程度、動けるけど、一定の線を超えると、行政との関係になります。そこはNPOが補完します。

行政は均一のサポートがルールなので、動けないところが出てきます。NPOを中継して、企業は自分のところのお客様を支援すればいいです。これに保険会社とかコンビニとかをくっつければ、企業の力は膨大です。それをやるとしたら、企業の中も事業開発とか市民参画支援とか別々の部署になります。それを「町一番」で通そうというものです。

当時の室長から、営業部には提案してもらったが、彼らが望んでいたものとは異なっていた。企業主体の構想です。つまり、「どんなものを作ったらいいのか」でした。

新潟・長岡での市民団体は災害が起きた時の訓練を1ヶ月に一度、行っていた。福島の集団避難の受け入れがうまく、動いた。企業・NPO・行政の集まりは1ヶ月に1回でいい。主導はNPOです。一番、肝心なことは、それぞれが情報を出して、コラボレーションすることです。

5年前に、企業、NPO、行政が一体になって動ける仕組みに取り掛かっていたら、宮城辺りの販売店の動きは変わっていたでしょう。企業でお客様状況確認した結果を、行政が確認して、NPOがさまざまな形態で、市民にアピールしていたかもしれない。スタッフのお客様への関心も高まったでしょう。

私の夢は、本来の現業で、そういうことができるようにすることです。特に、お客様との接点である、販売店を全体としてどう動かすかは、メーカーの仕事です。それと非日常と日常との関係です。日常の接触が非日常の接触に容易に変えられることです。つまり、営業スタッフの意識を変えていくことです。

11年度の年度計画を見ていても、会社方針には、「いい町・いい社会」の実現がでてきているが、部レベルにはありません。社長の言葉の中にも、部長は会議に出ずに、部を超えろ、というものがある。その通りです。是非とも、部長の思いをファシリテーションしてもらいたい。

「結果の出ない組織はこう変えろ!」という本を読んでいた。上と下があまりにも意識が異なります。その間の部が機能していない。そんなことが書かれていた。

「ファシリテーター」には、ファシリテーターが直面するチャレンジは3つと書かれていた。①オープンに話をさせる。②考えさせる、③収束させるです。最後が一番難しい。ちなみに、パートナーは私に対しては真っ当な意見を言います。他の人には黙っています。これは謎です。

「時間の作法」は自分のことしか書いていない。メモも自分流です。そんなものをマネする人はいない。本は買うタイプです。

本を読む時に、完全に、未唯空間との関係を考えています。「ウェブ・ソーシャル・アメリカ」を読んでいるけど、これがアゴラとの関係を考えています。だから、読み飛ばしの激しいこと。インターネットの過去のことはすべて、飛ばしています。分かり切っている。今から、後に関することで役立つことを抜き出します。それからすると、やはり、未来予測は自分で作るしかない。それを元にした、本を書きましょう。

16時で、本を読み終わってしまった。豊田市図書館で借りてきた26冊のうち、ニーチェ関係の2冊を除いて、終了です。これで明日の岡崎がなければ、読書できない。やはり、日曜日は未唯空間に当てようか。それよりも運動しようか。読書が未唯空間になってしまった以上、色々なものをそちらに合わせないといけない。これはつらいけど。

会社でやることをなしの状態にしました。何か、根源的なものを何かを考えないといけない。会社の時間を含めて、未唯空間にどこまで、のめり込めるか。そこでのアウトプットは何も要求されていません。私の元にあるのは、図書館とスタバだけです。他は何もない。

未唯空間の概要の再検討を行っています。型から離すことがポイントです。未唯空間の仕事編の最初のところは、「会社を使う」ことにします。自分の思いはないから、どのように会社を使おうとしたかに組み替えます。

豊田市中央図書館から26冊、借りました。小粒です

2011年04月08日 | 6.本
豊田市中央図書館から26冊、借りました。小粒です。

 134.94『ツァラトゥストラ(上)』ニーチェ

 134.94『ツァラトゥストラ(下)』ニーチェ

 210.7『戦前昭和の社会』1926-1945

 333.6『世界経済のオセロゲーム』

 007.3『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』<全球時代>の構想力

 019.53『雨の降る日は考える日にしよう』柳田邦男[絵本は人生に三度]手帖

 302.22『疾走中国』[変わりゆく都市と農村]

 336『経営の「見える化」』図解ビジュアル

 493.25『健康診断で血圧値が高めの人が読む本』

 547.48『仕事を成功に導くFacebook活用術』

 314.8『国会議員の立候補する』体験ルポ

 493.74『読むダイエット』"太る人"の心のメカニズム

 663.6『減ったマイワシ・増えるマサバ』わかりやすい資源変動のしくみ 日本水産学会監修

 391.6『世界サイバー戦争』核を超える脅威 見えない軍拡が始まった

 336.3『"結果"の出ない組織はこう変える!』ファシリテーションの応用と実践

 312.1『非常事態下の政治論』…3.11直前に発刊。内容は他愛もない。

 377.15『マイケル・サンデルが誘う「日本の白熱教室」へようこそ』

 302.27『アラブ首長国連邦(UAE)を知るための60章』

 404『儲けたいなら科学なんじゃないの?』堀江貴文×成毛眞…まだ、居るんだ

 293.89『北欧』タビトモ

 953.7『自由への道6』サルトル

 007.1『冗長性から見た情報技術』やさしく理解する原理と仕組み

 559.4『世界の傑作戦車50』戦場を駆け抜けた名タンクの実力に迫る

 480.76『いのちの王国』乃南アサ

 002.7『「時間」の作法』

 385.9『クロワッサン 今さら聞けないおとなのマナー』困った!こんなときどうする?のマナー集

明日までに20冊、片づけます。大物は日曜日に岡崎で借りてきます。

年度方針で会社と部署ではトーンが異なる

2011年04月08日 | 5.その他
未唯へ。明け方に見る夢が、現実と重なっています。一生懸命、色々なモノを4つに分解していました。眠りが浅いのかな。

11年度の方針を見ていました。あまり、変わり映えしない。あいかわらず、先が見えない。販売でありながら、同じ売り方です。マーケティングとつながっていけるのかな。

本当に安く作って、安く売るだけでいいのか。今回の災害の経験が生かされるのか。社会を変えていくのか、社会が変わっていくのか。本当に売ることだけでいいのか。そんな疑問には何も応えてくれない。

目標が全て、数字になっています。これは評価するには、いいかもしれないが、それで何をしたらいいのかが分かるのか。数字だけを上げることを考えると米国企業のようになってしまう。

マーケティングとしては「シェア」を考えてもらいたい。SNAPにしても、CDがプレスできないから、音楽配信です。シェアです。10年前の衛星配信の発想がそうでした。使うことを中心に考えた。シェアです。

ニーチェは価値観を変えようとした。未唯空間の検討も同じかもしれない。どういう価値観をどうしたいか、です。歴史を変えるとは、そういうことです。

未唯空間にブログを反映する作業に掛っています。とりあえず、五次元シートを一次元に並び替えました。それを全部プリントアウトします。詳細は書き込みましょう。詳細はラベル中心です。それで表現します。

旅は非日常だからいいかもしれない。非日常と日常を一緒にすることが必要です。

近傍系の条件はオープンだと言うことです。自工程完結と言うのは、クローズです。だから、組織は救われないのです。なぜ、クローズに拘るのか。クローズドな割には、上から適切な指示が来ていない。自工程完結を適切にするには、コラボらレーションとライブラリが必要です。これなくしては活性化できない。そして、自工程完結よりも自己完結の人が多い。

会社での方針と部での方針があまりにも違いすぎる。これは部長のレベルですか。室単位になると、さらに無策です。この会社に「歴史」という観点を要求するのはムリですね。日本を変えていかないといけないのに。だから、私が作っておきます。気が向いたら、使ってください。

会社は3時に終了して、豊田市中央図書館に向かいました。4時半に到着して、新刊書を漁っていました。小物ばかり、ゲットしました。当然、ニーチェの「ツァラトゥストラ」(上・下)丘沢静也訳です。中村元さんではないんですね。

ニーチェ『ツァラトゥストラ』の影響が出ている

2011年04月07日 | 6.本
未唯へ。スッキリした天気にならない。寒い。さあ!やろうと思ったけど、寝よ。

昨日、放送された「100分de名著」のニーチェ『ツァラトゥストラ』の影響が出ています。ニーチェも知らないといけない、結局、未唯への手紙を自分でやっていると言うことです。これは人へつなげるものです。ニーチェにあったけど、失敗するための試みは偉大である。周りの人間は見てみない振りをする。または邪魔をする。その二種類しかない。

どうも、私みたいな孤独な人間にはニーチェはあっている。ニーテェは勇気を与えてくれます。

ジンメルの社会分化論にして、個人と社会との関係は、その間のグループの大きさによって、中身が変わっていく。組織ができたことで、分化していく。分化によって、疎外を起こしていくのが社会です。ジンメルからすると、未唯空間は完全に社会学です。

常備軍から国民軍に移った時に、非日常が出来てきた。常備軍にとって、戦争は日常でした。国民軍にとって、戦争は非日常です。それで、変な分化が起きてきた。国民軍が市民に戻る時に、非日常と日常が合体するのです。同じことが、社会にも、会社にもいえます。分化させたところで、それを合体させます。

これは専門家とふつうの人との関係も一緒です。専門家に分化したけど、結局、皆で考えた方が絶対に儲かります。これは国民軍と一緒です。その発想で変えていく。皆が専門家になり、専門家が皆になる。道具が進んでくると、技術者とふつうの人の間の日常と非日常が同一になります。これがテクノロジーの進化が果たす役割です。皆が工夫して使えるようにすることです。「使う」ところはふつうの人の方が専門家です。

社会学的にシェアに向かうと言うことは、非日常と日常が一緒になると言うことと、分化したものが同一になっていくということです。なぜ、常備軍と国民軍があるかというと、それは数の差です。

中国の農民は、戦争があっても、ふつうに働いてきました。ところが、八路軍では、土地を与えるという餌で持って、この根底を覆した。そこから、中国の悲劇が起こっています。コントロールが効かない。では、中国はどうなっていくかです。分解するのは確かですが、そこからどういう社会を作っていくのか。

なぜ、哲学は自分のところで止めておくのか、他とかの関係とかやっていけばいい。社会学とか歴史学とつながることで、もっと、色々なことができるようになる。本来、未唯空間、未唯に渡したかったものは、そういうところを数学で解いてほしかったのです。未唯は動物の方に行ったから、私が手伝っています。

専門家を解放する方法は、モノに入れ込んでしまうことです。今回の原発にしても、モノに入れ込んでなくて、技術でやろうとするから難しいのです。そうすると、専門家は色々なことを考えて、色々なことをやって、結局失敗します。

今、一番必要な専門家は、予測する専門家です。それで事前対策が打てもス。事後の専門家は何の役にも立ちません。研究開発部署での専門家は何をしたかというと、自分のデータベースを揃え、それでシミュレーションをして、依頼者に対して、いくつもの答を出して、その中で、最適なものを出しました。

初めて、専門家とかプロを見た。それ以外のものはプロではない。だから、私もプロになることにしました。そうでなければ、何千・何百の結果から部品を選べないです。ましては、それから、新機能の商品を作ることもできなかったはずです。電気をいかに回収するかを、ゼロから作りました。その前のエンジンの開発技術を活用しました。

3月のブログ件数は2月の3倍です。これは震災もあるけど、ICレコーダーの性です。朝、考え始めると、すぐに50から100になり始めます。つぶやくことに飢えている。言いたいことが一杯あります。

個人と社会の関係について

2011年04月06日 | 3.社会
ジンメルの『社会的分化論』より

個人と社会の関係の問題を解明する課題は第二章から最後の第六章までの五つの章で取り組まれており、どの章においても、社会や集団の発展が解明されているとみることかできる。

第二章の「集団的責任」では、未開な時代には、罪を犯したのは個人であっても、その個人が責任を負うのではなく、その個人の属する家族や部族などの集団全体が責任を負いがちであったという。この形で負う責任が集団的責任で、これがなぜ起こるのか。この時代には、集団の規模が小さく、全体と部分が未分化な融合状態にあって部分が全体と自分とを区別できなかったために、部分の犯した罪でも全体の罪にされて、全体がその責任を負うことになったからである。

のちの時代に、集団の成員数が増大して集団が拡大してくると、全体は部分に依存しなくなり、また、部分も全体に依存しなくなってくるから、両者が相互に自立しあうようになってくる。そのために、この意味の分化に対応して、ある集団の成員が別の集団の成員に対して罪を犯しても、集団全体がその責任を負うことなく、罪を犯した成員だけがその責任を負うようになり、別の集団の傷つけられた成員の憎悪の感情もその罪を犯した成員に対してのみ向けられるようになるというように、責任の負い方も変化してくるわけである。

第三章では、「集団の拡大と個性の発達」が扱われている。この章でのジンメルの論証は、集団の拡大、つまりその成員数の増大につれて、集団内部の諸成員のあいだに分化と個別化か生じて、それら諸成員のあいだに個性の発達する余地が増大するというものである。

第四章で扱われているのは「社会的水準」である。ジンメルのいう社会的水準とは、ある集団ないしは社会圏のなかで「多くの人びとが共通にもっている精神的所有物」の範囲を示す概念で、この水準が個性の出現を促す分化との関連で把握されている。

第五章は「社会圏の交錯」である。ジンメルは個性について論じている。しかし、そこでは、どちらかといえば、集団の内部でその諸成員のあいだに分化がみられるようになって個性の増大する余地が生まれるとともにその集団自体が逆に個性の乏しいものになっていくことが主に明らかにされているとすれば、集団の内部でよりも、むしろその外でさまざまな集団とのかかわりを通して、近代人の個性が形成されることが主に明らかにされているということができる。

最後の第六章は「分化と力の節約の原理」である。この章の冒頭では、「有機体の系列においてたどられるすべての発達は、力を節約しようという傾向によって支配されているとみることかできる」と。力の節約とは、われわれの目的活動の障害を避けて、われわれの目的をより少ない力で達成することであるが、ここでは、そのことが分化によって可能になることか明らかにされている。

個人のばあい、その内部にはさまざまな衝動がある。いまこれらが互いに自己を主張しあって競争すれば、いたずらに力が浪費されて、互いの衝動か充足されない。しかし、これらの衝動が分化して、別々の充足目標とそれに至る別々の道とをもつことになれば、それらは、競争も摩擦も起こさずにそれだけ力を節約でき、それぞれの目標を効果的に達成できる。

たとえば、近代以前には、戦士身分がもっぱら戦う機能を引き受けて社会の他の成員から分化したが、この分化によって、戦士身分は戦うことに没頭でき、他の成員は戦うこと以外の各自の仕事に没頭できたために、そういう形で社会の統合化か確保されて、力が大いに節約されたのである。ところが、近代に入ると、戦士身分よりももっと高い軍事的効果を果たす国民軍が分化し、この軍隊が祖国愛のために「給料も強制も人為的緊張も必要とせずに」軍事的機能を発揮することによって、一定期間にせよ、社会の統合化が確保されて、力が節約されることになったが、しかし、戦士身分の機能的分化はもちろんのこと、そのあとあらわれた傭兵のそれも消滅してしまった。