人が増えること
人が増えるから、エネルギーを増やす。エネルギーが増えるから、人が増えていく。その無秩序さでは、今回のように有限でぶつかります。それは環境問題で分かっているはずです。
環境問題と人口問題とエネルギー問題をいかにつなげて、自分たちで実質的な答を出していくのか、そのために、何が必要なのか、という発想ですが必要です。
そこから、出てくるのがシェアする世界です。グローバルで作られたエネルギーをローカルで保有し、拡大させるという考えです。エネルギーの大胆なシフトです。そこでのポイントは、一人ひとりが自分でやりながら、全体を制御していくことです
では、どうあればいいのか。世界のグローバルでの考え方と、ローカルを信じて、ひたすら待つ、というやり方しかないのか。一人ひとりが生きていくための手段を作りだしておいて、次にはそれを使っていく。自分たちでいかに防御するのかをはっきりさせて、グローバルに何を要求していくのか。
国のために自己犠牲
中国人は、国のためなら犠牲になるという教育を受けているから、そういう人間がいくらでもいるみたいです。それが文化大革命にもつながったのでしょう。国=毛沢東ですけど。
日本は国のためには動かない。周りのために動く。そのためにつながっていかない。
未唯空間のロジック
未唯空間のロジックは先を見ています。大きな全体に、考えてきたことを入れ込んで、それで未来を見えるようにしている。
一人ひとりがどのように生きていくのかが、未唯空間の大きなテーマです。一人ひとりの努力が全体をどう動かしていくのか。そのロジックができています。
原子力発電について
事後の費用よりも、事前の費用が大きすぎる。原子力発電はそのメジャーでは成り立たない。その中には、その地域の人の一人ひとりの悲しみも入ります。
フィンランドの原子力発電をヘルシンキで見ました。皆で一生懸命守ろうとしています。コラボレーションの結果の原子力です。そういうところのエネルギーと、東電が効率ということで独断で決めたエネルギーは違います。
「責任を持つ」ということ
議論の中で、気になる論理がありました。東電が原子力を採用して、その電気を都民は使っているのだから、我々は「責任を持つ」という意見です。これでは何も変わりません。
国がアメリカと戦うことを決めたから、国民はそれに従うと言うことと同様です。開戦の決定過程で、アメリカの国力との差とか、決定プロセスに国民がどこまで絡んでいるかです。
ローカルに十分な情報が提供されて、コラボレーションして、グローバルを変えていくというインタープリターの機能が働いた結果の時に初めて、「責任を持つ」と言えることです。
東電をファシリテーションしないといけない。我々はこれしかないのか、を一緒になって考えれるようにしないといけない。そうしないと、循環ができていません。その上で負担だけを押し付けられては、グローバルの責任放棄です。
日本の評論家
内科の待合室のテレビで評論家らしい連中が震災対応の話をしている。その中に、「モノを作っている人に申し訳ない」という言葉があった。「お百姓さんに申し訳ない」的な発想です。全体を考えた時に、モノを作ることは使うことが前提です。使うことを抜きに作られたものはムダです。使えるようにするためにはどうするかを考えていくことです。
ローカルがやはり、キッチリさせて、新しい時代をむかえさせないといけない。社会を変えることよりも歴史を変えることです。
人が増えるから、エネルギーを増やす。エネルギーが増えるから、人が増えていく。その無秩序さでは、今回のように有限でぶつかります。それは環境問題で分かっているはずです。
環境問題と人口問題とエネルギー問題をいかにつなげて、自分たちで実質的な答を出していくのか、そのために、何が必要なのか、という発想ですが必要です。
そこから、出てくるのがシェアする世界です。グローバルで作られたエネルギーをローカルで保有し、拡大させるという考えです。エネルギーの大胆なシフトです。そこでのポイントは、一人ひとりが自分でやりながら、全体を制御していくことです
では、どうあればいいのか。世界のグローバルでの考え方と、ローカルを信じて、ひたすら待つ、というやり方しかないのか。一人ひとりが生きていくための手段を作りだしておいて、次にはそれを使っていく。自分たちでいかに防御するのかをはっきりさせて、グローバルに何を要求していくのか。
国のために自己犠牲
中国人は、国のためなら犠牲になるという教育を受けているから、そういう人間がいくらでもいるみたいです。それが文化大革命にもつながったのでしょう。国=毛沢東ですけど。
日本は国のためには動かない。周りのために動く。そのためにつながっていかない。
未唯空間のロジック
未唯空間のロジックは先を見ています。大きな全体に、考えてきたことを入れ込んで、それで未来を見えるようにしている。
一人ひとりがどのように生きていくのかが、未唯空間の大きなテーマです。一人ひとりの努力が全体をどう動かしていくのか。そのロジックができています。
原子力発電について
事後の費用よりも、事前の費用が大きすぎる。原子力発電はそのメジャーでは成り立たない。その中には、その地域の人の一人ひとりの悲しみも入ります。
フィンランドの原子力発電をヘルシンキで見ました。皆で一生懸命守ろうとしています。コラボレーションの結果の原子力です。そういうところのエネルギーと、東電が効率ということで独断で決めたエネルギーは違います。
「責任を持つ」ということ
議論の中で、気になる論理がありました。東電が原子力を採用して、その電気を都民は使っているのだから、我々は「責任を持つ」という意見です。これでは何も変わりません。
国がアメリカと戦うことを決めたから、国民はそれに従うと言うことと同様です。開戦の決定過程で、アメリカの国力との差とか、決定プロセスに国民がどこまで絡んでいるかです。
ローカルに十分な情報が提供されて、コラボレーションして、グローバルを変えていくというインタープリターの機能が働いた結果の時に初めて、「責任を持つ」と言えることです。
東電をファシリテーションしないといけない。我々はこれしかないのか、を一緒になって考えれるようにしないといけない。そうしないと、循環ができていません。その上で負担だけを押し付けられては、グローバルの責任放棄です。
日本の評論家
内科の待合室のテレビで評論家らしい連中が震災対応の話をしている。その中に、「モノを作っている人に申し訳ない」という言葉があった。「お百姓さんに申し訳ない」的な発想です。全体を考えた時に、モノを作ることは使うことが前提です。使うことを抜きに作られたものはムダです。使えるようにするためにはどうするかを考えていくことです。
ローカルがやはり、キッチリさせて、新しい時代をむかえさせないといけない。社会を変えることよりも歴史を変えることです。