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コンビニ袋をなくす方法が見つかった

家族制度を変える

 家族制度を変えることによって、介護業界というものが まるっきり変わる 家族の負の負担ではなくて コミュニティの大きな役割となる

 人間の循環サイクルが確立する

 320のベッドのうちのひとつに入れましょう。 歴史における戦争と言うタームも同じです。

コンビニ袋をなくす方法が見つかった

 スーパーマーケットを無くせばいい。個々の家庭で料理を作ると言う、仕組みを変える。出来上がったものを食べに行けばいい。コミュニティでそれをおこなうことで、家庭ゴミもなくなる。

 一番大きな削減は 主婦のスーパー巡りがなくなる。

数学の問題

 「数学オリンピック」の問題を見てるけど、こんなものは数学ではない。数学は考えること。哲学と一緒です。考えるとは答えがないことを考えること。誰かが作った問題を答えるのは、単にクイズに答えているだけ。本当の数学のオリンピックは開催されるのか。
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介護「再編」を断行せよ

『介護再編』より

業界変革への道筋

 本書ではこれまで、現場での実態に基づいて、介護業界に巣食う問題点を列挙してきました。何も負の側面を強調したいのではありません。私たちは、逆に「伸びしろは大きい」「やれることはまだまだある」と信じています。介護という仕事の本質は、広くて、深い。それを発展させるには、介護の質と量をどう高めていくか、に尽きます。

 ここからは、どうすれば介護の質と量が改善されるか、どうすれば介護職の労働環境の問題が解決されるかについて、主に介護現場の視点から言及していきたいと思います。

 問題の解決策として、政府や行政ができること、事業者ができること、介護職白身ができること、はたまた社会全体ができることなどさまざまありますが、まず基本的なスタンスとして持っておきたいのは、事業者や介護職がやるべきことをやるしかない、ということです。それが介護というサービスを事業として行う者のプライドであり、責任です。当事者にとっては厳しい提言かもしれませんが、エールとして受け取っていただければと思います。

 これまで日本の産業の中で隆盛を極めている分野で、政府や社会の力によってのみ成功したものはありません。

 古くは重厚長大と言われた鉄鋼・造船・セメント・石油化学などの重化学工業、現代の自動車産業やIT産業など、どれひとつとっても政府の支援があったから成長したわけではありません。もちろん、政府の支援でさらに成長が促された面はありますが、基本はその産業に携わる人の努力の賜物であるのです。

 「介護は産業じゃない」というかもしれませんが、もはや、そのような言葉遣いを議論している局面ではありません。事業として社会の中の富を生み出している以上、「産業」という側面を持っていることはまぎれもない事実です。自治体だって同じです。今、町おこしを熱心にやっている自治体やそれが奏功して活気づいている市町村は、補助金をあてにしてこなかったところです。一方で、補助金をあてにしてきた分野の産業、自治体が軒並み低迷していることは歴史が証明しています。

 当然、政府は制度改革によって追い風を吹かせなければなりませんが、できることは旗を振ることに過ぎません。方向性を定めてその風を帆に受けて前進させるのは、その船に乗っている当事者であるはずです。

 私たちも同じ船に乗る一員として、事業者であったり、働く人であったりといった現場ヒト、モノ(箱物)、カネでみた場合、政府が動かしやすい順番で言うと、最も動かしやすいのはカネです。カネがあればモノも揃えられます。しかし、ヒトはそうはいきません。

 政府はカネ、モノについては何らかの具体策を示せるのですが、ヒトに対して影響を与える手段はあまり政策的に熟成されていません。ヒトをトレーニングすることはできても、ヒトを集める政策手段を編み出すことは苦手なのです。なぜなら人材不足の時代に日本が直面したのは歴史上ほぼ初めてのことだからです。

 一つのチャレンジとして働き方改革や生産性革命といった命題を掲げて、いま政府全体で取り組もうとしているのですが、それはそれで時代性としてはとても正しいとは思うものの、それがまだ介護業界まで十分に伝わってきていません。

普通の業界での当たり前を

 改めて直視したいことがあります。介護業界では他の産業では普通にやっていることができていません。

 施設の経営に関する事務・管理業務においても営業トークに乗せられて破格に高い会計ソフトを導入している施設は非常に多いのです。

 また、たとえば、採用するときに学生や若者を引きつけるための努力も足りなければ、採用後の研修など、人を大事にして育てていくということもできていないし、キャリアアップしていくための道筋も示せていません。そうしたごく普通の当たり前の人材マネジメントができていません。

 介護の仕事が、たとえば日雇いの清掃員と同じようなレベルでよいのであれば、おそらくこれ以上モチベーションや報酬を求めることもないでしょう。そうでないから、みんなが苦しんでいるのです。

 飲食業や建設業、清掃業などとの決定的な違いは、人の生命や暮らしを丸ごと預かる仕事であるという点です。心と体の両面を支えるという点ともいえます。そこから、医師や看護師といった職業のように、それなりの教育研修システムを持ち、プロフェッショナリズムをそこではぐくみ、生命の尊さも理解し、尊い仕事として真摯に向かうべきなのだという考え方が出てきます。

 しかし、そうした考え方が具体的な形をなす間もなく、時代の要請に従って介護職を量産せざるを得ませんでした。すると、そもそも命という大切なものを扱っているのだという根本理解が十分ではなく、そのためにどうすればいいかの方法論も現場に提示されていないという状態にあります。これでは現場が立ち行かなくなるのはある意味で当然と言えます。介護の現場で起きる虐待の問題はその課題のごく一部が表面化したものと言えるでしょう。あくまで氷山の一角であるということを認識しなければなりません。

 これは、たとえばお金の大切さを理解しないで銀行員が銀行業務をやっているのと同じです。横領や不正融資が横行し、銀行としての機能を失ってしまい、結果的に破綻するしかありません。そうならないように、銀行ではしっかりした教育システムの中でそれを教えていくのです。

 まず、介護事業所が人材の採用において最低限やらなければならないことには次のようなものがあります。

  ①媒体選定(どの媒体で、いくら使うと、何人応募がある)

  ②求人内容の創意工夫(介護職のおばちゃんが笑っている写真だけではあまり応募してこない)

  ③応募があったら3分以内に連絡し、できればその日のうちに面接を実施する

  ④いい人であればその日のうちに内定を出す

  ⑤入社までの期間に食事会を実施する(他社に行かれないように)

  ⑥入社時の提出書類互雇用契約書を用意する

  ⑦入社後は最低でも7日は新人研修を実施する

  ⑧大前提としてホームページのコンテンツを充実させ、SNSで情報を発信する介護事業者の大半は、個人事業主に近いような中小・零細企業であるので、そこまで採用とホームページに予算と人手をかけられないということであれば、業界でまとめて基本フォーマットをつくったり、地域ごとに集まって勉強会をしたり、業界団体がBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)業務を請け負ったりと、コストを下げ、効率を上げるためにいくらでもできることがあります。

 また定着を促すための方策としては、非常に風通しが悪くなっているのがいまの介護事業所ですから、一般企業のように人事ローテーションを行ったり、出向したりといった人事交流を行うことです。これは自社内だけではなく、他社との協力・提携関係によって費用をかけずに実施可能なはずです。

 人は、新しい環境に身を置いたり、いままで会ったことのなかったような分野の人と交わることによって刺激を受けたり、成長したりするものです。人によって程度の差こそあれ、人間にそもそも内在している成長欲求、新しいものに対する好奇心といったものに応えることは、とても大事なことです。

 介護業界の経営者はそこに取り組むことが必要です。特に介護を志すような人々は、経済的な報酬だけで動く人々ではありません。利用される方々へ満足のいくケアをしたい、それを通じて自らも職業人として人間として成長し続けたいと考える人が数多くいます。そうした秘めた情熱や意欲に火をつけることこそ、経営者の責任ではないでしょうか。

 施設運営の事務・管理業務については、普通の企業に入っているようなシステムを入れるだけで相当改善されるはずです。会計業務も、中小零細の施設であればスマホアプリの会計ソフトである「マネーフォワード」のようなものでもいいのです。オプションを入れなければ無料です。バックオフィス機能を業界で地域的に統合したり、数社でまとめて代行業者に依頼したりしてもいいでしょう。

 やれることがまだまだあるということは、裏を返せば、これらの普通の企業がやっていることをやるだけでも大きく変わる可能性があるということです。その意味でも介護はまだまだ可能性のある業界なのだと言えるのです。

 同時に、他の業界で経験を積んだ人や企業・事業体が、介護業界に新たな風を吹き込んでいくことも期待したいところです。「越境」してくる人や方法こそ、介護業界に新たな進化のチャンスを与えてくれると考えます。
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トヨタが大きな変化の先駆者になる

『新たなる覇者の条件』より

トヨタが再びオープンイノベーションに挑む

 2014年に放映されたTBS系TVドラマ『LEADERSリーダーズ』(2017年にパート2放映)は、トヨタ自動車(以ド、トヨタ)の創業者・豊旧点二郎氏をモデルにして、血の惨むような努力で日本初の国産車を開発したストーリーを描いている。

 戦前、米国の自動車産業の素晴らしさを日の当たりにした愛知佐一郎(豊田喜一郎氏がモデル、佐藤浩市さん演じる)は「必ず自力で国産車を開発してみせる」と決意する。当時、車といえば欧州製・米国製など外川車しかなく、「技術がない日本が車など作れるわけがない」ということが常識だった。

 佐一郎が国産の「自前主義」で製品開発することにこだわったのは、当時の日本が欧米から「下」に見られていたことに対する反発心が原動力だった。

 まず、佐一郎は東京帝國大学の同級生を頼って技術指導を仰ぎ、父親が創業した愛知自動織機(豊川自動織機がモデル)から優秀な工員を選抜した。その後、彼らは米国車を分解して部品や全体構造を研究し、また組み立てて走らせることを繰り返した。

 佐一郎のグループは、次第に未知の「クルマ」という製品を理解するようになった。このような分解・組み立てによって先進的な製品の構造を研究する手法は「リバースエンジニアリング」と呼ばれ、日本企業が外国企業に追いつき、追い越すための常套手段だった。その後、新興国の企業が同じ手法で日本製品をコピーして、日本企業を追い越したことは皮肉といえる。

壮大な夢を実現するために外部の力を借りる

 ただ、お金をかけて自前の車を開発することにアイチ自動車工業(トヨタがモデル)社内には強い反対意見があった。その筆頭が、金庫番の石山又造(「トヨタ中興の祖」石田退三氏がモデル)だった。

 また、製品開発は失敗続きで熾烈を極めた。シャフトの強度、エンジンの耐久性など課題が山積みで、完成品など夢のまた夢だった。佐一郎の理念に心酔した工員たちは不眠不休で頑張ったが、皆精神的に追い込まれて行く。

 同時に、佐一郎は社外に協力者を探し、その過程で大島商会社長の大島磯吉(小島プレス工業創業者の小島濱吉氏がモデル)と出会った。

 大島は、エンジン周辺の金属部品の改良を提案する。そこで、佐一郎はふと「自分たちで手に負えないところは積極的に外部の人に頼ればよい。自分の工員たちを信頼するかどうかは別問題だ」ということに気付く。彼は自前主義の限界を悟ったわけだ。

 自社工員たちは優秀といっても、自動車を作った経験がなく、所詮「機屋」だった(当時、トヨタもそう呼ばれた)。ところが、プレス屋の大島には機屋が持たないノウハウがあった。

 ただ、自動車は極めて多くの部品が必要で(現在は3万点に上る)、大島ひとりの手に負えるものではなかった。そこで、彼は愛知県の町工場を集め、「日本初の国産車を作る」を旗印に、パートナー企業のグループを立ち上げた。ドラマ中では『協愛会』と命名されたが、1943年に結成された『協豊会』というトヨタのパートナー企業グループがモデルである。2018年5月現在、協豊会には227社の協力企業が加盟している。

 紆余曲折を経てアイチ自動車は国産車の開発に成功して、販売パートナーとの運命的な出会いを経て、そこから二人三脚で夢を追うところでドラマは終わる。

イノベーション実現のためのプロセス

 トヨタ創業時の成功物語は、今の日本企業にとって大昔の「神話」に近い話といえる。約80年前、同社は町工場からスタートして飛躍的な成長を続け、現在、売上高30兆円に迫る巨大企業になった。21世紀にこの神話を聞いても、ピンと来ないのが普通だろう。

 ところが、トヨタの創業ストーリーは、今でも、イノベーションを目指す際に何を行うべきか、明確なディレクションを与えてくれる。「国産車開発」という事業目的が明確になった後、5つのステップを経てイノベーションが実現されている。

  ①組織をオープンにする

  ②知のダイバーシティを推進する

  ③あえてダブルスタンダードで進む

  ④プラットフォームを進化させる

  ⑤事業出口を柔軟に探す

 豊川喜一郎氏というリーダーが事業目的を明確にした後、まず、組織をオープンにした。自分たちは自動車開発の経験がなかったので、日本ゼネラルモーターズ(GM)などから経験者をスカウトした。『中京デトロイト化構想』で自動車の試作に携わった人材も対象になった。

 次に、自動車開発のために必要な知識が融合され、知のダイバーシティが推進された。社内に研究所が作られ、帝國大学や東京工業大学から、自動車工学、熱工学、材料工学などの専門家を招いた。現在の産学連携の走りといえる。喜一郎氏は、自動車産業のことを「各方面の知識の集合によって成り立つ」と表現している。

 3番目に、自動車開発のための別組織という「ダブルスタンダード」があえて設定された。当初、喜一郎氏の父である豊田佐吉氏が設立した豊田自動織機製作所(以下、自動織機)内に、自動車部を作って開発が進められた。ただ、自動織機の本業は紡績業であり、社内に自動車という「異分子」を置くと組織が混乱する。そこで、1937年、トヨタ自動車工業という「自動車ベンチャー」が作られ、紡績業から切り離された。

 4番目に、部品会社と個別にI対1の関係を作るだけでなく、部品会社同士も協力できる「場」が作られた。同社は創業時から「オープンドアポリシーに基づく公正な競争」を掲げていた。部品工場を「出入り業者」として扱うのでなく、彼らの経営が安定するようサポートすることがトョタにとっても重要という考えである。部品会社が協力する協豊会は、現在の「プラットフォーム」の走りといえる。

 最後に、事業の出口は柔軟に探索された。元々の事業目的は乗用車開発だったが、日中戦争・太平洋戦争開戦が迫り、政府・軍部の要請に応じて軍用トラック開発に力を入れた。軍用トラックは同社がやりたい事業でなかったはずだが、おかげでキャッシュフロー改善に役立っている。

 これら一連のプロセスがあって初めて、喜一郎氏の事業目的が形になったことが分かる。

 それから長い年月を経て、今日のトヨタは創業期とかなり違う姿になった。多くの下請け企業を従え、企業ピラミッドのトップに君臨している。その構造がトヨタの強さを支えているが、もはや部品会社とパートナーとして対等な関係を結んでいると言い難い。様々な情報を集約できるトヨタは、創業時と異なり「クローズな会社になった」という評価はある意味当たっている。

大きな変化の先駆者になる

 しかし、そのトヨタでさえ、近年真剣に変わり始めている。まるで、喜一郎氏の創業時を思い出すようだ。これから、自動運転、ロボット、loTなどの技術革新が経済構造を変えることが確実になった。自動運転車、シェアリング経済が本格的に普及すると、自動車の生産台数は減少する可能性が高い。現実にそういう時代が来ると、ピラミッドのトップにいるトヨタでさえ安泰でなくなる。

 ただ、「そうは言っても、当面は現状維持で大丈夫だろう」と大半の人は考えている。ガソリン車を自宅ガレージに置いて通勤やレジャーに使う生活が、来年・再来年になくなるわけではない。しかし、そうやって課題を先送りにしていると、大きな変化の先駆者になることはできない。

 先を見据えて、過去から「ジャンプした手」を打つことができるのは「経営トップ」だけだ。管理職によるボトムアップのイニシアティブでは、企業はジャンプできない。80年前、「車は外国から輸入すればよい」と誰もが考えていた時代に、国産車を開発する「夢物語」を唱えることができたのはトップの喜一郎氏だけだった。

 トヨタの現在のトップである豊田章男社長は新しい「夢物語」を唱えている。2018年1月、米ラスベガスで開催された国際家電見本市(CES)において、同氏は、トヨタがクルマ社会を超えて、「モビリティ・カンパニー」に変革するというスピーチをした。しかも、これからのライバルは自動車メーカーだけでなく、「グーグル、アップル、フェイスブックといったIT企業まで想定しています」と語っている。

 ここで「モビリティ・カンパニーになる」という、過去からジャンプした事業目的が設定された。ただ、自動運転、ロボット、先端素材開発は、トヨタの社内技術だけでは不十分なので、「オープン」に、大学・研究所・ペンチャー企業を巻き込んだ「知のダイバーシティ」が始まっている。

 また、先端研究には不確定な要素が多いので、ミスや欠陥が許されない『トヨタ・カンバン方式』にそぐわない。そこで、米国にトヨタ・リサーチ・インスティチュート(TRI)、国内にトヨタコネクティッドという別組織が作られ、カンバン方式と違う「ダブルスタンダード」で事業が推進されている。今後、新事業が形になれば、「プラットフォーム」の形成や「柔軟な事業出口」の探索へと進むだろう。

 まさに80年前と同じプロセスを踏んでいる。

 ドラマ『LEADERSリーダーズ』プロデューサーを務めたTBSの貴島誠一郎氏によると、制作側のタイトル原案は『LEADERリーダー』だった。ところが、豊田章男社長が『LEADER』の後に『S』を加えることにこだわり、このタイトルに落ち着いた。

 また、劇中で、えなりかずきさんが演じる工員のセリフ「やりましょうよ!」が章男氏のお気に入りで、キックオフ・パーティの発声では「やりましょうよ!」と拳を上げることが常だ。

 北米リコール問題で、2010年に米議会公聴会に喚問された時を創業以来の第二の危機とすれば、章男氏は今を「第三の危機」と捉えている。そこで、「新たな『S』」を真剣に求めている。
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家族法を楽しく理解してもらうために

『家族法の道案内』より 身近な家族法 家族法を楽しく理解してもらうために

家族法の存在理由

 ①日々の生活と法律

  家族法は、私たちの日常生活に密接に関係する問題を取り扱う法律である。たとえば、結婚や離婚、財産の相続など、現実に体験をしていれば分かりやすいが、たとえ現実に体験していなくても、このような人間関係をテーマとした小説やドラマなどを思い起こすことができれば、頭の中にイメージしやすいだろう。そこに登場する人々の結婚や親子の関係といった人間関係をどのように「法律的」に取り扱うかを示しているのが「家族法」である。

  とはいっても、日々の暮らしの中で、人と人との関係が、法律によって縛りつけられていると感じることはほとんどない。どちらかといえば、日常生活は流されるがままに進んでいくものである。結婚といった大イベントを除いて、大部分の日常生活は、朝起きて夜眠るまで目まぐるしく過ぎ去っていくものであり、法律に基づいて生活しているなどという意識はないのが普通といえる。だから通常は、日常生活を送っていく中で、知らず知らずの間に法律に反しない生活をしている、といえるのかもしれない。

 ②「自分」を中心に

  さて、人と人との関係をみていく家族法を学ぶ場合、「自分」を中心として親や結婚相手、そして、生まれてくる子どもなどとの関係を考えることが基本となる。「自分」を取り巻く人々のイメージを常に頭の中に描きながら読み進めていくことが理解を手助けする。

  人は、この世に生まれたからには父親と母親が存在し、共に生活する時間の流れの中で、日々、成長していく。もちろん、生まれてすぐに、さまざまな理由で父母がそばにいない場合もあるだろうが、いずれにしても時間は進み、学校や社会の中で、いろいろなことを吸収していく。そして、愛する人に出会い、共に歩むことを選択することもあれば、別れを選択することもある。幸運にも子どもを授かれば、今度は自分が親となり、自分が歩んできた道を、自分の子どもが不安を抱えて歩んでいく姿を見守りながら全力で支えていく。そして、命あるものの宿命として、やがて死を迎える(わずかに残した財産をめぐる、子どもたちの争いが起こらないことを祈りながら)。

  このように人の一生をわずかな行数でまとめてしまうと寂しい気持ちになるが、人生の各場面と登場人物のイメージは頭に浮かぶだろうか。どのような人生であっても、止まることのない時間の流れの中で、人は成長し、老いていく。それぞれがそれぞれの進む道を選択しながら、それぞれの最良の人生を歩んでいくのである。

  その人生の選択は、基本的には一人ひとりが自由に選択し、誰の命令に従う理由もないし、他人のいうとおりにする必要もない。もちろん、自分を心配してくれる人々の助言や苦言に耳を傾けることは必要であるが、最終的には自分の自由な選択により、自分の人生を進んでいくのである。

 ③すべて自由でも良いか

  しかしながら、すべてが自由で良いだろうか。たとえば、①AとBという女性を同時に愛してしまった男性が「AB両方と結婚する」と決断し、二人の妻と結婚生活ができるだろうか。あるいは、②イケメン俳優の熱烈なファンである女性が「あの人と結婚する」と決めれば、それで夫婦となることができるだろうか。結婚だけでなく、③可愛い赤ちゃんがいるので「うちの子に」と、他人が勝手に親になることは可能だろうか。また、④少し乱暴に育ってしまった子どもを「うちの子ではないです」と親子の関係を切ってしまうことは可能だろうか。逆に、⑤「この親は嫌だから隣の家の子になります」と子どもが宣言できるだろうか。また、⑥大金持ちの資産家が死亡したときに、単なるゴルフ友だちが「あの資産家の大きな家に私が住んであげる」といって住み着き、亡くなった資産家の家族を追い出そうとしたら、家族は自分たちの生活していた家を出て行かなければならないだろうか。

  ここにあげた「たとえ話」を頭にイメージした場合、おそらく、「ありえない」と思ってもらえるだろう。中には「できれば良いなあ」と思う話もあるだろうが、無理だと直感的に感じてもらえるはずである。

 ④ルールの必要性

  それでは、なぜ、自由な選択が認められる世の中で、上記のような「たとえ話」を現実のものとしてはいけないのであろうか。「常識だ」といえばそれまでであるが、常識は年齢や地域などによって、若干、異なることもある。なぜ、一人の夫に妻が二人いてはいけないのか。他人の子を自分の子としてはいけないのか。当たり前すぎて、今まで考えたことがなかった、というのが大半の答えではなかろうか。

 このように人生という自由な選択の中で、なんとなく駄目とは分かっていても、考えてみれば、なぜ駄目なのかと思うことは多い。道徳や宗教観といったものも大きく影響するだろうし、感情的な判断や、非合理的なことも多い。かといって、全員が自由に好き放題にしてしまえば、一人ひとりの小さな争いは、社会全体の大きな混乱を簡単に引き起こすのである。たとえば、スポーツをイメージすれば容易に理解できるようにルールのない試合は選手にとってはただの乱闘であり、観客は応援も感動もしないに違いない。

 だからこそ基本となるルールが必要となるのである。

 そこで、たとえ話のようなことは駄目だ、というルールが決められ、それが「法律」と呼ばれることになる。「法律」という響きから、即座に難しいというイメージが浮かびそうだが、「ルール」というイメージを持ってもらえれば、拒否反応は少ないだろう。その中でも、結婚や親子の関係などのルールを決めているのが、これから説明していく「家族法」ということになる。

 要するに「家族法」が決めるルールは、身近で、なんとなく当たり前であることが多い。その当たり前であることを法律的にみていくのであるが、基本的に当たり前と思うことが多いので、難しいというイメージは捨ててほしい。そうすれば、ただ「ありえない」と思っていたことが、〇〇という法律があるからこそ「ありえない」と考えることができるはずである。

家族法という法律はない

 家族法を説明するといいながら、いきなり家族法という法律はないというのは矛盾するが、細かい話なので、深刻に考える必要はない。

 大小を問わないので、是非、「六法」を開いてみてほしい。6つの法どころか多数の法律が書かれており、楽しいと思える人には楽しんでもらえる書物である。

 その目次を探しても「家族法」という法律はないはずである。では、この先、ありもしない法律を説明していくのかというと、そうではない。

 実は、「家族法」は、民法という法律の中に存在しているのである。

 民法典(法典とは、1つの分野の法律を統一的にまとめたものであり、ここで民法典とは六法全書に文字で記載されている民法という法律であるとイメージしてもらえれば良い)は、総則・物権・債権・親族・相続という5つの編で構成されており、一般的に前の3っ、総則・物権・債権を財産法、後の2っ、親族・相続を「親族・相続法」または「家族法」と呼ぶことが多い。だから、細かい話になるが、「親族・相続法」という法律も「家族法」という法律もないのであり、厳密には民法第四編親族・第五編相続を説明することになる。ただ、本書では、一般的で読みやすいので「家族法」を採用することにする。
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豊田市図書館の29冊

726.1『くまのプーさん①』オリジナルコミック日本語訳版

209『戦争と外交の世界史』知略を養う

336.2『バックキャスト思考』正解のない疑問を解決に導く 21世紀型ビジネスに不可欠な発想法

327.8『法に触れた少年の未来のために』

518.8『コミュニティによる地区経営』コンパクトシティを超えて

193.64『ヨハネ福音書入門』その象徴と孤高の思想

764.7『The KLF』ハウス・ミュージック伝説のユニットはなぜ100万ポンドを燃やすにいたったのか

312.1『平成風雲録』政治学者の時間旅行

379.9『女の子の「自己肯定感」を高める育て方』思春期の接し方が子どもの人生を左右する!

120.4『井筒俊彦の東洋哲学』

291.54『地図で楽しむすごい静岡』

019.04『読書という荒野』

209.32『先史学者プラトン』紀元前一万年-五千年の神話と考古学

392.1『自衛隊イラク日報』バグダッド・バスラの295日間

331『〔エッセンシャル版〕行動経済学』

329.5『検証 自衛隊・井波スーダンPKO』融解するシビリアン・コントロール

336.17『新たなる覇者の条件』なぜ日本企業にオープンイノベーションが必要なのか?

238.07『ロシア革命 ペロログラード 1917年2月』

410『数学オリンピック 2014~2018』

019.04『書店人のはんせい』本はエンターテイメント

104『存在と時間 哲学探究1』

104『世界の独在論的存在構造 哲学探究2』

336.1『イノベーションの教科書』

369.26『介護再編』介護職激減の危機をどう乗り越えるか

302.21『済州島を知るための55章』

198.22『〝ふがいない自分〟と生きる』NHK「こころの時代」

336.3『プレイングマネジャー「残業ゼロ」の仕事術』

933.7『プーと大人になった僕』ディズニー・シネンストーリー

324.6『家族法の道案内』

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