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未唯への手紙

未唯への手紙

トヨタが大きな変化の先駆者になる

2018年10月05日 | 5.その他
『新たなる覇者の条件』より

トヨタが再びオープンイノベーションに挑む

 2014年に放映されたTBS系TVドラマ『LEADERSリーダーズ』(2017年にパート2放映)は、トヨタ自動車(以ド、トヨタ)の創業者・豊旧点二郎氏をモデルにして、血の惨むような努力で日本初の国産車を開発したストーリーを描いている。

 戦前、米国の自動車産業の素晴らしさを日の当たりにした愛知佐一郎(豊田喜一郎氏がモデル、佐藤浩市さん演じる)は「必ず自力で国産車を開発してみせる」と決意する。当時、車といえば欧州製・米国製など外川車しかなく、「技術がない日本が車など作れるわけがない」ということが常識だった。

 佐一郎が国産の「自前主義」で製品開発することにこだわったのは、当時の日本が欧米から「下」に見られていたことに対する反発心が原動力だった。

 まず、佐一郎は東京帝國大学の同級生を頼って技術指導を仰ぎ、父親が創業した愛知自動織機(豊川自動織機がモデル)から優秀な工員を選抜した。その後、彼らは米国車を分解して部品や全体構造を研究し、また組み立てて走らせることを繰り返した。

 佐一郎のグループは、次第に未知の「クルマ」という製品を理解するようになった。このような分解・組み立てによって先進的な製品の構造を研究する手法は「リバースエンジニアリング」と呼ばれ、日本企業が外国企業に追いつき、追い越すための常套手段だった。その後、新興国の企業が同じ手法で日本製品をコピーして、日本企業を追い越したことは皮肉といえる。

壮大な夢を実現するために外部の力を借りる

 ただ、お金をかけて自前の車を開発することにアイチ自動車工業(トヨタがモデル)社内には強い反対意見があった。その筆頭が、金庫番の石山又造(「トヨタ中興の祖」石田退三氏がモデル)だった。

 また、製品開発は失敗続きで熾烈を極めた。シャフトの強度、エンジンの耐久性など課題が山積みで、完成品など夢のまた夢だった。佐一郎の理念に心酔した工員たちは不眠不休で頑張ったが、皆精神的に追い込まれて行く。

 同時に、佐一郎は社外に協力者を探し、その過程で大島商会社長の大島磯吉(小島プレス工業創業者の小島濱吉氏がモデル)と出会った。

 大島は、エンジン周辺の金属部品の改良を提案する。そこで、佐一郎はふと「自分たちで手に負えないところは積極的に外部の人に頼ればよい。自分の工員たちを信頼するかどうかは別問題だ」ということに気付く。彼は自前主義の限界を悟ったわけだ。

 自社工員たちは優秀といっても、自動車を作った経験がなく、所詮「機屋」だった(当時、トヨタもそう呼ばれた)。ところが、プレス屋の大島には機屋が持たないノウハウがあった。

 ただ、自動車は極めて多くの部品が必要で(現在は3万点に上る)、大島ひとりの手に負えるものではなかった。そこで、彼は愛知県の町工場を集め、「日本初の国産車を作る」を旗印に、パートナー企業のグループを立ち上げた。ドラマ中では『協愛会』と命名されたが、1943年に結成された『協豊会』というトヨタのパートナー企業グループがモデルである。2018年5月現在、協豊会には227社の協力企業が加盟している。

 紆余曲折を経てアイチ自動車は国産車の開発に成功して、販売パートナーとの運命的な出会いを経て、そこから二人三脚で夢を追うところでドラマは終わる。

イノベーション実現のためのプロセス

 トヨタ創業時の成功物語は、今の日本企業にとって大昔の「神話」に近い話といえる。約80年前、同社は町工場からスタートして飛躍的な成長を続け、現在、売上高30兆円に迫る巨大企業になった。21世紀にこの神話を聞いても、ピンと来ないのが普通だろう。

 ところが、トヨタの創業ストーリーは、今でも、イノベーションを目指す際に何を行うべきか、明確なディレクションを与えてくれる。「国産車開発」という事業目的が明確になった後、5つのステップを経てイノベーションが実現されている。

  ①組織をオープンにする

  ②知のダイバーシティを推進する

  ③あえてダブルスタンダードで進む

  ④プラットフォームを進化させる

  ⑤事業出口を柔軟に探す

 豊川喜一郎氏というリーダーが事業目的を明確にした後、まず、組織をオープンにした。自分たちは自動車開発の経験がなかったので、日本ゼネラルモーターズ(GM)などから経験者をスカウトした。『中京デトロイト化構想』で自動車の試作に携わった人材も対象になった。

 次に、自動車開発のために必要な知識が融合され、知のダイバーシティが推進された。社内に研究所が作られ、帝國大学や東京工業大学から、自動車工学、熱工学、材料工学などの専門家を招いた。現在の産学連携の走りといえる。喜一郎氏は、自動車産業のことを「各方面の知識の集合によって成り立つ」と表現している。

 3番目に、自動車開発のための別組織という「ダブルスタンダード」があえて設定された。当初、喜一郎氏の父である豊田佐吉氏が設立した豊田自動織機製作所(以下、自動織機)内に、自動車部を作って開発が進められた。ただ、自動織機の本業は紡績業であり、社内に自動車という「異分子」を置くと組織が混乱する。そこで、1937年、トヨタ自動車工業という「自動車ベンチャー」が作られ、紡績業から切り離された。

 4番目に、部品会社と個別にI対1の関係を作るだけでなく、部品会社同士も協力できる「場」が作られた。同社は創業時から「オープンドアポリシーに基づく公正な競争」を掲げていた。部品工場を「出入り業者」として扱うのでなく、彼らの経営が安定するようサポートすることがトョタにとっても重要という考えである。部品会社が協力する協豊会は、現在の「プラットフォーム」の走りといえる。

 最後に、事業の出口は柔軟に探索された。元々の事業目的は乗用車開発だったが、日中戦争・太平洋戦争開戦が迫り、政府・軍部の要請に応じて軍用トラック開発に力を入れた。軍用トラックは同社がやりたい事業でなかったはずだが、おかげでキャッシュフロー改善に役立っている。

 これら一連のプロセスがあって初めて、喜一郎氏の事業目的が形になったことが分かる。

 それから長い年月を経て、今日のトヨタは創業期とかなり違う姿になった。多くの下請け企業を従え、企業ピラミッドのトップに君臨している。その構造がトヨタの強さを支えているが、もはや部品会社とパートナーとして対等な関係を結んでいると言い難い。様々な情報を集約できるトヨタは、創業時と異なり「クローズな会社になった」という評価はある意味当たっている。

大きな変化の先駆者になる

 しかし、そのトヨタでさえ、近年真剣に変わり始めている。まるで、喜一郎氏の創業時を思い出すようだ。これから、自動運転、ロボット、loTなどの技術革新が経済構造を変えることが確実になった。自動運転車、シェアリング経済が本格的に普及すると、自動車の生産台数は減少する可能性が高い。現実にそういう時代が来ると、ピラミッドのトップにいるトヨタでさえ安泰でなくなる。

 ただ、「そうは言っても、当面は現状維持で大丈夫だろう」と大半の人は考えている。ガソリン車を自宅ガレージに置いて通勤やレジャーに使う生活が、来年・再来年になくなるわけではない。しかし、そうやって課題を先送りにしていると、大きな変化の先駆者になることはできない。

 先を見据えて、過去から「ジャンプした手」を打つことができるのは「経営トップ」だけだ。管理職によるボトムアップのイニシアティブでは、企業はジャンプできない。80年前、「車は外国から輸入すればよい」と誰もが考えていた時代に、国産車を開発する「夢物語」を唱えることができたのはトップの喜一郎氏だけだった。

 トヨタの現在のトップである豊田章男社長は新しい「夢物語」を唱えている。2018年1月、米ラスベガスで開催された国際家電見本市(CES)において、同氏は、トヨタがクルマ社会を超えて、「モビリティ・カンパニー」に変革するというスピーチをした。しかも、これからのライバルは自動車メーカーだけでなく、「グーグル、アップル、フェイスブックといったIT企業まで想定しています」と語っている。

 ここで「モビリティ・カンパニーになる」という、過去からジャンプした事業目的が設定された。ただ、自動運転、ロボット、先端素材開発は、トヨタの社内技術だけでは不十分なので、「オープン」に、大学・研究所・ペンチャー企業を巻き込んだ「知のダイバーシティ」が始まっている。

 また、先端研究には不確定な要素が多いので、ミスや欠陥が許されない『トヨタ・カンバン方式』にそぐわない。そこで、米国にトヨタ・リサーチ・インスティチュート(TRI)、国内にトヨタコネクティッドという別組織が作られ、カンバン方式と違う「ダブルスタンダード」で事業が推進されている。今後、新事業が形になれば、「プラットフォーム」の形成や「柔軟な事業出口」の探索へと進むだろう。

 まさに80年前と同じプロセスを踏んでいる。

 ドラマ『LEADERSリーダーズ』プロデューサーを務めたTBSの貴島誠一郎氏によると、制作側のタイトル原案は『LEADERリーダー』だった。ところが、豊田章男社長が『LEADER』の後に『S』を加えることにこだわり、このタイトルに落ち着いた。

 また、劇中で、えなりかずきさんが演じる工員のセリフ「やりましょうよ!」が章男氏のお気に入りで、キックオフ・パーティの発声では「やりましょうよ!」と拳を上げることが常だ。

 北米リコール問題で、2010年に米議会公聴会に喚問された時を創業以来の第二の危機とすれば、章男氏は今を「第三の危機」と捉えている。そこで、「新たな『S』」を真剣に求めている。

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