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ノキア化したトヨタ

ノキア化したトヨタを救うのはリアル世界の個人環境の整備

 「トヨタ会長、EVの急速な普及に懐疑的と題したこのニュースは、米国内に限らず、フランス、ドイツ、スペイン、オランダ、ノルウェー、ポーランド、ハンガリー、中国へと、瞬く間に世界各国に伝播した。このニュースに対するインターネット上のコメントで多かったのが、「まるでノキアだ!」というものであった。つまり、トヨタにノキア衰退のデジャヴを感じた人々が放ったものである。

今日をどうにかしよう

 今日をどうにかしよう。大いなる意思に任せすぎ。一日一生とする。

 個、社会、宇宙はdualな関係。宇宙の構造は社会の構造であり、個の構造。個の思いは宇宙の思い。ということで個と宇宙から社会を追い詰める。

今日はいくちゃんの神回

 日本シリーズ、早く終われ。やめちゃえ。今日のらじょらーは久しぶりの生田の神回。

 去年のひめたんを思い出す。圧縮された別れの時間。中田が好きなのはひめたん。中田は迷走しているが、最後に乃木坂、そしてひめたんに救われる。
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将来的に重要になる水域にくすぶる火種

『海の歴史』より ジャック・アタリ 将来:海の地政学

将来的に重要になる水域にくすぶる火種

 それらの小競り合いからは、次にどこで紛争が起きるのかがわかる。紛争は一般的に陸地で発生するものであっても、ライバル国同士の紛争はこれまでと同様に海上で起きるはずだ。海上封鎖する、船舶の接岸を妨害する、敵の貿易航路を支配する、敵の海底ケーブルを破壊する、さらには、希少な海底資源を収奪することなどが考えられか。それらの紛争が敵の潜水艦によるミサイル攻撃にいたることさえ起こりうる。

 支配国あるいは支配国になろうとする国が太平洋周辺に位置することは間違いない。アメリカと中国を筆頭に、それらの国は太平洋の主要水域の支配を試みる。とくに、一次産品の輸入経路を確実にし、自分たちの商品の輸出ネットワークを支配しようとするはずだ。

 こうした国は大型船の航路でも衝突するだろう。衝突が起きれば国の貿易は制約を受ける。紛争は一次産品が大量にある水域や、敷設されている海底ケーブルの重要なポイントなどでも起きるかもしれない。

 そして犯罪組織やテロ集団などの非合法な国際組織が、それらの国の権力の中枢を攻撃するために前述の水域で暴れ回る恐れもある。

 次に、紛争が起きる水域を発生確率が高い順に列記する。

 --南シナ海(面積は三五〇万平方キロメートル)。ベトナム東部から中国南部、そしてフィリピン西部からインドネシア北部の水域である。中国の対外貿易の九〇%、世界の船舶の三〇%、海上輸送される石油の半分以上がこの水域を往来する。南シナ海の船舶交通量は、スエズ運河の三倍、パナマ運河の五倍である。また、南シナ海での漁獲量は世界全体の八%に相当する。南シナ海の諸島(南沙諸島、西沙諸島、東沙諸島)の沖合の海底には、莫大な一次産品と石油が眠っている。とくに、中国とフィリピンはこれらの島の領有権をめぐって極度に緊張した状態にあか。

 --東シナ海(面積は一三〇万平方キロメートル)。中国、日本、韓国、台湾の間に位置する水域である。東シナ海も戦略水域であり、世界の五大港が位置する。中国の四つの港(寧波、上海、広州、天津)と韓国の一つの港(釜山)である。世界貿易量のおよそ二〇%がこの水域を往来する。東シナ海にある五つの小島と三つの岩山からなる尖閣諸島/釣魚群島は、領有権問題で緊迫した状態にあか。そして北朝鮮が世界規模の核戦争を開始すると倒喝し続けている。

 --インド洋。インドのみならず中国のほとんどの貿易船がこの水域を往来する。インド洋も戦略水域であり、紛争が勃発する恐れが充分にある。そのリスクを痛感する中国は、インド洋に自国船舶のための貿易拠点を多数設けた〔前述の「一帯一路」構想〕。

 --紅海。この水域の重要性は変わらない。毎年、二万隻の船がアジアの工業製品を紅海経由でヨーロッパまで輸送している。この貿易量は世界全体の二〇%に相当する。アメリカとフランスは、スエズ運河からジブチまでの紅海水域に艦隊を常時配備している。

 --ペルシア湾。イラクからイラン、そしてカタールをはじめとするアラブ諸国に囲まれ、スンニ派とシーア派の勢力が交錯し、衝突する水域である。ベルシア湾岸周辺には世界の石油埋蔵量の六〇%があり、世界の石油生産量の三〇%は、ペルシア湾岸から輸出される。

 --地中海。この水域も今後も戦略的に重要だ。地中海の周囲には、一一のヨーロッパ諸国、五つのアフリカ諸国、五つのアジア諸国があり、四億二五〇〇万人以上の人々が暮らしている。地中海は、陸地に囲まれた最も大きい海であり、外の水域との接点はニカ所(スエズ運河とジブラルタル海峡)しかない。年同一三万隻の船舶がこの水域を航行している。世界貿易量の三〇%に相当するそれらの船舶のうち、二〇%がタンカー、三〇%が商船だ。フランスの天然ガス輸入量の四分の三は地中海経由である。地中海にはガス田がある。とくに、ギリシア、キプロス、イスラエル、トルコ、レバノンなどの沖合だ。地中海沿岸は世界一の観光地であり、危機が発生しなければ二〇三〇年には五億人以上の観光客が訪れるだろう。

 現在、地中海を隔てて、裕福な側の人口〔ヨーロッパ〕はおよそ五億人、貧しい側の人口〔アフリカなど〕はおよそ一〇億人(まもなく二〇億人)だ。二〇一六年、三六万人以上の移民が、リビアとチュニジアからイタリア、そしてトルコからギリシアとブルガリアを目指して地中海を横断した。移民を乗せる船は大型化しており、一隻で九〇〇人の移民を輸送できる。まもなく数千人の移民を輸送する船も登場するだろう。イタリア、スペイン、ギリシア、フランスの海岸に向けて、「人質を乗せた特攻船」が現れることも懸念される。したがって今日、フランス、アメリカ、ロシア(少なくとも二〇四二年まではタルトゥス〔シリア〕の港に補給基地をもつ)などの艦隊が警備を強化している。

 --大西洋。長年にわたって紛争の絶えなかった水域だが、今日では大きな争点ではなくなった。アメリカ海軍の視界には入ってさえいないのかもしれない。唯一まだ監視されているのは大西洋南部である。なぜなら、この水域はラテンアメリカとアフリカを結ぶ麻薬貿易ルートであり、また、ギュア湾に豊富な埋蔵量の油田と莫大な漁業資源があるからだ。

紛争が勃発する恐れのある海峡

 これらの海をつなぐ海峡もきわめて戦略的な水域だ。海峡は紛争の源であり、戦いの要衝になる。

 --マラッカ海峡。毎年六万五〇〇〇隻の船舶がインドネシアのスマトラ島とマレー半島を隔てるこの海峡を通過する。これは世界の海運量のおよそ二〇%近く、石油海上輸送の半分、中国のエネルギー資源の八○%に相当すか。マラッカ海峡が狭小なのは数千年来のことであり、この水域は海賊やテロリストの格好の標的である。彼らが了フッカ海峡に三隻の船を沈めるだけで、この海峡は通航不能になる。そうなれば世界経済は立ち往生する。

 --ホルムズ海峡。この海峡は、幅が六三キロメートルで、オマーン湾に面し、イランとアラブ首長国連邦の間に位置する。毎年、二四〇〇隻のタンカーがこの海峡を通過する。世界の石油貿易量の三〇%に相当する一日当たり一七〇〇万バレルの石油を積んだタンカーが通航する。この海峡にも先ほど述べたマラッカ海峡と同じリスクが宿る。

 --バブ・エル・マンデブ海峡(アラビア語で「涙の門」という意味)。紅海からアデン湾、つまり、インド洋に抜けるすべての船舶は、イエメンとジブチを隔てるこの海峡を通過する。この海峡も前述の二つの海峡と同じリスクを抱える。

 --モザンビーク海峡。モザンビークとマダガスカルの間にあり、コモロ諸島が浮かぶこの海峡を通過する船舶の数は非常に多い。海底には大量の石油が眠る。とくにフランス領マョットの沖合である。前述の三つの海峡と同じリスクが存在する。

 --海峡に関連して指摘しておきたいのは、二〇一八年より、紅海と死海を結ぶ二八〇キロメートルにおよぶ運河造成計画が着手されることだ。死海の水面は毎年一メートルのペースで低下しているが、この計画により、死海はよみがえるかもしれない。死海の岸辺には、人類が最初に村をつくったエリコがある。この計画がきっかけになってイスラエルとパレスチナの問題に建設的な解決策が見つかるかもしれない。
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カルタゴ人、ギリシア人、ペルシア人は、地中海をめぐっていがみ合う

『海の歴史』より ジャック・アタリ 人類は海へと旅立つ(六万年前から紀元前一年) カルタゴ人、ギリシア人、ペルシア人は、地中海をめぐっていがみ合う

同時期、地中海の西部と東部にカルタゴという新たな勢力が現れた。地中海の支配をめぐり、カルタゴはペルシアとギリシアといがみ合った。

ティルスを離れたフエニキア人が紀元前八一○年ごろにつくった港町カルタゴは、現在のチュニス沿岸部という戦略的な場所に位置し、紀元前五〇〇年ごろに最盛期を迎えた。

カルタゴには大規模な船団があった。すぐに地中海随一になったカルタゴの船団は、沿岸航海によって軍隊を迅速に輸送できた。難破する恐れはほとんどなかった。こうしてカルタゴは、シチリア島、コルシカ島、サルデーニャ島を支配し、エジプト、エトルリア〔イタリア半島中部にあった都市国家群〕と交易した。

カルタゴは、チュニジアの小麦とワイン、カルタゴがアフリカのキャラバンを使って輸入した金と象牙、イベリア半島から取り寄せた銀と鉄、そしてフランスのブリュターニュ地方の錫を輸出した。カルタゴの探検家たちは、カナリア諸島やカーボベルデ〔ともに大西洋のアフリカ西沖合〕まで航海した。

カルタゴの台頭により、小アジアのギリシア都市国家とフェニキア人の港町は衰退期を迎えた。こうしてアケメネス朝ペルシアは、これらの沿岸都市を難なく支配下に収めた。たとえば、紀元前五一七年にヒュスタスペスの息子ダレイオス一世〔アケメネス朝ペルシアの第三代王〕は、バビロンにおいて権力を武力で奪取すると、地中海を支配しなければならなくなった。ダレイオス一世は、ダーダネルス海峡とボスポラス海峡という二つの戦略拠点と、エーゲ海と黒海の海洋交通の要になるビュザンティオン(ギリシアの「新たな港」)〔現在のイスタンブールの旧市街地区〕を支配した。さらにダレイオスー世は、サモス島〔トルコ沿岸にあるギリシアの島〕とキプロス島を占領した。

紀元前五世紀になると、ギリシア人はペルシア人の攻撃を受けたために小アジアを離れ、ペロポネソス半島に重心を移した。ギリシア人は、主要都市をアテナイ、ピレウスを第一の港にした。独立した状態にあった、アテナイ、スパルタ、デルポイ、コリントスなどの都市国家の商船団と海軍には高性能の船が配備された。それらの帆付きの三段櫂船は、テミストクレス〔アテナイの政治家・軍人〕の采配により、ラブリオ鉱山〔ギリシアのアッテイカ地方南東部〕で発掘された銀を元手にして紀元前四八三年ごろに建造されたものであか。

こうしてアテナイはギリシア世界を手中に収めた。食糧を輸入することが死活問題のアテナイは、地中海東部における航行の安全を確保しなければならなかっか。アテナイは、トラキア〔バルカン半島南東部〕、シチリア島、エジプトから小麦を輸入するために、数百隻の三段擢船による艦隊を編成して自国の商船を警備した。

紀元前四八六年にダレイオス一世が死去すると、彼の息子であり、アケメネス朝ペルシアの創始者キュロス二世の孫であるクセルクセス一世は、エジプトを鎮圧した後、父ダレイオス一世の野望だったギリシア征服を試み句

クセルクセス一世は、アテナイおよびギリシアの都市同盟を攻撃し、まずは紀元前四八〇年四月一〇日のテルモピュライ〔ギリシア中東部〕の戦いで勝利を収めた。この戦いでは、スパルタ王のレオニダスー世が戦死した。アテナイはペルシア軍によって破壊されたため、アテナイの住民は疎開した。ペルシア軍はギリシアとの戦いに決着をつけるために、六〇〇隻の艦隊をペロポネソス半島沖に送り込み、海を包囲した。これに対し、ギリシアの都市同盟の艦隊は、三五〇隻しかなかった。紀元前四八〇年九月一一日、両軍はサラミス島付近〔アテネの沖合〕で激突した。テミストクレス率いるアテナイ軍は風向きに恵まれ、敵の艦隊を正面から攻撃した。ギリシア艦隊は規模では劣ったが、ペルシア艦隊は狭小な海峡では小回りが利かなかった。機動力と狭い水域での操縦性に優れるギリシアの三段擢船は、敵船の横腹を衝角で破壊した。ギリシアが勝利したのである。開戦前はギリシア軍の敗北が濃厚だったが、この戦い〔サラミスの海戦〕の勝利により、ギリシア世界は助かった。この海戦術は、後世に多大な影響をおよぼした。

この敗北を受け、クセルクセス一世はペロポネソス半島から撤退し、地中海東部の支配をアテナイに明け渡した。小アジアのギリシア都市国家は解放されたのである。

ペルシア軍による破壊の後に復興したアテナイは、地中海東部の巨大勢力になった。ギリシアのピレウスやカンタロスの港に拠点を構える交易商人は、商品購入や航海の資金をファイナンスする仕組みを発明した。難破した際には、借り手が加入する保険によって出資金は保証された。これは中国でリスク分散化の仕組みが開発されてから数世紀後のことである。

ギリシア人の海洋に関する知識は急増した。紀元前四世紀に地中海の島々で暮らしたアリストテレスは、後のアレクサンドロス大王の家庭教師になる以前の時期に、出航した船が水平線の彼方に徐々に消えるのを眺め、地球は丸いと結論づけた。アリストテレスは、地球一周をおよそ七万四〇〇〇キロメートルと推定した(実際の数値のほぼ二倍)。ギリシア人は、「ヘラクレスの柱」(ジブラルタル海峡)の向こう側〔大西洋〕には天空を支える巨人アトラースが暮らしていると信じていた。よって、彼らはその大海を大西洋〔アトラースの海〕と呼んだのである。

地中海では、紀元前六六七年にビュザンティオン、そして紀元前六〇〇年ごろにヴェネチアに港がつくられた。紀元前七五三年に誕生したローマは、当初はギリシア人とフェニキア人が支配していた。紀元前三三五年、ローマの港オスティアが建設された。

ギリシアは紀元前三三〇年に最盛期を迎えた。そのころ、インドに向けてほぼ陸路で遠征したマケドニアの征服者アレクサンドロスが死んだ。アレクサンドロスは海の重要性を無視したのではない。その証拠に、アレクサンドロスは死ぬ前年に、エジプトの地中海沿岸(アレクサンドリア)に堤防と大きな灯台〔アレクサンドリアの大灯台〕をもつ港を建設するように命じた。アレクサンドロスは、自己の遠征に航海を加えなかったことを悔いていたのかもしれない。

アレクサンドリアは、すぐに地中海東部最大の商港になった。紀元前三二三年以降、この地域をアレクサンドロスより受け継いだプトレマイオス朝の王たちは、この港町を自分たちの王朝の商業および知識の中心地にした。彼らはそこに巨大な図書館を建設し、停泊中の船内からすべての文書を押収した。文書の持ち主に原本は返却せず、コピーだけ渡した。アレクサンドリアでは、他のどの地域よりも科学が発展した。紀元前二八○年、アレクサンドリアではギリシア出身の天文学者「サモスのアリスタルコス」が、地球の属する系の中心は太陽だと説いた〔太陽中心説〕。ヒッパルコスが天体観測器の原理を発明したのもアレクサンドリアにおいてである。後にこの原理を改良したクラウディオス・プトレマイオスも、アレクサンドリアの高台から船が水平線の彼方に遠ざかるのを眺め、海が丸いことに関する科学的な証明を進展させた。
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中国が世界一の経済大国になる日は来るのか

『グローバリズム後の世界では何が起こるのか』より 大転換後の世界と民主主義の将来 中国が世界一の経済大国になる日は来るのか

米中の力関係の将来を予測するにあたっての、ポイントは2つです。

第一のポイントは、中国はアメリカを抜いて世界一の経済大国になれるのか、なるとしたらそれはいつなのかという問題です。

かつては二〇二〇年あたりという予測もありましたが、今これを信じる人はいないでしょう。

リーマンショツクの後になっても、中国研究者の間では、「保八」などという表現で八%成長という数字が、固く信じられていました。新規の労働市場参入者の若者に十分な職を与え、社会不安を惹起しないためには最低八%成長が必要であり、政権はあらゆる手段を使ってこれを達成するだろうなどという専門家のまことしやかな解説を、筆者も聞きました。

しかしこの解説は、その後の展開により覆されます。習主席が七%成長を「新常態」と呼んだことで、保八のスローガンは消えてなくなりました。そして、八%成長が達成できなければ社会不安が必然と言っていた識者は、口を閉ざしてしまいました。

最近は中国政府は、6・5%成長を目標に経済運営を行っています。世銀の統計によれば、二〇一七年時点で中国の名目GDPは、アメリカの63・1%相当ですので、中国経済がこのまま十二年間6・5%の成長を続け、アメリカの成長率が例えば2・5%にとどまり、為替レートが一定であれば、二〇三〇年に中国のGDPがアメリカを抜くという計算も成り立ちます。

しかし、そのような計算通りにいくのでしょうか。アメリカのGDPが直近で四%台の伸びを示していることを捨象しても、中国経済は今後も6・5%成長を続けられるのでしょうか。

それには三つの問題点があります。第一の問題点は、中国の場合、統計資料の信憑性の問題もあり、現在のトレンドがそのまま続くという類の未来予測が当たらないことがよくあるということです。それは、「保八」のケースで見たとおりです。

はからずも二〇一七年あたりから習主席は、「成長の量から質への転換」を掲げるようになり、これまでのように地方政府幹部の人事評価で成長率が重視されなくなったと報じられています。

すると、地方のGDP統計の水増しが、次々と明らかになってきました。遼寧省は二十%、内モンゴル自治区に至っては四十%水増ししていたという報道もあります。これから隠されていた水増しを是正するため、成長率は、さらに下がるのかもしれません。

第二と第三の疑問は、中国にとって、より本質的な課題を示しています。

第二の問題点は、開発経済でよく議論される「中所得国の罠」という概念です。

これは、多くの途上国が経済発展により一人当たりGDPが一万ドル程度の水準に達した後、成長率が鈍化し、なかなか高所得国の仲間入りをできない状況を指します。世銀の研究によると、戦後これまで中所得国の罠に陥ることなく高所得国になれたのは、シンガポール、香港といった都市型の小規模な経済を除けば、日本、韓国、台湾、スペイン、アイルランド等世界全体でも12か国しかありませが。

中国が中所得国の罠に陥らないためには、これまでの先進国から技術と資本を導入し、それによって作った製品を海外市場に輸出して稼ぐモデルから、卒業しなければなりません。産業の高付加価値化が不可欠です。

そのためには、過剰債務の解消、国営企業の改革、労働市場の改革に加え、教育、社会保障の充実、法の支配の徹底といった、社会全般の改革が必要になります。中国の場合、これらの広汎な課題を、社会主義に基づく市場経済の枠内で解決しなければなりません。

第三の問題点は、人口動態がこれから中国に不利に働くことです。

中国の生産年齢人口はすでに二〇一一年から減少期に入り、もはやこれまでの人口ボーナス効果は期待できません。二〇一六年には一人っ子政策を廃止し、その年の出生数は増加しましたが、二〇一七年には再び減少に転じています。

中所得国の罠を抜け出すのに成功した日本と韓国でも、その後成長率は年を追うに従って鈍化しました。成長率低下の理由は複合的ですが、生産年齢人口の減少が日本は一九九五年から、韓国は二〇一七年から始まったことが、大きな要因であることは明らかです。そして両国とも、10%レベルの高成長から、安定成長と言われる3~4%近辺に減速し、さらに日本の場合は、過去二十年以上1%近辺で停滞しています。

それにもかかわらず中国だけが今後も6%台の成長率を保ち続けることが可能だとしたら、日本、韓国にはない相当強力なプラスの要因が、中国経済にはあることになります。しかし中国の場合は、日本、韓国と違って、まだ中所得国の罠を抜け出ていないという、マイナス要因が加わることも考えると、そのような可能性には疑問符がつきます。

次に、将来の米中の力関係を予測するにあたり、重要な第二のポイントに移ります。それは、仮に中国経済がアメリカ経済に名目GDPで追いついたとしても、それが直ちに両国の国力が並んだことを意味するものではないということです。

ちなみに、すでに二〇一四年には、中国のGDPが購買力平価(PPP)換算で、アメリカを抜いて世界一になっています。当時、これをG2時代の到来を告げるものだなどと、はやし立てる識者もいました。しかし、それから四年たったところで、この統計上の出来事が、実際に米中の力関係のバランスを動かしたという主張は、寡聞にして知りません。

そもそもPPPとは、各国国内において同等の価値の商品を購入する場合、それに支払う金額が等価となるような為替レートです。各国の実質的生活水準を比較するのに適しており、開発途上国に対する経済援助の必要性を検討するときなど、参考になります。

人口がアメリカの4倍以上ある中国の、経済のサイズがPPP換算でアメリカに並んだということは、平均的中国人の実質的生活水準が、アメリカ人の四分の一になったことを意味するに過ぎません。それは国全体としての経済的パワーを表すものではありません。

国力を比較するのであれば、実際の取引に適用される名目のレートのGDPを参照すべきです。これは先ほど述べたように、最新の数字で、中国はアメリカの63・1%です。
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