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6.6.1~6.8.4

書くときのこだわり

 今は1.0のペンテルで未唯空間アドレスにスタバで記入。320ヘッドを埋める。空中で書くように字は小さめに。

足の指が痛い

 足の指が靴に擦れて痛い。散歩はスリッパにしよう。

漢字教育と宗教教育

 日本の漢字習得にかける時間の方がムスリムのアラビア語クルアーン習得より多い。

年寄りが耳障り

 また、例の奴らが喋り始めた。本当に耳障り! だから、年寄りはキライ! 早速、席替え。だけど、スタバは狭い。図書館へ行こうか。それもシャクだけど。

 百均で耳栓を見てこよう。エイデンの逆位相もついでに。東富士で振動騒音対策で逆位相を検討したことを思い出した。

 退避した所で男女が仕事の話を始めた。男女になると声を張り上げる傾向にある。みのりさんもいないから、場所を代えよう。

6.6.1「知りたい」

 何を知りたいのか。存在を考えるところから始まる。答えがないことを考えることが知ることの意味。誰に聞いてもわからないこと。

 そこに自分の意見を持ち、意思決定する。そして、全体を考えて、先を知る。そこから自分の役割を判断する。

 知るための場を求める。ツールも必要になる。コンテンツは無料で手に入る時代になってきた。

6.6.2「好き嫌いで判断」

 知に関しては哲学を有効です。

 映画「アレキサンドリア」で図書館前のアゴラでの議論を知った。紀元4世紀の時代に思いをはせる。

 池田晶子さんの「考える日々」から色々な言葉を知った。その中で「好き嫌い」は人間にとって重要であると述べられている。好き嫌いは判断基準として真っ当です。それで内なる体系を作り出す。

6.6.3「知の武装化」

 知の世界の入口を図書館に求めた。そこで本の威力を知った。セミナーを受けるよりも一冊の本がありがたい。その考えを生かすために仕事でもポータル化を図った。

 未唯空間のプレゼンは本を書いているつもりです。「論考」形式を意識している。センテンスの深さは一定です。ウィトゲンシュタインのような割り切りは難しい。

6.6.4「考える教育」

 存在を考え始めるのは14歳より前にすべきです。小学生から始めて、14歳がピークになるような教育が望ましい。

 今後、広汎な知識は不要になる。漢字にかける情熱は考える方に振り向ける。考えることを支援する体制は整ってきている。学校に囚われない文化創造を図る。

 その際に、ムスリムの宗教学校が三校になるかもしれない。

6.7.1「ザナドゥ空間」

 6.7は「知の共有」ということで、最初にザナドゥ空間を上げた。本の著作体系の空間で、ザナドゥはビル・ゲイツの陰の部分です。

 本には参考資料を上げているが、役に立たない。社会科学ではページまで書いてあるが、読者は見る手段を持ち得ない。著者の本棚まで見に行く人はいない。

 デジタルの時代になり、全ての資料が連鎖検索が可能になった時には、参考資料そのものが意味をなさない。その際に著作権は邪魔です。

6.7.2「マイライブラリ」

 マイライブラリには、本棚システムと図書館システムがある。新刊書からOCR化した資料を本棚システムは雑記帳の日付順にしたもので、図書館システムはNDC順に並べたもの。

 参考資料を情報として体系化している。最終的には、問われたら応えるシステムのバックデータにするつもりです。

 個人でも2万5千冊から抽出した3千冊でデータベースができる時代です。電子書籍になれば、加速します。

6.7.3「本をバラす」

 本棚システムのコンテンツは2003年5月より、テキスト化してきている。本は自分にとって重要な部分(DNA部分)を抜き出すことが重要です。バラバラにすることで内なる世界に蓄積できます。

 デジタル空間になれば、コンテンツを融合できる。つまり、本ができる。個人の環境で統合することも可能になる。一冊の本には著者の様々な思いが入っている、読者により、更に様々な思いが発生する。

 メディアミックスにより、本は形態に縛られない。電子図書館がどのようなカタチになっていくのか、心配になります。人智の及ばないところに収束するでしょう。

6.7.4「全てを残す」

 「本」という出版社を通じたものだけがコンテンツではない。ブログもツイッターもメモも音声データもコンテンツです。

 全てを残すことも、それらをトレースすることも可能になってくる。それをするのがAIの本来の役割。その人が何を考えたのかを示すことになる。それ自体がAIの餌になる。

 情報のリンクと集約の時代が来る。その為の環境つくりをするのが知の共有。その時の主人公は個人であることを望む。

6.8.1「今を知る」

 存在とは何かを含め、知りたいことは多くある。他者の世界がどうなっていくのかはその副産物になる。

 知るためには内なる世界で本棚システムを作り上げた。答えがない質問には当然、答えがない。考えること自体が答えになる。

 今はデジタル変革の真っ最中であり、知が社会を変えようとしている。そして、個と全体が融合しようとしている。

6.8.2「全てを知る」

 知の今を知ることは、つまり、全てを知ること、表わすことになる。全てが私であり、私が全てである。それをどう表現するか。

 未唯空間は全てを知るために作ってきた。歴史認識と同様に、詳細と概要の間を行ったり来たりして、まとまらない。まとめることが正解でないことだけはわかってきた。

 知の空間を作ればいい。その意味では「知の共有」環境を作り出すことが全てを知ることになる。

6.8.3「先を知る」

 今・ここに生まれてきたものとして、未来を語りたい。未来から今を知ることができる。

 歴史哲学では自由から平等にキーワードが変わっていく。真に平等な社会のためには個人の覚醒を前提とした、社会の再構成が必要になる。

 未来は作るものといいながら、今の他者では所詮、ムリなのはハッキリしている。その想定でいくと、歴史の変節点を向えることになる。それを見るために私が存在している気がする。

6.8.4「未来のカタチ」

 内なる世界から他者の世界に外延することで未来が見えてくる。存在の力がベースになることを期待する。平等な世界ができてしまえば、社会は安定する。

 教育は知のカプセルでAIが個人の思考を入れ込むことで、人間は専門家として、振る舞うことができる。漢字を含む、雑多な「知識」は不要になる。

 個人の自立を元に人類の未来を示すことはできるが、それを達成するのは私の役割ではない。多重世界の一つの惑星の出来事にすぎない。
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