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相変わらずのジャック・アタリ

チャーチルは嫌いですね

 NDC289.3で二冊の本が並んだ。『チャーチルは語る』と『ヒトラーの家』。共に独裁者。ドイツとヨーロッパの独裁者。戦後にギリシャに行ったチャーチルの仕打ち。

第二次世界大戦は聖戦ではない

 第二次世界大戦全史を聖戦と呼べる国はない。チャーチルとルーズベルトの陰謀と誤算。

 いつも気になる、フィンランドとソ連の冬戦争、イタリア軍のギリシャ侵入を抜き出した。

相変わらずのジャック・アタリ

 題名が薄くて読めない本『海の歴史』。取り敢えず借りてきた。登録する時に気付いた。著者がジャック・アタリだった。あの『21世紀の歴史』を書いた。

 ヨーロッパの人はギリシャ・ローマ時代が好きなんですね。嬉々として書いている。日本はヘンに凝り固まっている。

 カルタゴ人、ギリシア人、ペルシア人の地中海をめぐった争いの部分を抜き取った。今回はハンニバルには触れていなかった。ハンニバルとスキピオ、そして全てをかすめ取った大カトー。
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軍国スパルタ

『戦争と文明』より 軍国スパルタ

プラトンがそのユートピアを心に描いている頃、かれの霊感を刺激したものは、スパルタ都市国家のその頃の制度であった。このギリシアの共同体〔スパルタ〕は、プラトンの頃のギリシア世界の列強のなかで、最大のものであった。われわれがスパルタの体制の起こりを調べてみると、スパルタ人が、どうしても離れ業をなしとげなければならないし、それには、「独特の制度」で自らを装わなくてはならない必要があったことがわかる。というのは、その歴史的経過のずっと初期の段階で、スパルタ人は独特の転換をしたからである。スパルタ人は、その歴史のある地点で、ギリシア都市国家という共同体に共通する方向から挟をわかった。

紀元前八世紀にすべてのギリシア共同体に提出された共通の挑戦にたいして、スパルタ人は独特の応答をおこなった。それ以前からギリシアが社会的に発展していった結果、その頃、ギリシア半島およびアルキペラゴにあるギリシア社会の本土では、耕地面積の広さに比して、収穫が逓減しはじめていた。他方、ギリシアの人口は急激に増し不いた。八世紀のギリシア生活に共通するこの問題が、「正規に」どのように解決されたかといえば、海外の新しい地域を発見したり、征服したりして、全農地面積をもっと拡げてゆくということであった。海外膨張のこの一般的な動きの結果存在するにいたった、新しいギリシア都市国家の綺羅星のなかには、スパルタ起源を要求する一つの建設物、すなわちタレントゥムがあった。しかし、この要求は歴史的事実と合致しているとしても、タレントゥムの事例は類がない。タレソトゥムは、スパルタ植民地であるといえる唯一の、海外のギリシア都市であった。そして、このタレントゥムが指さす真理は、スパルタ人が、大体、八世紀のギリシアに共通な人口問題を、海外の植民という共通の方向にしたがってではなく、それ自身の独特の道で解決しようと試みた、ということである。

スパルタ人がエウロタスの谷の広い、肥沃な耕地でさえも増加する人口にとってあまりに狭すぎると気づいたとき、かれらは、カルキス人やコリソトス人やメガラ人のようには、海に眼をむけなかった。海は、スパルタの都市からも、スパルタ平野のどの地点からも、また平野をすぐ取りまいている高地からさえも見えはしない。スパルタの景観を制する自然の相貌は、タイゲトゥスの巍々たる山脈であり、この山脈は平野の西端から非常に嶮しくそそり立っているので、その面はほとんど垂直かとおもわれる。他方、その嶺線はまっすぐで、ずっとつづいているので、壁のような印象をうける。この壁のようなタイゲトゥスの光景をみていると、ランガーダの谷が眼をひく。それは、直角に山脈をたち切っている谷間であるが、ちょうど、山野をつくる巨人的な建築家が、ほかのところは一様に越えられそうにない障壁に、一つのはっきりした割れ目をとくに設計して、人びとに非常門を用意したようである。スパルタ人が、紀元前八世紀に人口の圧迫の危急を感じはじめたとき、かれらは丘に眼をあげて、ランガーダの谷を見つめ、山越えの路に助けをもとめた。それは、かれらの隣人たちが、同じように必要に駆られて、海路へとその助けをもとめたのと同様である。この最初の道のわかれにあたって、助けはスパルタ人にアミュクライの主アポロンと青銅の家の女神アテネからきた。第一次メッセニア=スパルタ戦争(紀元前七四三-七二四年)は、トラキアとシシリアの海岸にギリシアが最初に入植したのと同時代のことだが、この戦争が、勝利者スパルタ人の手にギリシア本土の広い征服地の所有をゆだねた。この征服した土地は、植民したカルキス人が海外のレオティニで、またはスパルタ人自身の移植者がタレントゥムでえた土地よりも広がった。しかし、スパルタの支配的精神は、スパルタを導き、スパルタがメッセニアの目標に達してからは、「足をさらわれる憂き目」にはあわなかったが、だからといって、「すべての禍から」スパルタを守りはしなかった。反対に、スパルタのその後の姿勢が超人間的に(むしろ非人間的に)こわばったのは、ロトの妻の神話的な運命と同じように、あきらかに呪いであって祝福ではなかった。

スパルタ人特有の悩みは、第一次メッセニア=スパルタ戦争がスパルタの勝利に終わるとすぐはじまった。というのは、戦争でメッセニア人を征服することは、平和的にかれらを抑えつけるのよりも、スパルタ人にはより容易な仕事であったからである。征服されたこれらのメッセニア人は、トラキア人やシケル人のような蛮族ではなく、スパルタ人自身と同じ文化をもち、同じ心情をもったギリシア人であった。戦争ではスパルタ人と対等であったし、数でおそらくまさっていた。第一次メッセニア=スパルタ戦争(紀元前七四三-七二四年)は、第二次(紀元前六八五-六六八年)にくらべれば、児戯に等しいものであった。この第二次の戦争では、隷属民であるメッセニア人は、逆境によって錬られ、そのうえ、ほかのどのギリシア人たちも自分にふりかかって来るのをがえんじなかった運命に屈服したということに、恥辱と激怒を感じたため、支配者のスパルタ人にたいして、武器をもって立ちあがり、この二度目の発作では、自由を維持するために戦ったはじめの発作よりも、もっとはげしく、もっとながく、自由を回復しようと戦った。このメッセニア人の遅まきの英雄主義は、結局、二度目のスパルタの勝利をさけることにならなかった。そして、先例のないほどの頑強な、力を出し切ったこの戦争の後に、勝利者は被征服者を先例のない厳しさであつかった。しかし、長い目でみるならば、メッセニアの反逆者らは、ハンニバルがローマに復讐しえたという意味で、スパルタにたいする復讐を完うした。第二次メッセニア=スパルタ戦争は、スパルタの生活の全リズムを変え、スパルタの歴史の全行程を偏らせた。勝ちのこったものの胸に剛直がぱいりこんでくるような戦争の一つか、これであった。この戦争は非常に恐ろしい経験であったので、それは、スパルタの生活を悲惨と剛直にしっかり縛りつけたままにし、スパルタの進化を袋小路へ「おいこんだ」。そして、スパルタ人は、経験してきたことを忘れることができなかったので、ゆるめることができず、したがって、戦争以降の反動の行きづまりから抜けだすことができなかった。

スパルタ人とメッセニアにおける人間的環境との関係は、イヌイッ卜と極北圏の自然環境との関係と同一の皮肉な有為転変を経過した。いずれの場合も、われわれが目にするのは、一つの共同体が、その隣人たちの尻込みしている環境に勇敢にも掴みかかり、このひどく手に負えない企てから格別に沢山の報酬をせしめようとした光景である。はじめの段階では、大胆不敵なこの行為は、結果からみてうなずけるようにおもわれる。イヌイッ卜は、かれらの従弟であるより臆病なアメリカ先住民が、北米の大草原で見出しだのよりも、よりよい猟場を極北の氷上に見いだした。また、スパルタ人は、同時代のカルキスの移植民が、海を越えて蛮族から得ることができたよりも、もっと豊かな土地を、山を越えてかれらの仲間のギリシア人から得た。しかし、次の段階では、大胆不敵な元の(取り消せない)行為が、その避けがたい罰をさそい出した。征服された環境が大胆不敵な征服者を今度は虜にした。イヌイットは極北の気候の囚人となり、その生活を気候の正確な指図にしたがって、ごく些細な細部にいたるまで、律しなくてはならなかった。スパルタ人は、うまい汁を吸おうとして第一次の戦争でメッセニアを征服したのに、第二次の戦争からずっと、メッセニアをささえもつ仕事が精一杯という破目におちいった。かれらは、この時以来ずっとメッセニアを自分で支配するということに従順な、謙虚な従者になりおわった。

スパルタ人は、既存の制度が新しい必要に応じられるよう、適応の離れ業をおこなって、身支度した。

ほかのすべてのギリシア共同体では、勃興する[ギリシア]文化の前面から消えていたこれらの原始的な諸制度が、スパルタの組織体の隅の首石として役立たせられるようになったこの方法は、われわれをふかく感嘆させずにはおかないところである。

この適応のなかに、われわれは、自動的な発展のたんなる結果より以上の何かを認めないわけにいかない。すべてのものがただ一つの目標を目指して導かれるように出来ている、組織的な、目的のはっきりしたこの方法には、意識的に形づくろうとする手が入りこんできているとみなさざるをえない。……一人または数名のひとがいて、それが同一の方向に働きながら、原始的な制度をリュクルゴス制とスパルタ宇宙に作り直したのだ、とどうしても仮定せずにはおられな脂

ギリシアの伝統的見解は、第二次メッセニア=スパルタ戦争以後のラケダイモン〔スパルタ〕人の社会の再建、つまりスパルタをスパルタらしくし、それが衰微したのちも、そうでありつづけたものにした再建ばかりでなく、スパルタの社会史、政治史におけるそれ以前のすべての、あまり変態的でない事件までをも、「リュクルゴス」のせいにしている。しかし、「リュクルゴス」は神であった。近代の西洋の学者らは、「リュクルゴス」制をつくった人間を探して、シロソがそれにあたるのではないかと考え出している。シロソはスパルタの監督官で、賢者の誉れたかく、紀元前五五〇年頃、公職にあったらしい。「リュクルゴス」制は、第二次メッセニア=スパルタ戦争の勃発からかぞえてほぼ一世紀ほどのあいだに、一連のスパルタの政治家が漸次につくりあげていったものだ、と見なしておそらくさして誤りではないかとおもう。

スパルタの体制のいちじるしい特徴は、その体制の「人間本性にたいするはなはだしい無視」にあった。その特徴は、同じように、その体制の驚くべき能率と致命的な硬直性、それにその結果起こったその制度の挫折とを説明するものでもある。実際スパルタのメッセニア支配を維持するという重荷は、すべてスパルタ自由市民の子孫の肩にかかっていた。同時に、スパルタの市民団それ自体のなかでは、平等の原則が確立されていたばかりでなく、十分に実施されていた。

富の平等化は実現されていなかったが、スパルタの「市民」は、だれでも、国家から同一の広さあるいは同一の生産力をもつ封土もしくは分割地を与えられていた。その分割地は、第二次スパルタ=メッセニア戦争後、メッセニアの耕地を分割したものであった。この分割地のどれも、農奴として土地にしばられているメッセニア人が一生懸命に耕せばよいので、スパルタ人が自分の手ではたらかなくても、「スパルタ的な」つつましい生活水準ならば、スパルタ「市民」とその家族を養うに足ると考えられていた。それで、スパルタ「市民」は、すべてどんなに貧しくても、経済活動をしなくていいので、かれらの全精力を戦争の技術に捧げることができた。それにまた、のべつまくなしの終身の軍事訓練と軍役とは、スパルタの全「市民」に課せられた義務でもあったので、スパルタでは、だれかが富裕であって富の余剰に差ができても、富者と貧者とのあいだに生活様式上の実質的な差異はすこしもあらわれなかった。
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「ノキア化」が進むトヨタ

『モビリティ2.0』より

衰退のデジャヴ

 「NOKIA!(まるでノキアだ!)」。

 日産自動車の新型EV「リーフ」のワールドプレミアが始まるわずか15時間前、トヨタ自動車会長の内山田竹志氏は、米CNBCのインターネット配信の独占インタビューに突如登場した。それは、米国東海岸時間2017年9月5日午前5時9分(日本時間同日午後6時9分)のことであった。

 このインタビューで、内山田会長はバッテリーEVの急速な普及に懐疑的であると語った。バッテリーEVの到来を否定はしないものの、EVが抱える航続距離や充電時間といった技術的にクリアしなければならない問題が多い現実に触れた上で、「中国やアメリカなどで法律や規制が導入されたら、自動車メーカーはそれに従い、EVを市場投入しなければならない。トヨタも例外ではない。しかし、顧客の利便性における課題を抱えた状況で、EVが急速に普及することには懐疑的である」とコメントした。

 そして、EVのキーテクノロジーは電池であるとし、トヨタは2つか3つの追加的な技術的ブレークスルーが必要だと言った。そのうちのひとつ、次世代電池と言われる全固体電池を搭載したEVをいつ発売するのかという質問に対しては、2022年どろという憶測報道があった中で、「正直分からない」と回答した。これらの発言が、トヨタが世界的な電動化の潮流に対し後ろ向きであり、また、次世代電池開発の進捗に不安を抱かせる印象を残した。

 これを受け、「トヨタ会長、EVの急速な普及に懐疑的(Toyota chairman:Skeptical of rapid shift to pure electric vehicles)と題したこのニュースは、米国内に限らず、フランス、ドイツ、スペイン、オランダ、ノルウェー、ポーランド、ハンガリー、中国へと、瞬く間に世界各国に伝播した。このニュースに対するインターネット上のコメントで多かったのが、「まるでノキアだ!」というものであった。つまり、トヨタにノキア衰退のデジャヴを感じた人々が放ったものである。

燃え盛るプラットフォーム

 ノキアは長年にわたって携帯電話端末メーカーとしてトップを走り続けていたが、2007年のアップルのiPhone発売、2008年のグーグルのスマートフォン向けOS「アンドロイド」の登場により、凄まじいスピードでシェアを奪われた。ノキア凋落の敗因は、携帯端末中心からソフト・サービス中心に移行するトレンドを読み違え、携帯電話に新しい意味が生まれたととに気づくのが遅かったことにある。この急速に迫りくる波を、ノキアのCEO(当時)であるスティーブン・エロップ氏は、北海に浮かぶ石油プラットフォームでの火災に巻き込まれた作業員になぞらえた。

 「炎が近づいてきたとき、何か行動を起こすにも、彼にはわずか数秒の余裕しかありませんでした。プラットフォームに立っていれば、必然的に炎に焼かれることになります。あるいは、30メートル下の氷のような海に飛び込むという手もあります。燃え盛るプラットフォームの上で、その作業員は決断を下す必要があった」。

 これがかの有名な、「燃え盛るプラットフォーム」という、ノキア社員に向けて発したスピーチである。どちらの道を選んでも、過酷な戦いが待っている。ノキアは抜本的にビジネスのやり方を変えなければならなかった。

 このスピーチの中で、2011年当時のノキアが苦しんでいた問題について、エロップ氏は次のように分析した。「iPhoneが最初に発売されたのは2007年だが、(それから4年も経って)いまだにノキアはこれに近いエクスペリエンスを提供する製品がなく」「2年前にアンドロイドがリリースされたが、今週、このOSが搭載されたスマートフォンの販売台数はノキアの首位を奪った」。加えて、低価格機種を展開する中国メーカーにもシェアを奪われた。そして、次のように語った。

 「現在の戦いはデバイス(端末)の戦いではなく、エコシステムの戦いになりました。エコシステムを構成するのは、デバイスのハードウェアやソフトウェアだけではありません。開発者、アプリケーション、eコマ-ス、広告、検索、ソーシャル・アプリケーション、位置情報サービス、統合型コミュニケーション、その他にも多くの要素が含まれます。競合他社はデバイスではなく、エコシステム全体によって、ノキアの市場シェアを奪っています」。

 ノキアは2003年から独自のOS「シンビアン」を持っていたが、対応アプリの開発が難しいものであった。エロップCEOは「燃え盛るプラットフオーム」を話した2日後、独自OSのシンビアンと開発途中のOS「MeeGo」を捨て、マイクロソフ下。のOS「ウィンドウズフォン」を採用することを決めた。これは当時、iOSとアンドロイドOSの対抗馬であった。

 しかし、この決断は失敗に終わった。端末側では、アップル(iPhone)やサムスン電子(ギャラクシー)は最新技術の搭載を急ピッチで進めた。そして、OS側では、豊富なアプリケーションを提供するiOSとアンドロイドが躍進した。結果として、ノキアもウィンドウズフォンも市場ではほとんど評価されなかった。最終的にノキアは2013年9月に同社の携帯電話端末事業をマイクロソフトに売却し、サプライチェーンを含む生産設備をすべて手放した。その後、ノキアはネットワークインフラと知的財産権のライセンス会社となり、携帯電話事業から撤退した。

 このように、デジタル経済では、目まぐるしく変化するトレンドを読み違え、それへの対応策を講じることに出遅れると企業は一瞬で衰退・敗退してしまうのである。

デバイスからエコシステムの戦いへ

 自動車・モビリティに置き換えると、今は、EVや電池という車両・デバイスの技術課題をどう解決し、いつEVをつくるかということよりも、EVを中心とするエコシステムをいかに早く構築するかという議論が重要になっている。そして、そのエコシステムでは、プラットフォーム・ビジネスという、相互に依存する複数の人やグループをデジタルで結びつけて(コネクテッド)、その中のすべての人・グループが恩恵を受けられるようにするビジネスが行われる。

 より具体的には、ライドシェアリングと自動運転車のプラットフォームで構成するエコシステムの中において、「サービスとしてのモビリティ(MaaS)」というアプリケーションでいかに課金するか(稼ぐか)ということである。スマートフォン同様、エコシステムでの戦いを自動車会社は強いられているのである。

 CNBCのインタビューにて、内山田会長が言うEVが抱える課題は、何ひとつ間違ってはいなかった。もっとも、インタビュアーの質問テーマが車両・デバイスとしてのEVに関するものに偏っていたということもあるが、内山田会長のコメントが、EV開発の出遅れに加え、デバイス中心に電動化を捉えているという印象を世に与える結果となってしまった。

 その後、トヨタは電動化を急ぐべく、具体的なアクションを起こした。2017年9月28日、マッダ、デンソーとEVの共同技術開発契約を締結し、10月1日に新会社「EVC・A・Spirit」を発足した。後に、スズキ、SUBARU、日野自動車、ダイハツエ業も同社に参加した。また、12月13日、パナソニックと車載用角形電池事業について協業の可能性を検討すると発表した。

 同年12月18日には、2030年に(イブリッド車を含む電動車のグローバル販売を550万台以上にし、うちエンジン非搭載のバッテリーEVと燃料電池車は合わせて100万台以上を目指すという計画を発表した。(イブリッド車、プラグインハイブリッド車、燃料電池車に、最後のピースであるバッテリーEVをはめて、トョタはエコカーのフルラインナップで世界的な電動化への対応を急ピッチで進める。

ぬぐえぬ出遅れ懸念

 しかし、エコシステムの重要な構成要素であるコネクティビティにおいては、現時点、出遅れ懸念を払拭できていない。人工知能(AI)などの研究開発を行う米国子会社トヨタリサーチ・インスティテュート(Toyota Research Institute, Inc:TRI)が、2016年の設立から2年も経った今まで、自動運転領域において他社をりIドするような結果を出していないからだ。

 自動運転領域における・フイバルをみてみると、米グーグルの持株会社であるアルファベット傘下のウェイモや、自動運転AIのソフトウェア会社であるクルーズ・オートメーションを買収した米GMに、米国カリフォルニア州での自動運転車の公道実証実験の実績で大きく水をあけられている。

 2018年3月27日、ジャガー・ランドローバーはバッテリーEVのSUV「I-Pace」を2020年から最大2万台、ウェイモのロボットタクシーサービスに提供すると発表した。続いて、同年5月3日には、フィアットークライスラー・オートモービルズ(FCA)がプラグインハイブリッドのミニバン「パシフィカ」を6万2000台、ウェイモに供給すると発表した。

 GMに関しては、2018年5月31日に、ソフトバンクのビジョン・フアンド(SVF)がGMの自動運転部門に22億5000万米ドルを投資すると発表。これが意味するところは、SVFからの軍資金が、GMの自動運転車のベースとなるEVの増産投資に充てられることや、自動運転開発の弾みになるだけではなく、ソフトバンクが筆頭株主や大株主となっている、ウーバー(Uber Technologies)やグラブ(Glab)、オラ(Ola)や滴滴出行といったライドシェアプラットフォーマーに、GMが自動運転車を供給できるチャンスが拡がったということである。

 このニュースが発表された日、GMの株価は前日終値比13%(上昇幅4・87米ドル)も高騰した。2010年11月17日の再上場時から、GM株は29%上昇(同9・70米yル)したが、1日だけで上昇幅の約半分を稼いだことになる。GMは2019年にレベル4の完全自動運転車を販売することを目指している。GM株の株価高騰の背景には、株式投資家がついに、完全自動運転車の販売収益をバリュエーション(企業価値の評価)に織り込み始めたことを意味する。完全自動運転車の実用化はもう目の前まで迫っている。
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フューチャー・ウォー われわれはどこに向かうのか

『フューチャー・ウォー』より かくて現在にいたる

かくて現在にいたる

 わが軍が放ったドローン群は、慎重に選んだ飛行コースをたどりつつ、厳重な防空態勢を敷いた敵方の領土内に大挙して侵入した。あとにつづく戦闘機と爆撃機からなる本隊のいわば露払い役だった。ドローン群は、町や村のうえを通過していく。それらは別段、侵入の妨げになるとは考えられていなかった。だが、機上センサーが突如として反応した。それは農場や商業区、ホテルなどからなる人口積密地帯に、数多くの防空レーダーが潜んでいることを示す証拠だった。すぐさま対空砲が、ドローンの各個撃破を開始した。だが、ドローン群全体の統制任務を担当する一機が撃墜されると、その任務は別の一機に遅滞なく引き継がれた。民間人の犠牲を回避するため、応戦は抑制されていたが、群全体の能力の著しい劣化が予想されたため、現〝隊長機〟のコンピューターは、銃後で作戦全体を統括する人間の操作員に交戦許可を求めた。しかし、相手方の電波妨害があまりに激しく、返答は得られなかった。人間の指示をあおげなかったため、隊長機はならば決定権は自分にあると判断し、その瞬間、ドローン群は、それらの対空砲が住宅地に囲まれている事実を無視して、地上のあらゆる脅威の排除に着手した。交戦は開始から終了まで九〇秒を要した。それとほぼ同じころ、およそ十数力国からワシントン、ニューヨーク、ヒューストン、シカゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコに向かう民間航空機の通気システムに、敵方の秘密工作員が遅効性の死の病原体を放っていた。やがて各機が到着した先々の大都市では、人々のあいだに混乱とパニックが広がっていった。

 紀元前四九年、ユリウス・カエサルと彼の軍団は、ガリアとローマの境界にあるルビコン川の対岸にいた。いま自分がやろうとしていることは、元老院の意志に背く大攻勢であり、結果、軍事衝突は避けがたいことは分かっていた。川を渡れと命じるさい、カエサルは「賽は投げられた」という有名な言葉を口にしたとされている。そして、いまや「ルビコン川を渡る」という慣用句は、引き返せない危地にみずから飛びこむという意味で使われている。今後テクノロジーのさらなる進展で戦争の形態がいっそう変化し、コンピューターとその手足になるマシーン群が主役をつとめたり、あるいは生物学、遺伝学の領域にいっそう踏み込むような事態になれば、われわれもまた、知らず知らずのうちに〝ルビコン川〟の間際まで接近することになるかもしれない。

 往時の計画立案者、政策決定者もまた、それぞれの時代の新たな形態の紛争、新たなテクノロジーを理解しようと奮闘努力した。戦争の歴史をひもとけば、軍事革命はつねに、なんらかのテクノロジーの進歩に依拠していたことが分かる。新型兵器だったり、あるいは通信手段、輸送手段だったり。火薬の使用、無線機の導入、そして装甲車輛の登場はそれまでの戦術を根本的に変えた。そしてもちろん、核兵器はすべてを変えてしまったのである。

われわれはどこに向かうのか

 現在や過去と同様、合衆国は将来においても、科学、テクノロジー、技術革新の分野で、指導的役割を果たし続けるだろう。民間の分野でも軍事の分野でも、それは言えよう。ただ、複雑かつ先端的なテクノロジーの多くはいまや、他の先進諸国(友好国もあれば、敵対国もある)も利用可能である。さらに、かつての兵器技術は軍事利用に特化したものだったが、今日の先端テクノロジーはしだいに軍民両用の方向に向かっており、その多くは間違いなく、民間の応用分野においても重要である。

 兵器技術はかつて、射程、スピード、致死性といった戦術的側面の向上を目指していたが、自動化、兵士の機能拡張、AIといった新テクノロジーはいまや、紛争や兵士のあり方そのものを根本から変えつつある。兵士個々人に求められる能力はこんにち、非常に違ったものになってしまった。かつての兵器は、兵隊を倒すための道具だった。それゆえ、従来型兵器の改良方面は、威力と速度と精度の向上だった。しかも兵器の操作法は、技術的には単純なので、どの兵士も、基礎訓練のレベルを超えるような戦術的、軍事的専門知識は求められなかった。

 だがこんにちの兵器はその使用にあたり、高い技術水準だけでなく、はるかに複雑な交戦規定への理解も要求される。実際、従来よりも多くの知識と配慮が求められ、敵方との応酬も根本的な変化を余儀なくされている。かつて国防総省に勤務し、いまはジョージタウン大学の教授をしているローザ・ブルックス女史は、戦争と非戦争との境界は、テクノロジーの進歩もあって、曖味さを増しつつあると主張する。「もしわれわれが、その違いが分からない地点まで到達しているのだとしたら、その現実は武力紛争をつかさどる法律への根本的挑戦となるだろう」と彼女は

 戦争と兵器をめぐっては、どんな時代にあっても、それぞれに倫理問題があった。機関銃が初めて実戦投入されたとき、人々は恐怖心をいだいた。核兵器はほとんど世界的規模で、道徳的に問題のある兵器と見なされた。生物化学兵器は、非人道的だとして非合法化された(今後使われることはなくなったという意味ではない)。果たしてわれわれは、これらの新テクノロジーや新システムをまずは手渡し、そのうえで兵士たちに向かって、こいつを使っていいのは何時かな、どうしてかな、どう使えばいいのかな--などと尋ねるのだろうか。つまり、与えられた兵器の適切な使用法をきちんと考えるよう、われわれは自国の軍隊に求めるべきなのか。だが、これら新システムにかんするしかるべき政策は今のところ存在しないし、その方面の訓練もないのである。

 この微妙な状況を理解せよと言っても、若い兵士たちにそれを期待することは不可能である。そして、そうした現状は技術面でも、あるいはそれ以外の面でも、リスクとなろう。なにしろ、われわれは自分たちも完全には理解していないテクノロジーを配備しているのだから。例えば、ドローンを用いた攻撃で、それを実際に操作した兵士がどんな心理的ダメージをこうむるのかなんて、だれも考えていないのである。また状況が錯綜し、敵味方や一般市民が峻別できない状況下で、自動化されたシステムが一体どんな反応を示すのかも、予見不能である。あるいは現時点で効果的な防御手段のない極超音速兵器の存在は、敵方の行動にどんな変化を生じさせるのだろうか。そうした諸々の変化は最終的に、敵方だけでなく、それに慣れろと言われた自軍の兵士にも必ず返ってくるので、われわれはそうした状況のもたらす意味合いを早急に考えておかなければならない。

 各国の軍隊が未来の戦争をめぐるアイデアを練るため、研究インフラを保持したがるのは理解できる。新たなタイプの戦争には、まったく異質の兵器が必要になるからだ。ただ、やや困惑を覚えるのは、新技術を兵器に応用することに過度に夢中になり、それに対する疑問や懐疑の声がほとんど聞かれない点であろう。

 われわれは、これまで新たなテクノロジーが意図せざる悲惨な結果を生んできたことを知っている。内燃機関が発する二酸化炭素が深刻な環境被害を引き起こしたり、核エネルギーの発見が結果的に野放図な軍拡競争につながったり、コンピューターと先進的な通信手段が人間存在を根本から変えてしまうなどとは誰も予想できなかった。ただ、そうした技術や、あるいはそれがもたらしたシステムは、そもそも追求すべきではなかったのだという声は聞かれない。まあ、そんな純粋無垢ではないし、言っても詮無いことだから。要は、われわれは行動する前に、それがもたらす様々な結果についてもっと懸命に考えなければならないということだ。なにしろこれらの新ツールは、人を傷つける新たな手段をもたらし、今までそれなりに武力紛争を抑え、戦士の行動をしばってきた従来型の法的枠組みに、新たな課題を突きつけるものだからだ。みずからの研究活動が引き起こす恐れのある様々な結果について、より深く考えることは、科学者たちの責務であり、またそうしたテクノロジーが普及する前に、それらの技術がどんな事態をもたらすのか、それが持つ意味合いを、国民やメディアや国家指導者が明確に語り、議論することが大切であろう。今後現れる兵器テクノロジーは、それが配備される前に、よりいっそうの理解、よりいっそうの訓練、よりいっそうの議論を求めてくるだろう。あとは君らが考えることだと、そうした諸々を若い兵士たちに丸投げしてはいけない。
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