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カーストのいま--連続と変化

『カーストから現代インド』より つづくもの・変わるもの

現在のカーストはなにが変わり、またなにが変わっていないのだろうか。ここでは、カーストの特徴ともいえる前述の職種と分業形態、内婚、序列、カーストの政治化の四つの側面について述べたい。

まずカーストの職種と分業形態についてであるが、今日インドの村落部においても自カースト固有の職業に携わる人は決して多くない。その最大の理由は、市場経済の普及により、かつて職人カーストがつくっていたほとんどのものが、機械生産によるものに取って代わられたためである。村の壷づくりカーストがつくっていた素焼きの壷や器、機織りカーストが織っていた綿布(これはすでに植民地時代から衰退)、鍛冶屋が製作していた農機具などは、これらのカーストとジャジマーニー関係を結ばなくてもいつでもマーケットで購入できるような時代になったのである。床屋の場合、流行の髪型にしてもらえる街の店のほうが魅力的だし、また出産は産婆ではなく、病院で迎えるのが一種のステータスにまでなっている。その結果、カーストの職種による従来のような分業関係はほとんどみられなくなった。ただし、いまでも自カースト固有の仕事と関連深い仕事に従事している人もおり、カーストと職種との関係の環が完全に切れたともいえない。

カースト規範のなかで今日においてもなお比較的忠実に守られているのがカースト内婚であろう。急激な経済的・社会的変動にともなう人びとの意識や価値観の変化は確実に起きており、それは都市部の裕福層や中間層において顕著にみられる。その現れのIつとして、ほかの条件が勝ればカーストを必ずしも結婚の最優先の条件としないということをあげられよう。インドの英字新聞の日曜版には、数ページにわたって結婚相手を求める広告が掲載されるが、これらはカースト、宗教、母語などの別にまとめられていることが多い。そのなかには「カーストを問わない(a{;or}」との記載も散見され、いよいよカーストという壁を乗り越えようとしているのかと思いきや、自分のカーストをしっかりと明記してあったり、また「SC(指定カースト)だけはお断り」と付け加えられていたりする。自分のカースト名を書いておいたのは、同一カーストだけにこだわらないが、連れ合う程度のカーストの人に申し込んでほしいという意味が込められているのかもしれない。こうした結婚広告からもわかるように、実際には同一カーストまたはサブーカーストとの結婚が一般的だといわざるをえない。その背景にあるのは、前述したカーストの浄性の問題や、それぞれのカースト集団独自の文化の存在である。同じ地域に住む人びとはカーストや宗教の違いにもかかわらず、通過儀礼などにおける類似点も少なくない。しかし、それぞれのカースト集団は食生活、服装、行動規範などにおいては異なる点も多いのである。こうしたところから、共通の生活習慣や文化をもつ同一カーストまたはサブ・カーストとの結婚を好むのであり、結婚後も女性が婚家でカースト仕事を続ける場合はなおさらである。

現在カーストの序列の問題は、人びとにとって最大の関心事ではないようである。浄・不浄の原理自体は健在だが、その規制が緩くなりつつある。都市部の近代的職場や公共の場などでは、カースト序列に基づいた距離を保つことがもはや困難である。また村落部においても、高位カーストの間で共食の規制が緩くなっていることや、カースト序列における変化が起きている様子を、多数の民族誌が伝えている。独立後のインドの国勢調査では、克服すべきカーストの存在を国家が認め固定化してしまう恐れがあることから、優遇措置の対象である指定カーストと指定部族をのぞき、個別カーストの人口や分布などを調査対象から除外している。こうした背景もあって、自カーストの地位や序列が同村の他カーストより高いのか、それとも低いのか、といった問題はさほど魅力的かつ重要なものとして受け止められていないのである。ただし、いまなおブラーマンが最高位であることと、不可触民が最低位であることに変わりはなく、相変わらず不可触民を取り巻く環境は厳しい。最近は、カースト集団を対象にした政府の優遇政策をめぐり各地で騒動が起きている。インド政府は長年政治的・経済的・社会的な面で、相対的に低い地位におかれていたカーストを、指定カースト(ほとんどが不可触民)や、その他の後進諸階級(OBC)と認定し優遇政策をとってきた。しかし、低位カースト以外の階層から優遇政策の拡大を求める動きがみられ、なかには自らを底辺層に位置づけようとするカーストもおり、現代インドにおけるカースト序列のもつ意味が改めて問われているのである。

これと関連して考えなければならない問題がカースト集団の政治化である。19~20世紀半ばに盛んであったカースト地位向上運動や、ヒンドゥー教からの集団改宗などの事例からもわかるように、カースト内の意思決定や行動は、一枚岩でない集団成員のさまざまな意見を収斂しながら、集団としてまとまったものになっていくことが多い。これは、カースト単位に区分されて認識されるヒンドゥー(あるいはィンド)社会において、カーストとして統一した動きをしたほうが、戦略的に必要かつ有効だからであろう。

独立後は、政治・経済的な利権をめぐりカースト集団の政治化がより一層顕著になっていく。独立後の選挙政治において、自分たちの立場を代弁してくれる者を議会に送り込むことがますます重要になっていくなかで、長年自らの代弁者を立てることが容易でなかった中・低位カーストを中心に、特定カースト集団が特定政治家の支持基盤となるような現象が至るところで起きている。またカーストをめぐるさまざまな政治経済的優遇政策が、カースト集団のさらなる政治化に拍車をかけているとい 以上述べてきたように、現代インドにおいてカーストは、分業体制と序列によって支えられていた従来の有機的な諸関係はほぼ崩れてしまっているといえよう。またカーストの規範や規制はだいぶ緩くなってきており、カーストに対する人びとの意識も変化している。しかしながら、結婚や政治的行動などにみられるように、カーストの横の連帯は機能しており、また現代的諸課題に直面していくなかで、逆にカースト意識が強化される場合もあるという現実を見逃してはならないだろう。
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