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未唯への手紙

未唯への手紙

政治学の使用上の注意

2012年05月27日 | 3.社会
『ヒューマニティーズ 政治学』より

この本は、日本語が読め、日本の文部科学省による学習指導要領に準拠した高校教育を受けた人が、大学で政治学について学ぶ前に読む本、という構想のもとに書かれています。年齢層は十八歳から二十歳くらいを考えていますが、もっと歳をとった方や若い方が読んでくださっても、もちろん構いません。性別や国籍や居住国についても特に想定していないつもりです。

しかし、「高大接続」という電気工事用語のような言い方がありますが、高校での「現代社会」や「政治・経済」の学習内容と、大学で講義されている「政治学」関連のさまざまな学問の知識とをつなぐ作業は、たやすいものではありません。ほかの学問領域についても、それぞれに苦労する点は少なくないのでしょうが、政治学の場合はとりわけ、両者の断絶が大きいように思えます。

たとえば、「政治・経済」の高校教科書から、政治学に関連しそうな主題を拾ってみましょう。「民主政治の原理と発展」「世界のおもな政治体制」「日本の政治機構」「世論とマスメディア」「現代の国際政治」といった言葉が並びます。こうした主題の一つ一つは、大学でも「現代日本政治」とか「政治思想史」とか「国際政治」とかいった政治学系の講義でとりあげられることがあるでし

国民が政治に参加し、国民の意志がそのまま政府の決定となる。何とすっきりした構図でしょう。世間の人の大部分が政治家や政治運動に(ごくまれに)期待をかけるとき、思い描く理想像も、たぶんそんな単線状のものではないかと思います。しかし、二千数百年の長い歴史をもつ政治学の知見からすれば、こうした説明内容には「政治」そのものがすっぽりと抜け落ちている。

さまざまな価値観や利益要求が渦巻いている大きな社会で、どうやって一つの「国民の意志」を見いだすのか。それを確定する過程には、どんな会話や妥協や無理強いや暴力が働くのか。政府の決定がなされたあと、それをどうやって実行するのか。その決定は個人の生活のどの領域までふみこむことが許されるのか。もしどうしても決定に従わない人がいればどうするのか。そもそも政府の組織それ自体を、人々がまったく信頼しなくなったら、その人々はどう行為すべきなのか。-こういった問題がもちあがり人々の交渉がなされるとき、その内側に働いているのが、「政治」の営みにほかなりません。それは偶然性に左右される活動ですが、さりとてそのなかで交わされるふるまいが、まったく予想不可能というわけではありませんし、何をやっても許されるということも、本来はないはずです。

何やら禅問答めいてしまいましたが、どんなにすっきりした体系をもっているように見える授業や書物も、およそ政治学と名がつくかぎり、こうした「政治」のもやもやした世界をめぐる関心に、つねに裏うちされているはずです。高校の「政治・経済」の科目は得意だったのに、あるいは新聞の政界記事はよくわかるのに、学問としての政治学にはどうもなじめないという人は、おそらくそこの部分をうまくつかむことができないのでしょう。実際、こうした「裏うち」を、大学の個々の講義から察知できるかどうかは、聴いている人それぞれの勘と人生経験に左右されてしまうように思えます。

この本はそうした「政治」について、勘や経験に頼らなくても、理解が少しでも深められる手助けをめざして書きました。ブックガイドの最終章をのぞく第一章から第四章までは、ひとつながりの話として読んでいただいても、それぞれに「政治」の諸側面を描いたと読んでくださっても、どちらでも結構です。

もちろん、政治学者の著作や大学の政治学の授業に興味津々という人が読んでくださるのも(売り上げの点で)大歓迎ですし、あるいは物心ついてから政治にも政治学にもまったく関心がない方も、もし何かの縁でこの本を開くことがあれば、それなりに興味がもてるような記述を試みたつもりではあります。

ただ、あくまでもそういう人がこれを読んでいるならの話ですが、政治家になりたいとか、社会運動のアクティヴィストとして活躍したいとか、環境問題でデモをかけたいとかいったご希望の方には、特に申しあげておくことがあります。-こんな本を見ているところですでに手遅れですから、いますぐに街(あるいは街でなくても人の集まる場所)に出ていろいろな人の声を聴き、多くの人に自分の主張を伝え、賛同者を集める経験を積んでください。おそらく大半の方は挫折するでしょう。しかしそこで傷つき疲れはてたとき、この本をゆっくりと読んでいただければと思います。心が癒されることはたぶんないものの、どんな方向であれ再びやりなおすために、そっと背中を押すくらいの効果はあるかもしれません。

レジ袋有料化

2012年05月27日 | 7.生活
『環境省の大罪』より

中身の乏しい改正容器包装リサイクル法を繕うために、環境省が始めたのが、レジ袋の削減運動だった。先の全国ネットワークも運動として大々的に取り組み、のぼりまでつくって、スーパーに乗り込んだ。改正法は、大量に容器包装を排出する事業者は削減計画をつくり、国に提出することになったが、これは、もっぱらレジ袋を大量に使うスーパーやコンビニ、デパートが対象だった。

レジ袋は、毎年ごみになる500万トンのプラスチック製品のたった6%にすぎないし、ごみ袋の内袋にするなど、もらったままで捨てず、その後利用することも多い。だが、こんな小さな問題が、さも大問題であるかのように環境省はPRし、イベントを繰り広げた。

レジ袋は、容り法のもとで自治体がプラスチック容器包装として収集し、事業者が再商品化している。市民の環境意識が高まり、世間に受け入れやすくなったという背景もあるが、実際には、有料化によってレジ袋の製造代や容り法の負担金を大幅に減らしたいという業界の狙いがある。再商品化の費用はスーパーなど容器包装を利用する事業者が負担し、業界1位のイオンは年11(億2000億円、ユニーも同2億8000万円になる。チェーンストア協会は「有料化を法律で義稗づけてほしい」と国に要望した。みんなで一斉に導入すれば、レジ袋を無料にして客を奪うところが出てこないからだ。

国は「法規制にそぐわない」と回答したが、改正容り法に、大規模小売業者がレジ袋など容器包装の削減計画をつくり、国に報告する制度を盛り込んだ。有料化を実施しやすいにするための仕組みだ。

業界1位のイオンが有料化に乗り出した。業界トップの売り上げを誇り、業績の好調なイオンが先頭に立ち、それに他の大手スーパーが続き、自治体と市民が後押しするというシナリオをイオンが描いた。うまくいくと、スーパー業界は100億円もの負担金を払わずに済む。それにすっかり乗せられたのが、各地でごみ減量に取り組む市民団体だった。

有料化は自治体にもメリットがあった。自治体が収集している容器包装プラスチックの2割をレジ袋が占めるから、費用の削減につながる。名古屋市はレジ袋を6割減らせば3億円節約できると試算した。のぼりを持って、各地のスーパーの入り口で、市民団体は、レジ袋を有料化したことをPRし、買い支えを訴えた。環境省はイペントを繰り広げ、それをあおった。レジ袋を有料化しないのは悪だという空気が広がり、西村淳リサイクル推進室長は、「レジ袋の有料化がこんなに当たるとは思わなかった。市民団体が応援してくれたんだから」と、胸を反り返らせた。

しかし、レジ袋騒動は数年で沈静化した。中小の業者はイオンの宣伝戦略に振り回されたが、イトーヨーカドーや中堅スーパーのいなげやなどでは、レジ袋を断った客に2円引きする制度が定着した。西友も独自の削減策で有料化したスーパー以上の効果をあげている。市民団体の要請でレジ袋の有料化を導入したものの、売り上げが落ちて元に戻したところもあった。買い物袋を持参する人は増えたが、レジ袋をもらう時に気兼ねをする人もいなくなった。

環境省が奏で、市民団体が踊った「狂想曲」は終わったのである。

岡崎図書館の9冊

2012年05月27日 | 6.本
未唯へ

 母親はセブン・イレブンのむいた栗は好きみたいです。三袋あったので、一袋はもって帰ろうとしたが、全て取られてしまった。結局、2粒食べただけです。

 この2週間は、パートナー関係であたふたしていた。未唯空間は殆どいじっていません。だから、月曜日から始めます。急ぎます。

 ICレコーダー専用のイヤホンを買ってきました。エイデンにしようとしたが、満車だったので、セブン・イレブンで買いました。そこでも用途の異なる三種類がありました。1.2mだが、アジャスター付です。

「救国」という幻想

 「救国」を読んでいる。古い人間にはついていけない。このロジックで何十年をやってきたのでしょう。すぐに、300万人の英霊の話になる。先の話をしましょう。構造を変える時なのに、恩讐のなかにいるので、何も見えないのでしょう。

 北朝鮮とか核とか言っても、先が見えてきません。日本の政治のだらしなさも同様です。地域から発想して、個人を変えていきましょう。危機感だけでなく、未来の夢も一緒にしましょう。日本から新しい姿を作れるとは思えないけど、それを提案していかないといけない。

豊田市の車事情

 豊田市駅前の充電エリアにリーフが置いてある。チャージしていた。仕様は統一されているのですね。

 豊田市の立体駐車場に居ます。満車です。どう見ても、これだけの人のために、これだけの空間が要るとは思えません。移動と滞留の関係もつりあわない。エネルギー以前の課題です。

岡崎図書館の9冊

 100『14歳からの哲学』池田晶子 考えるための教科書

 104『残酷人生論』池田晶子 あなたはまだ知らないのか? 二〇一〇年代を生きぬくヒント

 331『ひたすら読むエコノミクス』

 392.5『真珠湾からバグダッドへ』ラムズフェルド回想録

 290.9『東アフリカ』地球の歩き方 ウガンダ エチオピア ケニア タンザニア

 319.1『救国 超経済外交のススメ』

 983『人生と運命 3』

 219.9『闘争する境界』復帰後世代の沖縄からの報告

 611.7『若者たちの震災復興』緑のふるさと協力隊 農村村再生・若者白書2012

バーチャルコミュニティ

2012年05月27日 | 3.社会
分配の仕組み

 やはり、分配とシェアとの関係かもしれない。共産主義が失敗したのは、本来、ローカルの存在でありながら、党が全てを支配して、そこから分配しようとした。一旦、上げて下げる関係です。このパスが長いほど、腐敗していく。

 人民の意識が変わっていなかったから、全体を支配するには強権的に行うしかなかったというのが言い訳です。人が変わらずに、体制を変えた。それを維持するために、殺しまくった。

 国家を分配機能として考えると、東電は国家です。分配できなくなったら、不必要です。分配の対象はエネルギーだけでない。公共交通機関とか道路などのインフラも分配されている。

 車の場合は、あまりにもニーズが多様にしてしまったので、シナリオが変わった。売るために、表面上で異なるものを作ってしまった。それが「自由」の表れとは思えないけど。

 道路が微妙ですね。道路とインターネットはよく似ている。ただ乗りして、使われている。車とグーグルは似ているのです。個人の多様性をどう吸収していくのか。グーグルはローカルでいじれるけど、車はいじれない。今後はバーチャルの方に分があります。

人が変われば、社会が変わる

 逆に、人が変われば、社会が変わる。これでいきます。社会が変わるように、人が変わるとはどういうことかを池田晶子さんの本で確認しましょう。この三部作は遺言です。

 「私とは何か」そういったことから変えていかないと、一人一人が生きる世界は難しい。一人一人が「私とは何か」を考えるために、一つには危機感、もう一つは将来への夢です。学校の教育もそれに近くなっていくようにしていかないと。

 北朝鮮のカリスマ的な教育は、全ての機会に、全ての人から、「彼を信用しなさい」というようなもの

 キリストもそうだけど、単に信じるだけでなく、自分を変えていくものが必要です。喜びを作り出すためのルール。ムハンマドで言うところの戒律。

ミッションの一般化

 ミッションを一般化したから、固有名詞は要らないです。それらはあくまでもサンプルです。

 その時点でミッションの一般化が起きました。店舗という単位から、社会という単位に変わってきた。店舗が変わることが社会が変わるための一手順に変わってきた。これは、私の中のミッションが変わったというよりも、社会のミッションが変わったということです。

バーチャルコミュニティ

 ネット上にバーチャルのコミュニティを作ればいい。アバターのように、活躍できます。意見を述べたものは全て、社会ライブラリに保有されます。入力は1対1も含めて、音声です。音声認識で全て残ります。

 私にとっての無限次元空間をネット上にバーチャルに作れば、全ての人に居場所が作れます。現実回避ではなく、新しい空間の中の住民です。私は学生の時から、無限次元空間に居るから、馴染のある場所です。そのうち、数学的に存在を確証できる。

 老人ホームのコミュニティなら、バーチャルの方が現実的です。動かなくても済みます。全ての関係をケアマネが把握できます。

 老人ホームへのデリバリー。回転寿司との関係。スシローは画面でネタを選んで、オーダーができる。そのパスを長くすれば、老人ホームからネタを選べます。配達はボランティアです。

 図書館の本ならば、既にできている。わざわざ、車で行かなくても済みます。操作性は抜群です。

 NPOも講師を呼んだセミナーとか、機会格差がなくなります。今でもツールがあるけど、レベルが高すぎます。iPadと無線LANなどを使えば安くできます。システム支援はボランティアの世界です。

 それで何が起こっているかのファシリテーションができるし、その結果としてインタープリテーションができます。それを事例として、店舗の中に作って見ましょう。Facebookが使えます。ナレッジデータベースはSFDCです。