『ヒューマニティーズ 政治学』より
この本は、日本語が読め、日本の文部科学省による学習指導要領に準拠した高校教育を受けた人が、大学で政治学について学ぶ前に読む本、という構想のもとに書かれています。年齢層は十八歳から二十歳くらいを考えていますが、もっと歳をとった方や若い方が読んでくださっても、もちろん構いません。性別や国籍や居住国についても特に想定していないつもりです。
しかし、「高大接続」という電気工事用語のような言い方がありますが、高校での「現代社会」や「政治・経済」の学習内容と、大学で講義されている「政治学」関連のさまざまな学問の知識とをつなぐ作業は、たやすいものではありません。ほかの学問領域についても、それぞれに苦労する点は少なくないのでしょうが、政治学の場合はとりわけ、両者の断絶が大きいように思えます。
たとえば、「政治・経済」の高校教科書から、政治学に関連しそうな主題を拾ってみましょう。「民主政治の原理と発展」「世界のおもな政治体制」「日本の政治機構」「世論とマスメディア」「現代の国際政治」といった言葉が並びます。こうした主題の一つ一つは、大学でも「現代日本政治」とか「政治思想史」とか「国際政治」とかいった政治学系の講義でとりあげられることがあるでし
国民が政治に参加し、国民の意志がそのまま政府の決定となる。何とすっきりした構図でしょう。世間の人の大部分が政治家や政治運動に(ごくまれに)期待をかけるとき、思い描く理想像も、たぶんそんな単線状のものではないかと思います。しかし、二千数百年の長い歴史をもつ政治学の知見からすれば、こうした説明内容には「政治」そのものがすっぽりと抜け落ちている。
さまざまな価値観や利益要求が渦巻いている大きな社会で、どうやって一つの「国民の意志」を見いだすのか。それを確定する過程には、どんな会話や妥協や無理強いや暴力が働くのか。政府の決定がなされたあと、それをどうやって実行するのか。その決定は個人の生活のどの領域までふみこむことが許されるのか。もしどうしても決定に従わない人がいればどうするのか。そもそも政府の組織それ自体を、人々がまったく信頼しなくなったら、その人々はどう行為すべきなのか。-こういった問題がもちあがり人々の交渉がなされるとき、その内側に働いているのが、「政治」の営みにほかなりません。それは偶然性に左右される活動ですが、さりとてそのなかで交わされるふるまいが、まったく予想不可能というわけではありませんし、何をやっても許されるということも、本来はないはずです。
何やら禅問答めいてしまいましたが、どんなにすっきりした体系をもっているように見える授業や書物も、およそ政治学と名がつくかぎり、こうした「政治」のもやもやした世界をめぐる関心に、つねに裏うちされているはずです。高校の「政治・経済」の科目は得意だったのに、あるいは新聞の政界記事はよくわかるのに、学問としての政治学にはどうもなじめないという人は、おそらくそこの部分をうまくつかむことができないのでしょう。実際、こうした「裏うち」を、大学の個々の講義から察知できるかどうかは、聴いている人それぞれの勘と人生経験に左右されてしまうように思えます。
この本はそうした「政治」について、勘や経験に頼らなくても、理解が少しでも深められる手助けをめざして書きました。ブックガイドの最終章をのぞく第一章から第四章までは、ひとつながりの話として読んでいただいても、それぞれに「政治」の諸側面を描いたと読んでくださっても、どちらでも結構です。
もちろん、政治学者の著作や大学の政治学の授業に興味津々という人が読んでくださるのも(売り上げの点で)大歓迎ですし、あるいは物心ついてから政治にも政治学にもまったく関心がない方も、もし何かの縁でこの本を開くことがあれば、それなりに興味がもてるような記述を試みたつもりではあります。
ただ、あくまでもそういう人がこれを読んでいるならの話ですが、政治家になりたいとか、社会運動のアクティヴィストとして活躍したいとか、環境問題でデモをかけたいとかいったご希望の方には、特に申しあげておくことがあります。-こんな本を見ているところですでに手遅れですから、いますぐに街(あるいは街でなくても人の集まる場所)に出ていろいろな人の声を聴き、多くの人に自分の主張を伝え、賛同者を集める経験を積んでください。おそらく大半の方は挫折するでしょう。しかしそこで傷つき疲れはてたとき、この本をゆっくりと読んでいただければと思います。心が癒されることはたぶんないものの、どんな方向であれ再びやりなおすために、そっと背中を押すくらいの効果はあるかもしれません。
この本は、日本語が読め、日本の文部科学省による学習指導要領に準拠した高校教育を受けた人が、大学で政治学について学ぶ前に読む本、という構想のもとに書かれています。年齢層は十八歳から二十歳くらいを考えていますが、もっと歳をとった方や若い方が読んでくださっても、もちろん構いません。性別や国籍や居住国についても特に想定していないつもりです。
しかし、「高大接続」という電気工事用語のような言い方がありますが、高校での「現代社会」や「政治・経済」の学習内容と、大学で講義されている「政治学」関連のさまざまな学問の知識とをつなぐ作業は、たやすいものではありません。ほかの学問領域についても、それぞれに苦労する点は少なくないのでしょうが、政治学の場合はとりわけ、両者の断絶が大きいように思えます。
たとえば、「政治・経済」の高校教科書から、政治学に関連しそうな主題を拾ってみましょう。「民主政治の原理と発展」「世界のおもな政治体制」「日本の政治機構」「世論とマスメディア」「現代の国際政治」といった言葉が並びます。こうした主題の一つ一つは、大学でも「現代日本政治」とか「政治思想史」とか「国際政治」とかいった政治学系の講義でとりあげられることがあるでし
国民が政治に参加し、国民の意志がそのまま政府の決定となる。何とすっきりした構図でしょう。世間の人の大部分が政治家や政治運動に(ごくまれに)期待をかけるとき、思い描く理想像も、たぶんそんな単線状のものではないかと思います。しかし、二千数百年の長い歴史をもつ政治学の知見からすれば、こうした説明内容には「政治」そのものがすっぽりと抜け落ちている。
さまざまな価値観や利益要求が渦巻いている大きな社会で、どうやって一つの「国民の意志」を見いだすのか。それを確定する過程には、どんな会話や妥協や無理強いや暴力が働くのか。政府の決定がなされたあと、それをどうやって実行するのか。その決定は個人の生活のどの領域までふみこむことが許されるのか。もしどうしても決定に従わない人がいればどうするのか。そもそも政府の組織それ自体を、人々がまったく信頼しなくなったら、その人々はどう行為すべきなのか。-こういった問題がもちあがり人々の交渉がなされるとき、その内側に働いているのが、「政治」の営みにほかなりません。それは偶然性に左右される活動ですが、さりとてそのなかで交わされるふるまいが、まったく予想不可能というわけではありませんし、何をやっても許されるということも、本来はないはずです。
何やら禅問答めいてしまいましたが、どんなにすっきりした体系をもっているように見える授業や書物も、およそ政治学と名がつくかぎり、こうした「政治」のもやもやした世界をめぐる関心に、つねに裏うちされているはずです。高校の「政治・経済」の科目は得意だったのに、あるいは新聞の政界記事はよくわかるのに、学問としての政治学にはどうもなじめないという人は、おそらくそこの部分をうまくつかむことができないのでしょう。実際、こうした「裏うち」を、大学の個々の講義から察知できるかどうかは、聴いている人それぞれの勘と人生経験に左右されてしまうように思えます。
この本はそうした「政治」について、勘や経験に頼らなくても、理解が少しでも深められる手助けをめざして書きました。ブックガイドの最終章をのぞく第一章から第四章までは、ひとつながりの話として読んでいただいても、それぞれに「政治」の諸側面を描いたと読んでくださっても、どちらでも結構です。
もちろん、政治学者の著作や大学の政治学の授業に興味津々という人が読んでくださるのも(売り上げの点で)大歓迎ですし、あるいは物心ついてから政治にも政治学にもまったく関心がない方も、もし何かの縁でこの本を開くことがあれば、それなりに興味がもてるような記述を試みたつもりではあります。
ただ、あくまでもそういう人がこれを読んでいるならの話ですが、政治家になりたいとか、社会運動のアクティヴィストとして活躍したいとか、環境問題でデモをかけたいとかいったご希望の方には、特に申しあげておくことがあります。-こんな本を見ているところですでに手遅れですから、いますぐに街(あるいは街でなくても人の集まる場所)に出ていろいろな人の声を聴き、多くの人に自分の主張を伝え、賛同者を集める経験を積んでください。おそらく大半の方は挫折するでしょう。しかしそこで傷つき疲れはてたとき、この本をゆっくりと読んでいただければと思います。心が癒されることはたぶんないものの、どんな方向であれ再びやりなおすために、そっと背中を押すくらいの効果はあるかもしれません。