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熱で、20時間寝ていた。その間につなぎのコメント記入

朝、7時に測ったら、頭が軽く、痛かったので、大台近くの熱があったので、そのまま寝ていて、起きたのは9時半でした。クルマで駅前のスタバへ。未唯空間シートのつなぎ部分を12時近くまで行っていた。プレゼンとエッセイは同じです。だから、エッセイを優先的に作成します。

スタバには相変わらず、お手拭きがありません。全国的にない状態がいつまで続くのですか。

今日は、ポメラもメモも忘れてきた。残しておきたいメモは多くあります。そこで未唯空間シートを切って、裏側に書きました。こういうことに頭が働くみたいです。

知恵を大胆に使える世界、時間をつぶすのに、汲々としている人たちに方向を与えること。そうすれば、ローカルの知恵がグローバルになっていく。そんなことを実感していた。

未唯空間シートのつなぎ部分で、一番、気になる歴史編から開始しました。

歴史のコメントは、当然、すべてを知った形ではできない。偶然を使っていきます。偶然の最大なものは、4年間掛かって集めてきた未唯空間の記述そのものです。つなぎとしては、前で書かれたことへの感想と次のステップのイントラです。

詳細の内容は単なるメモで、エッセイはインスピレーション(感覚)です。

手元に500円しか持っていない。郵便貯金を下ろすのも面倒です。熱が出できたので、家に帰って、寝ることにしました。

2時に測定したら、熱が大台を超えていた。年末・年始は未唯空間の整理でパソコン業務をしていたが、その時点でやりたいことをやっていたので、疲れが出るはずがない。そんなことをしてない。

とりあえず、寝ることにしました。それから夕食をのぞいて、朝5時まで寝ていた。朝の3時くらいに平熱に戻りました。20時間も寝るのは辛いですね。腰が痛くてたまらない。

その間はポメラもパソコンも見ていない。目がくたびれます。その代わりに、枕元の50cm以内に、シートのつなぎのコメントを書くのに必要なものはすべて置きました。寝疲れて、起きたときに20分ぐらい、ボールペンでコメントを書いていました。

とりあえずのコメントを書く作業を、朝3時から布団の中で行うことにしました。寒さ対策になります。
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公共施設(図書館)の動き

335.7『公民連携白書』より

2009/ 9 /25

 書庫公開、ビジネスマン重視で利用者増=予算削減の中で創意工夫一新潟県立図書館など特集・自治体の図書館

 地方自治体の財政難に伴い、多くの公立図書館が予算と人員の削減に苦しんでいるといわれる。そうした中、通常は一般利用者の立ち入りを禁止している書庫を公開して閲覧できる本の数を増やしたり、ビジネスマンを重視した運営などに取り組んだりして利用者を増やしている図書館もある。その取り組みとはどのようなものか。新潟県立図書館と東京都千代田区立図書館を紹介する。

2009/10/22 読書推進で駅・企業に書架=鳥取県教育委員会

 鳥取県教育委員会は、通学中や職場で本に触れてもらおうと、第三セクター「若桜鉄道」の駅舎や事業所内に書架を設置する。家庭での読書を推進するのが狙い。駅舎の図書は列車内で読むことができる仕組みとする。県家庭・地域教育課によると、こうした取り組みは全国でも珍しいという。

2009/10/29 コンビニに図書返却ボックス=神戸市立灘図書館

 神戸市立灘図書館は、近隣のコンビニ「ファミリーマートJR六甲道南店」に図書返却ボックスを設置し、24時間図書の返却が可能になるようにした。図書館が商業ビルの中に入っており、午後8時以降は返却ポストが使えないため、日中忙しい利用者に配慮した。

2009/12/1 駅前に無人図書コーナー開設=大阪府高槻市

 大阪府高槻市は、市内の図書館の利用率を高めるため、JR高槻駅前に来春、事前に電話などで予約した本が受け取れる図書コーナーを開設する。 ICタグを活用した貸出機を設置し、利用者本人が手続きすることで無人化を実現。市によると、図書館外でのこうしたサービスは全国初という。

2009/12/21 ベストセラーの寄贈呼び掛け=札幌市中央図書館

 札幌市中央図書館は、貸し出しの予約が集中するベストセラー本の寄贈を市民に呼び掛けている。限られた予算で、特定の本に殺到するリクエストに応えるのが困難なため。

2010/ 1 /29 デパート跡地に市立図書館=富山市

 富山市は、中心市街地のデパート跡地(敷地面積約4400平方メートル)に建設される予定のビルに、市立図書館などを入居させる。森雅志市長が、臨時記者会見で発表した。

2010/ 2 /22 県購入図書を小中学校に貸し出し=島根県教育委員会

 島根県教育委員会は、県が購入した図書を公立図書館に配備して近隣の学校に貸し出す「学校図書館活用教育図書整備事業」を始める。子どもたちの読書活動の推進が狙い。県教委によると、全国でも珍しい取り組みで、2010年度当初予算案に6000万円を計上した。

2010/7/27 大学構内に市立図書館=大阪府高槻市

 大阪府高槻市は、JR高槻駅前の関西大学キャンパス内に子ども向けの市立図書館分室を開設した。同大の1室と1万6000冊の児童書を無償で借り受け、市側が職員を配置して運営する。

2010/8/6 地下鉄駅などに図書返却ポスト=福岡市

 福岡市は、地下鉄2駅と市役所本庁舎の3ヵ所に図署返1」ポストを配置する。利用開始日は10日。多くの市民が利用する駅や市中心部の市役所に置くことで、利用者へのサービス向上を図る。吉田宏市長は「(将来は)全部の駅で、という構想もある)としている。

2010/8/17 図書館の本を小中学校に宅配=新潟市

 新潟市は、市立図書館の本をリクエストに応じ、市立小中学校などに「宅配」する「学校への貸出搬出事業」を行っている。学校教育を側面から支援することが狙い。利用冊数は5月の開始から3ヵ月で約9000冊に達するなど、着実な成果を見せている。
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病理医の仕事

491.6『わたしの病気は何ですか?』より

最近起きた意外な事例

患者は、五〇代前半の男性だった。以前にうつ病、糖尿病をわずらっていたという。全身にだるさを感じはじめ、約一週間後には動けなくなり、病院に運ばれた。その二日後、動脈閉塞、心タンポナーデ(心臓と、心臓を囲む心嚢の間に何らかの原因で液体が大量に貯留することにより、心臓の拡張が阻害されて循環障害が起こった状態。容易に心不全に移行し、急速に死に至る)と診断され、心嚢を突いて液体を除去する治療がおこなわれた。しかし、患者の全身状態は依然として非常に悪く、積極的な治療をおこなえないまま、約一〇日間の経過ののち、あっと言う間に亡くなった。いわば原因不明の死であった。

そこで死因を特定するべく、遺族の承諾を得て、病理解剖がおこなわれることになった。解剖は、死後四時間がたったのちにおこなわれた。

生前の臨床診断は、以下の三点に集約されていた。①縦隔炎(疑)。②総腸骨動脈塞栓。③左房粘液腫(疑)。

手短に説明すると、①の「縦隔炎」とは、縦隔(左右の肺、胸椎、胸骨に囲まれた部分。心臓やそこに出入りする大血管、気管、食道、リンパ節、神経節など、重要な器官が集積している)におこる炎症。②の「総腸骨動脈塞栓」とは、総腸骨動脈(腹部の大動脈が左右に分岐してできる枝)に何かが詰まっていること。③の「左房粘液腫」は、心臓に発生することがある良性腫瘍だ。①と③の「(疑)」というのは、臨床画像上ではそう見えるが、最終的には組織学的に(病理学的に)みてみないと確定診断がつけられない、という意味だ。

解剖は粛々と開始され、進行していった。そして、食道にさしかかった時、解剖に立ち会った者はみな息をのんだ。誰も予想していなかった食道がんが見つかったのだ。

食道がんは四センチメートル大であり、複雑な形状をした腫瘍が、周囲の臓器にいちじるしい進展を示していた。がんば縦隔へも進行し、組織を顕微鏡でみると、炎症細胞や真菌や細菌の塊も見つかった。縦隔に起こった炎症、すなわち縦隔炎である。先述のように、生前の臨床診断でもその疑いはもたれていたが、まさかそれが悪性腫瘍の浸潤によるものとは誰にも想像できなかった。

さらに、腫瘍は外から左心房の壁を食い破り、それが心臓の内部に姿をあらわした部分に血の塊が形成されていた。これが、生前には左房粘液腫を疑われた病変に相当するようだった。また、血の塊の一部は、血管の下流の総腸骨動脈のあたりに飛び、総腸骨動脈はその塊によって塞がれていた。通常、心臓の内面や血管の中に血の塊ができることはないのだが、この患者のようにがんという異物が露出すれば、そこをきっかけとして血の塊ができてしまう。

こうして、患者の生前に臨床医によって挙げられていた一見関連性のない三つの疾患が、食道がんの周囲臓器への浸潤というキーワードで一つにつながった。複数の独立な過程ではなく、一元的に説明できたのである。以降、この症例は、縦隔炎を示唆するような臨床画像が得られた場合のひとつの可能性として、診断に生かされていくことだろう。


はじめに

二〇〇八年、見慣れない科が病院の看板にかかげられた。「病理診断科」。この看板を見たとき、全国の病理医の胸には、熱いものがこみ上げてきた。長年の夢、願いがかなったからだ。

病理医がおこなう病理診断は、現代の医療になくてはならないものだ。しかし、病理医の存在が日の目をみることはなかった。「料理医?」と聞かれたことは数知れない。医者の世界でも、変わり者が行くところと言われ、病院の中でも、「検査部」「病理部」といったまちまちな名称で呼ばれていた。「病理って、医者がやることなの?」という質問を、医者からされることさえあった。

なぜ、病理診断は科として認められなかったのか。大きな原因は、病理医が患者さんを診ないからだ。患者さんに直接接しないのだから、科を名乗る必要はない。わざわざ病院の広告に載せる必要もない。ずっとそう言われてきたのだ。
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