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岡崎図書館から10冊借りてきた

未唯へ。岡崎図書館から、結局厚い本を10冊借りてきた。仕事のことで頭にきているので、それを忘れるのに、本に逃げています。月曜日はたたかいましょう。

 F913.6『厚岸のおかず』

 210.7『近衛文麿の戦争責任』 大東亜戦争のたった一つの真実 15年前の『近衛文麿とルーズヴェルト』の再刊 今時出てくるのは時代が望んでいるのか。そちらを分析します。

 188.8『道元禅師全集【第十七巻】 法語・歌頌等』 出る度に、一応、借りています。

 338.1『強さと脆さ』 ブラック・スワンにどう備えるか あの「ブラック・スワン」シリーズです。

 I588.3『チェコレートの世界史』 近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石 グランデ・ドリップにはチョコレートが似合うので、今、持ち歩いています。

 289.3『20世紀のファウスト 下』 美しい戦争に植えた世界権力 上は去年の12月に借りている 捏造された現代史、その仮面がついに剥がされた! どちらかというと、こちらの方が捏造しようとしている

 219.9『沖縄一中鉄血勤王隊』 学徒の縦となった隊長 篠原保司

 504『徹底検証 21世紀の全技術』現代技術史研究会 “生活圏”の技術、変わりゆく産業社会の技術、技術がもたらす自然と社会の崩壊

 391.2『韓国戦争 第四巻』韓国国防軍史研究所 国連軍の再反攻と共産軍の春季攻勢 この間、五巻を読んだので、逆向きになっている。

 319.1テ『帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」』 機密光電が明かす、戦前日本ののユーラシア戦略 またしても、日本陸軍。この最近、多いですね。


今日、OCR化したテキスト

『世界全戦争史』より「フィンランド-ソ連戦争『冬戦争』」

 さすがに『世界全戦争史』です。フィンランド人のシスの精神を表した『冬戦争』も扱っていた。

 「フィンランド兵士は殺戮するのに飽きて苦しんだ。共産党軍と戦争するときには、共産党兵士を全員倒すまで戦い続けなければならないという戦史の教訓を残した。」

 実は、この後に、ソ連・フィンランド-ドイツという『ラップランド戦争』があった。これは奇妙な戦争と呼ばれた。戦うつもりのない国が、戦争とは関係ないラップランドでだらだらと戦った。こちらを知りたい。ロヴァニエミ図書館に行った時に調べましょう。

『図書館の原則』より「未成年者によるインターネットでの対話」

 「デジタル環境は、情報へのアクセス、情報の作成、情報の共有に機会を提供する。学校や図書館のインターネットの情報を検索したり、情報と対話したり、情報を作成したりするという未成年者の権利は、未成年者の[合衆国憲法]修正第1条上の権利の拡張である」

 アメリカの図書館協議会はここまで来ている。
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フィンランド-ソ連戦争『冬戦争』

『世界全戦争史』より

ポーランド分割のあと、不可侵条約を信じないスターリンはドイツの侵攻を恐れて先手を打って、有利な戦略態勢を築こうとした。ソ連は、フィンランドに対して、相互防衛条約の締結を要求し、カレリア地峡南部、その周辺諸島を占領することと国内に軍事基地の建設を求めた。

フィンランドは即座にソ連の要求を拒絶し、すぐに国軍の動員を開始してマンネルハイム元帥の指揮のもとに国境に配備した。ソ連は、ただちにフィンランド軍の撤退を要求した。

一九三九年一一月三〇日、ソ連は宣戦布告することなく、交戦状態に入った。ソ連軍約一〇〇万はフィンランドを東方からと東南方から陸上侵攻するとともに、フィンランド湾を横断して上陸作戦を開始した。フィンランド軍約二五万が迎撃したが、彼らの八〇パーセントは予備役兵士であった。フィンランド南岸に対するソ連の全上陸作戦は撃退された。

ソ連軍の主侵攻はカシリア地峡に指向された。しかしマンネルハイム・ラインに跳ね飛ばされて大損害を出して撃退された。他のソ連軍侵攻縦隊は、東部と中部フィンランドの巨大な湖と森林地帯を押し進んだが、独立戦闘としてソ連軍を襲った。深い積雪と零下のフィンランドの気候は、フィンランド軍の戦闘行動と機動に何の影響も与えなかった。なぜならフィンランド軍は全員がスキーヤーであった。全員が軽くて温かい獣服を着用していた。ソ連第五列は根こそぎに潰された。

一二月~一九四〇年一月、スオムッサルミの戦闘となった。東部フィンランドにおいてソ連第一六三狙撃師団(歩兵師団)は二本の狭い森林道に沿って進撃した。二つの道路はスオムッサルミ村で合流していた。深雪が師団の機動を遅滞させた。零下四〇度の気温がウクライナから徴兵され、北極服を着用していない兵士を打撃した。ソ連軍の両翼では、白い服を着たフィンランド市民警護隊がスキーを着用して音もなくソ連軍補給車両や野外給食施設を急襲した。

一二月七日~一一日、餓えたソ連縦隊はスオムッサルミ村で停止して偵察しようと試みた。フィンランド第九師団の歩兵部隊が到着し、砲兵部隊を待つことなくただちに攻撃した。ソ連軍は動けなくなった。二つの補給路は阻止され、輸送は待ち伏せ攻撃を受け、全ての補給が断たれた。ソ連第四四自動車化狙撃師団が第一六三師団を救出するために突破しようとした。しかし、たちまち市民警護隊の擾乱攻撃によって動けなくなってしまった。

一九四〇年一月一日~八日、細断されたソ連第四四師団は順次に撃滅された。ソ連軍の損害は戦死・凍死計約二万七〇〇〇、捕虜一三〇〇、歯獲は戦車五〇と師団の全大砲、全装備品であった。この戦闘におけるフィンランド軍の損害は、戦死約九〇〇、戦傷一七七〇であった。

一九四〇年一月一日~二月一日、ソ連軍は再編成して攻撃を再興したが、屈辱的敗北を受けて撃退された。東部国境の六ヵ所において攻撃の先導部隊が仰天するような損害を出して阻止された。一個師団と一個戦車旅団が丸ごと捕虜となった。他の三個師団もほとんど撃滅された。そこでソ連軍は圧倒的に優勢な兵力の集中可能なマンネルハイム・ラインに対する攻撃を準備した。

二月一日~一三日、ソ連第七軍と第一三軍計五四個師団が四日~五日ごとに休みなくマンネルハイム・ラインに対しして攻撃を行なった。その火力支援は膨大な砲兵数の砲撃と航空攻撃であった。砲撃に続いて弾痕に破壊された大地を限りない歩兵の波が押し寄せた。

フィンランド兵士の中には、ソ連兵を殺し続けて心身に異常をきたすものが出始めた。彼らは殺戮するのに飽きて苦しんだ。共産党軍と戦争するときには、共産党兵士を全員倒すまで戦い続けなければならないという戦史の教訓を残した。

二月一三日、結局、マンネルハイム・ラインはスマ付近において突破された。

三月一日、マンネルハイム・ラインのフィンランド軍中央と右翼は、遂次後退を繰り返しながらヴィボルグ(ヴィープリ)に撤退した。後ろはフィンランド湾である。

三月一三日、フィンランド軍は消耗し尽くした。ソ連の要求した平和条項は、実質的に最初の要求と変わらなかった。スターリンはフィンランドがゲリラ戦を行わないかぎり、外国の介入を招くようなこれ以上の侵攻は行わないとした。この戦争におけるフィンランド軍の損害は、戦死約二万五〇〇〇、戦傷約四万三〇〇〇であった。ソ連軍の損害は、各種の資料から推定すると戦死約二〇万、戦傷約四〇万以上と判断されている。その戦争を観察していた世界の軍人たちは、「兵士は消耗品だ!」という共産党の考え方を見落とした。そして第五列を撃破されては、作戦できないという教訓も軽視した。
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スーダンでのPKO

『グローバルプレイヤーとしての日本』より

スーダンはアフリカでもっとも広い国であり、日本の面積の六・七倍ある。一九二四年以来北部を中心に独立運動が続げられ、一九五四年に自治政府が発足し、一九五六年に共和国として独立した。しかし、独立前の一九五五年から、南北内戦が勃発し、北部のアラブ系イスラム教徒と南部の非アラブ系の黒人が対立した。内戦は、一九七二年まで続き、いったん終息したが、一九八三年、政府がイスラム法を導入したため、再び内戦が勃発した。二〇〇四年末に至って、国連安保理の努力によって、事態は改善に向かい、二〇〇五年、南北包括和平合意(CPA)が結ばれた。

この包括和平合意に基づいて、二〇〇五年四月、合意を守るためのPKO(国連スーダンミッション、UNMIS)が設立され、二〇〇五年七月には、アル・バシール大統領を大統領とし、南部のSPLA(スーダン人民解放軍)のガラン最高司令官を副大統領とするという統一暫定政府が発足した(その直後、ガランは事故死を遂げている)。そして、六年間統治したのち、独立の可否を問う住民投票か行われることになっている。

もう一つはダルフール紛争である。スーダン西部のダルフールでは、やはりアラブ系遊牧民とアフリカ系農民が対立しており、アフリカ系は反政府傾向が強かった。ハルトゥーム政府は、南との対立で兵を差し向ける余裕がなかった。そこから、ジャンジャウィードと呼ばれるアラブ系の民兵組織がアフリカ系農民を襲い、村落を破壊するという事件が多発するようになった。

スーダンの問題は、そもそも一つの国になれそうにない人々が、統一を続けていることである。しかもアラブ系のほうが政治的にも経済的にも力を持っている。南部に対する投資はきわめて少なく、舗装道路も数えるほどしかない。南は、将来独立すれば世界で一番貧しい国になるであろうと言われている。

安保理が対象とするのは国際の平和と安全であって、純国内問題に国際社会は関与しにくいのである。実際には、国境を越える軍事的な動きもあって、周辺国と無関係ではなかったので、アメリカの強いイニシアティブで南北和平までは到達することができた。しかし、ダルフール問題は難航した。大きな理由は、中国がスーダンの石油に権益を持っていて、スーダン政府の意を受けて、PKOに反対し続けたことである。結局、中国が譲歩してPKO設立の決議が成立したのは、二〇〇五年三月のことであった。

それでもスーダンは容易にPKOを受け入れなかった。安保理の米英仏との妥協として、スーダンにはアフリカ連合(AU)の兵士がダルフールに派遣されることとなった。しかしAUの部隊は十分強力ではない。そこで、国際連合アフリカ連合ダルフール派遣団(UNAMID)という国連とAUのハイブリッド・ミッションがつくられ、派遣されることとなった。しかしそのなかの国連PKOのほうも主力はアフリカであって、西側の期待するようなものにはなっていない。

ところで、二〇〇九年三月四日には、ハーグの国際刑事裁判所は、ダルフール問題に関連して、アル・バシール大統領に人道に対する犯罪などの容疑で逮捕状を発出した。もちろんスーダン側はこれに激しく反発している。Justiceというのは国連の大原則である。大きな罪を犯したものを放置しておいては、法の支配を実現することはできないということである。しかし、現地の大統領の逮捕を求めて、紛争の解決につながるだろうか。はなはだ疑問である。この点は、AUのジャン・ピン委員長も同意見であって、平和のために有害だと述べている。

日本はこれまでスーダンのPKOに要員を出していなかったが、最近、本部要員二名を出した。しかし、これではゼロに等しい。二〇一〇年七月にもあらためてスーダンに追加要員を出さないと決定している。世界中のPKOで、輸送能力とくにヘリコプターが不足していると言われており、日本にはその能力があるが、やろうとしていない。

ダルフール問題はときに激しい戦闘があって容易ではない。しかし南北対立についてなら日本は貢献することができる。スーダンにおける対日感情はよいし、植民地統治のようなマイナスの経緯はない。日本は誠実な仲介者の役割を果たせるのである。実際、JICAは南スーダンに人を出してかなりの活動をしている。しかるに自衛隊は人を出さない。二年後、独立に関する住民投票があるとき、事態はかなり緊迫するであろう。それに向けて、平和に役立ちうるのに何もしないのは、惜しいことである。
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未成年者によるインターネットでの対話

『図書館の原則』より

デジタル環境は、情報へのアクセス、情報の作成、情報の共有に機会を提供する。学校や図書館のインターネットの情報を検索したり、情報と対話したり、情報を作成したりするという未成年者の権利は、未成年者の[合衆国憲法]修正第1条上の権利の拡張である。

未成年者の学業の追求は、対話型ウェブ・ツールの利用が強化できる。そうしたツールの利用によって、若い人びとは文書を作成して、オンラインで文書を共有できる。また写真、ヴィデオ、画像資料のアップロード、公表した文書の修正ができる。さらにオンライン上のコンテンツにタグをつけて、情報の分類、組織化ができる。そうした学業にかかわるツールの不適切な使用は、個人の行動に関する問題として扱うべきで、対話型テクノロジーへのアクセスを制限や禁止するための正当化に使われるべきではない。共有する学習の利点は十分の実証されているので、生徒の学業の追求に際して、学校や図書館は生徒に対話型ウェブ・ツールの建設的な利用機会を提供し、そうした機会の提供を確実にしなくてはならない。

未成年の個人的な対話は、インターネットを通じて活用できるソーシャル・ツールで高めることができる。ソーシャル・ネットワーキングのウェブサイトは、オンライン・コミュニティの創造を可能にし、その特徴は画像、ヴィデオ、ブログなどさまざまな形態での情報の開かれた交換、および共通の関心事の議論にある。対話型ウェブ・ツールは、子どもやヤングアダルトが社会的、市民的な活動や、課外活動について学習し、それらを組織化するものを助ける。多くの対話型サイトは利用者を招いて、オンライン上でのアイデンティティの確立、個人情報の共有、ウェブ・コンテンツの作成、ソーシャル・ネットワークへの参加を促している。親や保護者は自分の子どもがオンライン上での活動に参加する準備をするについて、非常に重要な役割を果たす。それは自分の家庭の価値を伝えることや、自分の子どものインターネット利用を監視することによる。親や保護者は、自分の子どもが図書館のインターネットでアクセスする内容に責任を有している。

・・・

図書館や図書館員は知的自由と修正第1条の防衛者として、地方、州、連邦の法律を遵守しつつ、インターネット上での対話に制限のないアクセスを提供する責任、またアクセスが制限されているところでは、いっそう大きなアクセスを出張する責任を有する。学校や図書館の責任者は若い人びとと密接に協力して、若い人びとが技術と態度を学ぶのを助けなくてはならない。そうした技能や態度が季節となって、若い人びとは自由な社会で、責任があり、効果的で生産的なコミュニケーションができるようになる。

アメリカ図書館協会評議会2009年7月15日採択。www.ifmanual.org/minorsinteractivity


途中省略したが、全文、手打ちです。それにしても、アメリカでのソーシャル・ネットワークの立場はよくなっています。図書館も防衛していく姿がハッキリしています。

日本の図書館協会とか、総務省辺りにはまるで気概がない。この差はどんどん広がって行く。コンテンツとコミュニケーションを取られたら、日本に何が残るのか。
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グーグル・ワールド

『報道再生』より

グーグルが切り拓いてゆく情報革命の世界にはバラ色の未来が約束されているのだろうか。正直、懐疑的にならざるを得ない。

ネット・ビジネスがフリー(無料)、もしくは低価格でサービスを提供できるのは、基本的に広告スポンサーとの間でユーザーの顧客情報がトレードされているからである。無論、提供されるサービスには一定の「おことわり」がされていることが多いが。

全米著作者協会の顧問弁護士、ジャンさんが言うように、「私たちは、キンドルで本を途中まで読み、次の朝目が覚めてiPhneを見たら、読みかけのチャプターに関連した広告メールが入っている、という時代に生きている」ことになった。
自分の好み、関心領域を知らせれば知らせるほど相手が、ピンポイントで関連情報を送ってくることは便利に違いない。グーグルの共同創業者サーゲイ・ブリンは、2007年10月、こう言っている。

「広告に関するわれわれの究極の目標は、広告主と顧客のウィンウィン関係を作ることだ。それは顧客が興味を持つような適切な情報でありながら、同時に商売につながる広告を提供することに他ならない」

言いかえれば私たちは、賢くなくては敗者もしくは被害者になる危険性がどの時代より高い社会に生きているといえる。デジタル・ディバイドの問題である。IT情報の操作と管理にたけている人ほど必要な情報はタダで得ながら、与えたくない個人情報は遮断するスキルを身につけてゆく。悲惨なのは、気がつかぬまま個人情報が勝手気ままに体制やビジネスに利用される人々ではないか。そして気が付いた時には、もはや情報管理体制から逃れるすべはない。ジョージ・オーウェルは、60年以上も前にその究極の姿を描いた(『1984年』)。

そこまで思いつめなくても知的技能差によって「得る人と失う人」が生まれることは、インターネットの中立性、公平性の原則に反する。実際、こうした不安が杞憂でないことは、グーグルのプライバシー侵害事件でその一端が明らかになっている。

ところが変化を続けるIT世界では、グーグルの検索分野での圧倒的強さですら、必ずしもその未来を保証するものではない。

ITマガジン、「ワイアード」の編集長、クリス・アンダーソンが10年8月に書いた「The Web is dead」は刺激的な一文だ。WWW、すなわちワールド・ワイド・ウェブでURLを登録して検索エンジンを始動する情報収集のネット操作スタイルが廃れつつあるというのだ。これに代わるのがapps、アプリケーションの時代だ、と予言している。

iPhoneや全世界で利用者5億人を超えたフェイスブックではwwwでなく専用プラットフォームを使う。検索エンジンに貯蔵される情報が膨大になるにつれ、検索を通じて目的情報に到達するのが困難になったり、時間がかかるだけでなくガセ情報をつかまされるといったケースも生じ始めた。これに代わって事前に好みのサイトをセットしておけば、こんな苦労はない。iPhoneやいPadの起動画面にずらりと並ぶappsに触れば、すぐ目的地に着ける。「ネットの囲い込み現象」と呼ばれるものである。

無論、WWWが「死ぬ」ことは現実にはありえない。しかし、こうした風潮に検索の王者、グーグルが危機感を募らせているのは間違いない。「世界中の情報の整理」というホームベースから踏み出してIT広告代理店、IT旅行代理店など検索市場を取り囲む企業買収に狂奔するのはこのためだと見られている。

その結果、既存のITビジネスと、グーグル傘下の企業との競合関係が発生する。競争相手は次第にグーグルのページランク決定に疑いを持ち始め、不公正取引、あるいは独禁法の違反行為として訴える結果となるのだ。

考えてみれば、これは90年代にマイクロソフト社がたどった道の再現ではないか。マイクロソフトのオペレーティング・システムによる市場独占を批判し、オープンソースのリナックスを後押ししてきたのがグーグルであったのに……。

「グーグルよ、おまえもか」と嘆くファンも多いに違いない。より重大なことは、グーグルは今、創立以来の「邪悪にならない」という旗を堅持するのか、降ろすのか、という問いを突きつけられ始めているということである。
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