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母親を総合病院に連れて行った。原因不明で帰って来た

今日は、珍しく雪ですね。あなたは午後からの出勤は止めたみたいですね。正解です。かなり、降ってきた。

いつもの通りに、10時半に老人ホームに到着して、母親の部屋に。ベットの上に座って、「頭が痛くて、吐き気がする。昨日から食べていない」とのこと。老人ホームのナースと相談して、総合病院の救急外来へ連れていくことにした。それが10時45分です。。

老人ホームのナースの替わりにケアが同行してきた。車いすの乗せ替えとか、普段の様子などを医者に話してもらった。ほとんど、任せっきりでした。ケアははじめての経験だと言っていました。

ケータイで、奥さんに電話したが、今回は関与しないみたいです。肝心の妹がギリシャに行っているので、一人でやるしかない。

ポメラへの入力を避けている。理由は分からない。枕元に置いて、ずっと寝ていた。今までなら、2時に起きたときに、そのまま仕事にはいるのに、寝てしまった。

総合病院の救急外来はさほど人は居ません。ゆったりした時間が流れています。奥さんに診察待ち時間が1時間とメールしたところ、総合病院では「半日仕事」とコメントしてきた。

1時間待って、診察が始まった。質問に対しては、ホームの人しか答えられないことばかり。お互いに様子がつかめないみたいです。診断の感じからすると「大したことはない」。要するに、原因は分からないみたい。

そのまま、返すわけにはいかないので、CTスキャンなど5つの検査をすることにしたようです。1時間ぐらいかかると思い、病院の喫茶店でカレーを食べてきたら、20分ぐらいで終わってきたそうです。やはり、空いているんだ。

救急外来にくるような症状とか原因が見つからないと言うのが結論でした。要するに原因不明です。そこに痛がっている患者が居るけど、気の迷いということ? 最終的には掛かり付けの医院に任せるということでしょう。

雪が降っていて、病院の駐車場はやばい状態です。老人ホームは田舎にあるので、雪が心配です。たどり着けない時はタクシーで送ってもらいましょう。タイヤのことを考えると、雪は避けないといけない。

老人ホームの玄関で降ろして、そのまま、家に向かいました。老人ホームから電話で奥さんに連絡があった。こう言うときだけは電話に出るんですね。

家に帰る頃は雪は小降りになっていた。その後、降ってそれなりに積もっています。名古屋高速は動かないだろうから、豊田市まで40分歩いて、電車になります。防寒靴がない。まあ、いいか。

パートナーは朝から姫路出張だけど、どうするのかな、と思っていたら、メールが入りました。6時段階で、新幹線に乗っているとのこと。前泊です。やり抜く覚悟です。

確か、4人で行くと聞いていたので、、ほかの3人はどうするかをメールで聞きました。連絡が取れずに先行するとのこと。短い文面から、色々なことを心配している心が見えました。

私からのメッセージとしては「こういうときこそ、知恵と勇気ですね。それと思いやりです」を送りました。先を見て行動する「知恵」、自分一人でもやり抜く「勇気」、そして、いろいろな事情でこれないひとへの「思い」です。そして、強くなってください。
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カント倫理学の定言命法

『はじめての政治哲学』より

カントは、行為の道徳的判定に際して、行為を引き起こす意志自体が何を目的とするかという形ではなくて、いかに意志するかという形で問われなければならないといいます。

つまり、「もし~を欲するならば、~せよ」というように、あらかじめ設定された何らかの目的を前提とし、その目的を実現するために必要な手段としての行為を命ずる「仮言命法」ではだめだというのです。仮言命法は功利主義と同じで、人間の理性を目的を得るための道具に既めてしまうからです。

お金をもらえるから人を助ける、表彰されて新聞にも載るから人を助けるというのでは、自分をそうした目的のための道具にしてしまうことになります。そうならないようにカントが要求するのは、たんに「~せよ」という定言命法にほかなりません。定言命法は、行為以外のいかなる目的をも前提せず、行為そのものを無条件に命ずるのです。

この定言命法を法則化したのが、「汝の意志の格率(基準)が、常に普遍的な立法の原則に合致するように行為せよ」というものです。つまり、万人に当てはめても矛盾が生じないような原則にのみ従いなさいということです。困っている人がいたらとにかく助けよという命令を万人が実行したとしても、何ら矛盾が生じることはありません。

しかし、この法則は格率の「形式」が普遍的か否かを判定するだけの原理であって、格率の実質や中身にはかかわりません。たとえば、いくら万人が納得しており、矛盾が生じないとしても、奴隷制が許されていいとは思えないでしょう。したがって、この法則だけでは必ずしも道徳的な意味で妥当な結論を導くとは限らないのです。

そこでカントは、もう一つの法則を付け加えます。それは、「汝の人格やほかのあらゆる人の人格のうちにある人間性を、いつも同時に目的として扱い、決してたんに手段としてのみ扱わないように行為せよ」というものです。カントは行為の道徳性の実質的な根拠を、個々の人間の人格の尊厳性に求めたのです。カントは人格の尊厳性を絶対的な価値として据えているといえます。

では、なぜ人格は絶対的な価値を有するといえるのでしょうか。それは人間が理性という合理的推論能力を備えた素晴らしい存在だからにほかなりません。たんに欲求や傾向性によって行為へと促されるだけではなく、理性によって自らの意志を自由に規定することができるという点に、カントは人間の尊厳の根拠を見出したといえます。

功利主義(前節)の最後のところで、イケニエをなくすための方法について問いかけましたが、カントの定言命法は、ストレートにその問いに答えてくれているのではないでしょうか。
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高木貞治『解析概論』の誕生

昭和七年の高木貞治は満五十七歳になっていたが、この年の四月から大学で「解析概論」の講義を始めた。高木の名とともにもっともよく知られた著作『解析概論--微分積分法及初等函数論』(昭和十三年、岩波書店)の根幹を作ることになる講義である。

講義は週三回、午前十一時から十二時までと設定されたが、高木は講義のためのメモを書いた小さな紙片を手にして、いつも二十分ほど遅れて講義室にやってきた。

近代の微分積分学の基礎は「数の理論」である。数と量の関係を精密に論じた若い日の著作『新撰算術』『新式算術講義』は、解析概論の講義にまっすぐにつながっている。第三講座を担当して代数の講義を年々繰り返しながら、一貫して独自の解析学講義の構想を練っていたのであろうことは想像に難くない。類体論ばかりではなく、「解析概論」もまた高木の「青春の夢」だったのである。

設定された講義時間は午前十一時から十二時までで、いつもタクシーで乗りつけてただちに講義を始めた。亀谷の回想では二十分ほど遅れてやってきたということだが、栗田の年には毎回きっかり十一時半に教室に現れて、十二時になるとぴたっとやめたという。

昭和十年に入学した古屋茂の回想「虎渓山への遠足」(同上)によると、高木は、学生の集中力は三十分が限度という持論をもっていたようで、この年の講義時間も正味三十分であった。小平邦彦も昭和十年の入学だが、小平の回想「八十二歳の先生」(同上)によると、高木は十一時十分ころ数学教室に到着し、それから小使室で悠然とお茶を飲んでいたということである。

栗田の回想によると、高木は声は低かったが、チョークの端をもってきれいな字を書いた。急所にさしかかると軽く黒板をたたいた。「……は……」というように、動詞の少ない話し振りで、ときおり「であります」と結びを言った。言葉数は多くなかったが、一言一句が身に沁みて、見識のあふれた名講義だったということである。

高木貞治の著作『解析概論』は書き下ろしの単行本ではなく、「岩波講座数学」に分載されたのが初出である。この講座は岩波書店の店主、岩波茂雄の発案で企画された。岩波茂雄が高木に相談をもちかけたところ、高木はこれを快諾し、門下生の協力を得て実現をはかったのである。第一回目の配本は昭和七年十一月二十日、最終回の第三十回配本は昭和十年八月十五日。完結までに二年と九ヶ月の歳月を要するという大掛かりな講座であった。

高木貞治はこの講座のために「解析概論」と「代数的整数論」の執筆を担当した。「解析概論」は「一般項目」のひとつで八回にわたって分載され、全体で四百七十二頁に及んだ。分載の状況をもう少し詳しく観察すると、第五回、第七回、第九回、第十一回、第十三回(ここまでは昭和八年刊行)、第十五回、第十七回(昭和九年刊行)と続き、昭和十年刊行の第三十回配本に収録された「解析概論8」をもって完結した。

おりしも「岩波講座数学」の企画が動き始めた時期にこのような出来事があり、実際には高木本人が「我々の手で作り上げた解析の書物」の執筆を手がけ、当の岩波講座に「解析概論」を連載することになった。高木は独自の解析概論を書くのだという考えを前々から抱いていたと思われるが、岩波書店に持ち込まれたグルサの著作の翻訳稿は、この決意をいよいよ実践に移すうえで何がしか背中を押すような働きを示したのであろう。

高木は積極的に微分積分の講義を担当する意志を示し、講義を試みながら「我々の解析概論」を実現しようとしたのであろう。大学の講義と「岩波講座数学」の「解析概論」の執筆は平行して進行した。赤く染まった校正刷りを手に講義をすることもあり、分冊が出ると、その表紙をはずしたものを教室に持って来ることもあった。
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ジャック・アタリの「民主主義の内的矛盾」

集団の利益にかかわる事柄を、一人ひとりに個人の自由の行使を認めつつ集団で決定するしくみ、それが民主主義である。民主主義が適用されるのは集団共有とみなされる事柄 (保健衛生、教育、安全、司法、文化)だけであり、特定の国土、特定の人々においてだけである。そこでは多数派の決定が優先される。少数派がそれを甘受するのは、いずれ自分たちが多数派になるという展望を持っているとともに、民主主義体制における少数派のほうが独裁体制における少数派よりはるかにいいとわかっているからだ。

しかしながら、民主主義にはいくつかの矛盾がある。

まず、民主主義が機能するのは限られた地域においてだが、多くの分野で、世界全体を対象とする決定でなければ実効性を持かないことが明らかになっている。民主主義が勢力範囲を広げようと欲するのはこのためである。都市で誕生し国家単位に成長した民主主義は、いまや大陸を、あるいは市場経済がしたように世界を制覇したがっている。また、民主主義のもとでは、多数派はみずからが決めたルールを他の人々に強いるほかない。しかし、そのルールを少数派が拒否し、多数派と縁を切る決意をしたらいったいどうなるか? その実例が、税制上の亡命をする富裕層、貧しい地方との関係を断つ豊かな地方、連帯組織や貧困層向け年金への融資を拒む裕福な社会集団である。したがって民主主義に潜む大きな危険は、影響力のある少数派の離反ということになる。

民主主義はつねに逆戻りする可能性がある。自由というのは意見を変える権利であり、別のものを欲する権利である。これを私は〝新しがリ屋の暴力〟と名づけた。民主主義には不安定をもたらす性質があり、ときに民主主義そのものさえ不安定にするのである。

民主主義は、それを個人の選択を行使する自由ととらえた場合でも、無制限とみなすことはできない。民主主義の原則そのものを個人が投票によって白紙に戻すことがあってはならないからだ。種々の条文に位置づけがあり、憲法の条文が法律の条文よりも重要視され、憲法を見直す際にはきわめて厳粛な態度と一定の制限が求められるのはそのためである。

市場のグローバル化は民主主義を破壊しただけで、グローバルな民主主義を創造してはいない。グローバリズムによって個人は自律的になり、誰もが他者に依存しなくなっている。

自由の擁護は、家族という単位に自由を認め、子どもに他者の権利を与えることでもある。しかし、子どもが子どもとして扱われる権利は重要である。これがなかったら、子どもはあまりに早く大人になってしまう。我々のはかない社会において民主主義は、市場経済と同じように、不自然に早く人々に年をとらせる性質を帯び、成熟しすぎて幻滅した者たちを作リだす。民主主義はこのような傾向からも終焉に近づくのである。

では、民主主義による制覇が考えられるとしたら、それはどのようなものか?  第一に、地方レベルで民主主義が浸透し、民主主義本来の手段を人々が取り戻すような場合があるだろう。つまり地区の住民が、とくに都市計画の草案の見直しにいっそう頻繁に加わるための参加型民主主義である。

第二に、一般市民を代表する役割を担う人々による、特定の議題を扱う国際的な直接民主主義。これは、現行の裁判員制度に似ている。

第三に、電子投票を含め、一定範囲にテクノロジーを導入した民主主義の到来が考えられる。
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