作 東井義雄
実は私自身も、何もとりえのない男です。頭はよくない。体は貧弱。何ぶん、教員になって月給をもらうようになったんだからと思って生命保険にはいろうと思っても、保険医が入れてくれなかった私です。
運動能力はからっきしだめです。師範(学校)にはいったとき、全員何かの運動部にはいらなければならぬということだったのですが、蹴球部の検査のところでボールを蹴らされたのですが、それが思いもよらぬ横っちょの方にとんでしまったのではねられました。
野球部の検査のところで、生まれてはじめてバットというものを持たせてもらいましたが、あんなツルツルした丸太ん棒に、とんでくる球があたったりする道理がありません。
庭球部で生まれてはじめて握らせてもらったラケットは、ボールがあたるようにはばが広くしてありますから、これはあたってくれるだろう思って力を入れて振りましたが、どういうわけかあたってくれません。
水泳部でプールに突きおとされましたが犬かきもできず沈んでしまい、部員の人に助けあげてもらいました。競技部で百㍍走らされましたが、もちろんビリッコです。
何をやっても駄目なものですから、みんながあきれていましたが「お前、しんぼう強く粘れるかい?」といわれて「はい」と答えましたら、どうにかマラソン部に入れてもらうことができました。
毎日の日課は、姫路城北錬平場1周で5千㍍でした。その1万㍍コースの途中に日の本女学校というキリスト教の女学校がありましたが、女学生たちが見ている前を、みんなから何百㍍も遅れて犬に吠えられながら走るのはつらかったものです。
でもそのはずかしさを、私は4年間背負って走りました。そして、これによって私は、私の「のろまである」という「荷」を背負うすべを教わりました。
ビリッコを走りながら、私は「兎と亀」の話をいつも考えていました。亀が兎に勝ったということが、亀はやはり亀だ、どんなにがんばってみても、のろまな兎の走力をも身につけることはできない。
しかし、あの話は、つまらない兎よりも、ねうちのある亀の方が、ねうちとしては上だという話ではないだろうか、兎の中にも日本一駄目な兎というのがあるかわりには、亀の中にも日本一の亀というのがあるという話ではないだろうかなどと考えました。
そいうことから、ビリッコもあるし、1番より2番よりすばらしいビリッコもある筈だ、だとすると、自分は兎にはなれないが、日本一の亀、日本一のビリッコにはなれるはずだ、と、そんなことを考えたものです。
そして、とうとう4年目、私はすばらしいことに気が付きました。それは、ビリッコにも大きな役割がある、ということでした。ぼくがビリッコをやめたら、仲間の誰かが、このあわれなみじめなビリッコをとらなければならぬだろう。
それを、ぼくがずっとひとりで引き受けているおかげで、仲間はこのみじめな思いを味わわなくてもいいのだ、と気がついてみたら、世の中がにわかに光に満ちあふれているように明るく感られました。
素敵な人の紹介ありがとうございました。
読後感をどこかで読ませてください。