文章を書くとき、疑問を表すときの符号としてクエスチョンマークを使う。その記号は「?」でキーボードならシフトキーを押して「め」を打てば現れる。この操作で?が現れることに普段は何の疑いも持たないで過ぎる。いや、我が能力では考えても分かることではないと達観しているからだ。パソコンは使うが、自慢にはならないがその仕組みについて何も知らない。
ところが自分に不利とわかることには疑問符をつける。時には問い質してみると疑問を持ったことに疑問を感じるという笑い話もいくつか経験している。小学校2年の担任が黒板一杯に「なぜ」と2文字を板書し「君たちはいつもこの気持ちで学習するように」そんな話を記憶している。常に疑問符を投げかけると人間関係はうまくいかないことも経験した。
急に疑問符の話になったのは月1度の仲間との農園作業でのこと。月1度の作業にしては上出来と褒められるほどよく育った人参や大根を収穫する。しかし、同じ畑で育っているのに真っすぐなものに混じり大きく曲がったもの、二股やそれ以上に分かれたもの、余りにも巨大なものなど姿や形が異なるのはどうしてだろう、と思いながらも収穫は面白い。
畑の中で私と同じことを考えている人参がいた。その形は数字の「7」にも見えるが私的には直感で「?」だと思う。どこで支障があったのか真っすぐな人参に育たなかった、と考えるうちに思いが形になってしまったのだろう。この姿ではスーパーの「わけあり」品にもしてもらえない。人の世にも似た現象は数多くある、心して接しよう。
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