申請した書類の交付を待つあいだ市役所ロビーのオリンピック放送はタイミングよく200メートル平泳ぎ決勝に変わった。声は出さないが2種目連覇を願いながら応援した。結果は願いどおりだった。北島選手は世界新でないことを残念がっていたが素晴らしい記録を残してくれた。
昭和20年8月14日は岩国駅付近が米軍の爆撃により多くの犠牲者を出した日にあたる。北島選手のスタート前「11時15分より犠牲者への黙祷をお願いします」という庁舎内放送があった。
終戦前日の爆撃は一帯を穴ぼこにした。父は救援隊として駆けつけ犠牲者や負傷者に接したことを少しばかり話してくれたことを思い出す。穴ぼこは戦後10数年の間駅前一帯に残っていた。駅前地区では毎年慰霊祭が行なわれるが年々参加者が少なくなるという。
記録や記憶に残る日、残すべき日は思い方でさまざまだろうが、平和に繋がる日は誰の心にも残して欲しい。原爆が投下された日を知らない者が増えているという。
「お爺ちゃんお婆ちゃん有難う」の言葉を残して孫は京都へ帰っていった。孫が爆撃の穴を見ることのない世界になることを祈りながらテールランプを見送った。
(写真:北島選手が2種目の2連覇を達成した瞬間のTV画面))
子や孫のためにも平和への希求は止められません。
お土産がいっぱいで大荷物だったでしょうね。
子どもたちの将来のためにも平和であり続けて欲しいです。