「趣ある筆致 自由に表現」という見出しで、新聞紙を書道の筆にして書初めをという記事が目に入った。それは、新聞紙を小さく折りたたんで、はけのように墨書するという内容。筆先には新聞の上端と下端にある裁断面のぎざぎざした溝を使う。硯も筆も持たないのでこれなら書初めに挑戦できるかも、そんないたずら心が起きる。
筆は案内通りにできたが、ぎざぎざの溝が気持ちほどしかないのが気がかり。書くポイントは、紙に対して「筆」を直角に立て、書く方向に対して引くのではなく押すように書く。紙はざらざらした物が墨のかすれが際立つという。毛筆ほど墨はたっぷり要らない。墨汁を回収するプラ容器に注いで始める。
前衛書道家の言われるように自由容易には新聞紙筆は言うことをきかない。たっぷり要らないという墨の量を手探り、筆の持ち方、筆は書く方向に引くでなく押すといういうが、実際に筆を走らせるとその差がつかめない。などなど文句を言いながら何十回も試してみるもかすれがうまくいかない。
いろいろ思いながらの遊びごごろと決めているからだろう、本物の毛筆を握る緊張感は感じない。最近は筆を使うのは祝儀や不祝儀の包みのときくらい、それも筆ペンで済ませる。これは遊びの一つとしては面白いかもしれない。新聞紙筆の大きさを何種類か揃えて何かを創作すると文字だけでなく面白い墨画作品が描けそうな気がする。清書は「徒然草」の「この一矢にさだむべし」に習い1枚だけ。これからいろいろ楽しんでみたい。
tatu_no_koさんの「うし」の書もほのぼのとした温かみがあって素敵です。
落款印まで気持ちを込めていらっしゃるのが伝わります。
今年もブログを毎日楽しみに読ませていただきます。
よろしくお願いいたします(^^)
書家の方には失礼な振る舞いと思いつつ、楽しんで書いていました。
安易ですが、一本線で文字になる「うし」なら干支でもあるしいいかなと選びました。書評に感謝します。
今年も宜しくお願いいたします。