毎日のように、ニュースやワイドショー、科学番組や新聞などの文字媒体などで見たり聞いたりしない日は少なくなった言葉の一つ「AI」。ITという言葉もそうだったが、横文字に弱い者には難敵に思えた。仕事はIT化され次第に慣れ退職時の申し送りは、かび臭い書棚に並んだ資料で引き継がれたことを懐かしく思い出していた。
このAI、文部科学省の「AIてなに?」という問いにはこう説明してある。「AIとは人工知能(Artificial Intelligence アーティフィシャル インテリジェンス)の略称。コンピューターの性能が大きく向上したことにより、機械であるコンピューターが『学ぶ』ことができるようになりました。それが現在のAIの中心技術、機械学習です」。
人にとって代わるとも予測されているAI技術。すでに翻訳や医療画像の診断、よく知られている囲碁など実用化されている。しかし、AI技術は人の快・不快、喜怒哀楽などの気持ちまでも操作するのだろうか。AIの判断で、世界で絶対に起こしてはならない戦争が勃発することは絶対にないことの証明ができるまで、使用は限定的にすべき、先日そんな空想を抱いた。
写真は私が撮ったもので合成などではない実写です。巨大な飛行物体が岩国城に忍び寄っていく、大型のスクリーン映像を見ているようでした。こんな空想の起きないよう、AIは世界の争いごとを早期に察知し解決する、そんな役目を担わせて欲しいと開発者にお願いする。
(今日の575) 開戦は任せられないAIに
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