さくらは見ごろ、週末の天気は下り坂、だから花見はいまが最高、と言われるくらい桜が絶頂期のこのごろ、周りの植物にも新しい息吹が見え始めた。先日はフロントガラス越に厳しい寒さで倒れた枯れ芭蕉から新しい葉が伸び出ていた。春だ、そう思い見ながら通り過ぎた。
今日から新年度、新しい何かが誕生することを期待している。就職や進学で新しい世界に進む多くの人、特に若い人の進路先でのこれからに期待をしている。特に再び冷戦の時代到来かといわれている世界を、冷戦の無い暖かい平和な世界に導く力を養い成就させて欲しい。
新芽、若芽などの言葉には、なにか可能性や夢を秘めた不思議な力があるように感じる。若芽は生え出て間もない芽、新しく萌え出た目、などの解説がある。新米ほやほや、新入社員の導入教育を担当したころを思い出す言葉だ。なんでも受け入れ咀嚼する、それは昭和時代の話、という会話に時代差を感じるが、戦後の復興を果たした昭和時代があったから今があることを理解しないと新時代は開けない。
とかなんとか言っても、目に青葉として映る新芽は高齢でもすがすがしい。昔、自分にもこんな時代があったのだろうか、勝手に都合よいことを思い出す。カタカナ語に戸惑い、科学の進歩に期待と恐れを抱くなど、老芽への歩みを気にしいる。いや、明日も朝刊を開くことから頑張ろう。
(今日の575) 新芽見て大きく吸い込む春の香う
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